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Dream

久しぶりに飛行機に乗ったら、Dream liner だった。
ボーイング787のこの機体の翼の形が好き。窓が段々色が濃くなる仕様になっているから、外の景色がずっと見えてる。窓側の席だと、反射して自分が映ってしまうので少し離れた席からの方が外の景色が撮れるのかもしれないなと真ん中の席からぼんやり外を眺めながら、そうか、Dreamかと又思う。食事をしたらお会計にこれをレジにと渡されたTOPの写真に使った鍵の番号も787という偶然。

ここ最近、ハーキマーの事を書いた時もそうだが、なんとなく「夢」というキーワードに自分が反応している。

もしかしたら「2021年10月7日、冥王星が逆行終了! 約14年かかる変容への道がより明らかになります」という星の動きもあいまって、何か節目として振り返るのもよいタイミングなのかと思った。

14年前の2008年の出来事として大きいのは、それまではアクセサリーとしては大好きだった「宝石」が、「クリスタル」というカテゴリーなのかな、磨いてあるものも、磨いていない原石についても「石」を通して継続的に学ぶことをコミットした今に至るまでの刺激的なスタートの年ではある。

精神世界でいう「自分を大事にする」という事は言葉としては至極同然で自分も実践していると思っていた。
自分の事が好きと、でも、自分を大事にするというのはまた違うのだなと、最近改めて認識。そして実は長年それってテーマであり、あらゆる側面でそれが一つのキーだと思う。

究極的には自分が望む状態が現実になるのだという事。
私は、夢を思い浮かべても、周りの環境をみて、勝手に我慢したり遠慮してずっと悶々としていた。
空気をものすごく読めるタイプなので、人を気にして自分の行動をシミュレーションしては考えすぎてしまう。
時と場合によってではあるが、空気を読めてないふりをしてしまう位に読めている。

40~44歳の時に特に仕事が忙しくて、周りも忙しくてという状況だったので、でなんとなく頑張れるだけ頑張って、44~45歳辺りで、気持ちが落ちやすくなっていると気づき、忙しかった事への反動かとも思ったりしたが、それは更年期の始まりだったと思っている。

48歳の時に子宮筋腫の診断結果を受けてその時手術をした方がいいとは言われていたものの、受け入れる事が難しかった。

長い事、生理痛が酷くて、25年もの間、毎月のように1日目は立っているのが困難で、社会生活に影響がありまくりだった。若いころに大きな病院も何度か行ったが何もわからず、強い痛み止めと、(でも全然効かない)ピルでどうしてもという時は日程調整するというしのぎ方しかなかったので、婦人科で簡単に手術を勧められる事に対して、軽く言われてるような気持ちになり、過去の、具合の悪さをを抱えていた時に迷惑かけたくないのに、自分では何ともしようがなく、気持ちが置いてきぼりになった時期の感情に直結してしまって、手術のメリットを信頼するのが難しかった。

開腹手術は術後1か月は自宅で療養と言われたのも当時は出社がメインの仕事のスタイルだったので、怯んだし、仕事や休む時期もこれまた悩みだった。人様のブログ読むと半年くらいはなんとなく痛みを抱えているという人が多かったので、回復後に1時間強かけてラッシュの電車で通勤することが体力的厳しそうで術後も悩みであった。

散々時期を先延ばしにしていたが、最近身体への症状が出ているのと、このリモート絶賛時期なら術後もしばらく周りもリモートに慣れているし仕事しやすい環境だという後押しもあって、先月診察のときは決心がつかなかったのだけれど、今月(11月)に再度診察してもらい、手術日を決めてきた。
初診とは別の病院に今は通っているものの、初診から3年が過ぎて、やっと自分がどうしたいかを決められた。

今はその決断をしたことによって、気持ちがすっきりしている。
自分で納得できるタイミングで、自分でそうしたいと決めて選択ができたという事が大きい。

会社の人に話してから、段々「休む事」を実感してきたのが、周りに迷惑のかからない時期を探そうとしていた事はなんだったのだろうね。決めてしまったらそのように周りは動くのも、分かっている事なのに、自分の事となると、なかなか自己中心的に動くことが出来なかった。

人がその判断を迷っていたら、身体が大事だし、仕事の事は気にしないでと直ぐ思えるのに、不思議だ。
これは、自分の事を後回しにしているという事であって、
それはもうこの先しないという事を学んだ出来事だった。
そのベースにあるのは「自分を大事にする」という事からの芽だと思っている。

2008年から種まきしてそれに芽が出て、多くの派生した葉がが付くような出来事に巡り合ったのは、あの時から「自分を大切にする」という事を理解したいと行動してきたからなのかもしれない。

今までもちょっとした芽があったのだろうけれど、いよいよ体感としてその言葉の意味が着地したような14年目の出来事。


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