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【ブルックナーと向き合う3】2冊の本を通じて感じたブルックナー像

ブルックナーってどんな人?と聞かれて困るクラシック音楽ファンは多いと思います。顔ぐらいは浮かぶし、ロマンティックっていう名前の交響曲(大してロマンティックと思わないけどという内心を隠しながら)を書いた人で、ブラームス派と対立していたワーグナー派で、、、あと何だっけ?そうそう、少女趣味とか、曲が長いとか、変な人だったらしい、ぐらいの情報提供をしてしまいます。

その話を聞いた方は更に謎を呼び、不思議な感じの、ちょっとネガティブな印象が連鎖し、ブルックナーのいびつな像が浮かんできます。ブルヲタはじめ通ぶってしまいがちなクラシックオタクからは、逆に熱く語られ過ぎて、引かれてしまうありさま。誰かのせい、という訳ではないけれど、なかなか近寄りがたい雰囲気。多くのファンを楽しませるモーツァルトやベートーヴェン、ショパンやチャイコフスキーなどと比べると、ひみね強烈なポジションをひた走る作曲家。21世紀の日本では、ブラームス派の圧勝でしょうか。

いやいや、実は隠れキリシタンならぬ隠れブルックナーファンは多いのです。ブルックナー自身がここまで仕込んでいたとは思いませんが、なんともアンチテーゼからのブルックナーというか、平たく言えば「いやいやブラームスなんて俗物だよ」と言わせる何がを持ってそうな、「神に近い」「神の声を聴いた」などという、いわゆるキリスト教的な神とは違うようなときもある彼の音楽に絶対性・独裁性を持たせて、信仰してしまいがち。うむ、何を言っているのか分かりませんね。

ブルックナーに「浸る」感覚はとても良いです。なかなかBGM的には聴けませんが、何もせず、ただひたすらブルックナーを流し続けると、恍惚ななんとも言えない感覚に陥るときがあります。すぐ別のメロディに「断絶」され、つかの間の幸せではありますが、とても満たされます。

今回のブルックナー演奏に向けてこの企画を立ち上げ、その過程で次の2冊を読了しました。皆さま、良ければ是非読んでみてくださいね。その感想も踏まえて、私なりのブルックナー像を考えてみたいと思います。

不機嫌な姫とブルックナー団

一冊目のブルックナー団は、読み始めは魂の山嶺のあとだったけれど一気に読んでしまいました。ライトノベル風を装いながら、ブルックナーの音楽と人間にじわじわ迫る良い本でした。Kindle Paperwhiteで読み切った活字の本の第一号。Kindle本で購入したので読み終えたあとの読後感がリアル本と比べ薄い感覚はありますね。しかし内容的には本格的なブルックナー著述も多く、読み応え十分。個人的にはハンスリックの下りを読んだときに、ゾクッとしました。はい。変なところで萌えました(笑)。私がブラームス派だからでしょうか、ハンスリックの気持ちに共感しました。その後の、ブルックナー伝(未完)最終章も良かった。あらすじとか気にせず、ブルックナー本(新たなブルックナーなんとか!)のひとつとして読むにも、ブルックナーの入門書として読むにも良い本だなと思いました。

このブルックナー団で語られるブルックナーの姿は、とても人間的です。生徒に人気のある先生で、オルガンの当代一の名手で、ワーグナー先生大好きで、女性は苦手な人物。争いを好むことはなく、あまり他人の悪口も言わず。ブラームス派との対立軸も面白おかしく書かれていて、それでいて切なく、先ほど上の方でブラームス派の圧勝と書きましたが、この本でもまさにワーグナー派を非主流として、主流側のブラームス派から無教養で無価値なものと攻撃され続ける構図を、社会から日陰者扱いされがちなオタクの構図と紐付けて語っています。だからブルヲタなるものが生まれるのでしょうか。エーベルシュタインさんに聞いてみたい(笑)。

ブルックナー 魂の山嶺

ブルックナー団より先に読み始めた魂の山嶺は、ちゃんとした本。著者は故人ですが、音楽家でかつ著述家というユニークな存在。文章が秀逸です。最近新装版が出たので、それを読みました。より本格的に、ブルックナーに迫る本で、とても読み応えあり、また、読後感が爽快でした。

人物像については両方を同時に読み進めていたのでごっちゃになっている感もあります。この本でとくに印象深かったのは、ブルックナーの土俗性と宗教性の視点です。
グリーンマンをご存知でしょうか?私は知りませんでした。日本でいう八百万の神のような自然信仰、それがキリスト教ドップリのように思ってしまうヨーロッパにも、ゲルマン民族の土俗信仰としてある、というのです。良くアニメの題材になるような魔女信仰やロードオブザリングの世界です。そう、RPGゲームにも通ずるものでもありますね。
そのグリーンマン的な世界を音楽で表現したのではないか、という仮説。「原始霧」と呼ばれる「ブルックナー開始」。そこから生まれる大きな流れの音楽。森の中にいるような、その森の中を流れる大きな川のような。

その土俗性から発する田舎者な言動。わざと使い分けていたのではないかとの説も面白いです。そう、一方で教会の使徒としての役割を全うしている。カトリックの厳格な世界に13歳から浸っている彼は、死と常に隣り合わせ。死と隣り合わせということは、神に近い存在。死を恐れる様子は、最期までなかったようです。
お茶を飲もうと手を出したが飲まず、椅子の背もたれに倒れてそのまま、息を引き取ったとのこと。1896年10月11日の午後3時半ごろ。ちょうど125年前の出来事です。もうすぐ命日。

ああ、ここまで書いて、何と散らかった文章なのだろうと、反省します。言い訳をすると、それだけ分かりやすく明快に、ブルックナーを語ることが難しいのだと思います。作曲家に限らず、その人の人生を語ることは難しいだろうけれど、作品が残っている芸術家に迫っていきたい、またそれを解き明かしたい要求には抗えきれないものがあります。その中でも、ブルックナーは理解に苦しむ、また表現に苦しむ作曲家です。

上の2つの本を読んで、少しはブルックナーの理解に近づいた気もします。でもその後、彼のシンフォニーを聴いても、「ああ、なるほどね」とはまだなりません。未だにプロの演奏家でさえ敬遠することのある大作曲家は、ブルックナーぐらいじゃないでしょうか。「今度ブル5だって?ユウウツだなぁ、、」「まー指揮者が良いから、本番は楽しいと思うよ」「本番までの道のりがねぇ」「まーそう言わず、辛抱してやりましょ」というような会話が、全国のブルックナー演奏の現場でありそうです。

それだけ深く、また謎の多い作曲家。皆さまも、ブルックナーの謎の世界を、のぞいて見ませんか。ブル5の前には、軽くリムスキーとドボルザークはいかがでしょうか。

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