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論理より感情が勝るとき

まさに今の気分だ。

自分の力で何ともならないことが多いなんて、みんな知っている。
私自身が思い上がっていたのだろう。
思い上がりを正せなかったが故、今の自分がある。

それでも、感情をコントロールできないことがある。
今の自分のように、どうしようもない気分。
血とは、家族とは、遺伝子とは、そういうものなのか。

妻は他人だ。愛という幻想の中、結婚し、子供が産まれる。
子供は他人ではない。無償の愛の対象。現実。幻想もある。生命の輝き。私の代わりに、生きていく。
妻と子供は並べて語られることが多いが、全く次元が違う。
当たり前のようで、当たり前でない。

幻想が現実になったとき、結婚は壊れる。
現実に向き合って、お互いに乗り越えようとするなら、壊れにくいだろう。
しかし現代社会はもはや、結婚という制度が崩壊しているのではないのか。

感情の赴くまま書いていると、自分が本当にイヤになる。
結局、自分のせい。
でも、元妻のせい。
人間は理性的でいることを強いられているが、この公園に来る度、思い出す。

いろんな結婚のカタチ、離婚のカタチ、子供とのカタチがあると思う。正解があれば、みんなそうしてるはずだ。正解は、ない。

正直であること。誠実であること。愛があること。私は、愛はあったけれど、正直だったかな。誠実だったかな。

離婚後と子供たちと、また新たなステージに立った。5年は長い。子供も成長する。側で見守れない何とも言えない気持ちはある。それは我慢。やるせない、不甲斐ない。新たなステージで、子供たちにとって、最善最高の選択を、していきたい。

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