新型コロナウイルス感染闘病記。(#002)

疑惑の東京五輪2020開催中の、2021年夏。
ついに、新型コロナウイルスに感染、療養生活を送ることとなった。
感染~療養~回復まで一連の様子を、ここに記録する。

「コロナ」に罹った!?

2021年7月21日、水曜日。
いつも通り勤務を終え、皮膚科に寄って、帰宅した。
自宅に辿りついた途端、安心したのか、疲れが出たのか、かぁーっと身体が熱くなる感覚がして、同時に悪寒が走った。どうも熱っぽい。久々に体温計を手にしてみると、発熱が37.4℃。直感した。

コロナか、インフルエンザか、どちらかだ。

ついにきたか、と思った。
ひとり暮らしを始めて1年半ほど。風邪程度はあったが、本格的に体調を崩すのは初めてだ。「コロナか否か」というより、「ひとり暮らしの身でこの難局をどう乗り切るか」ということが、私の一番の心配事だった。

コロナにしても、インフルエンザにしても、1週間程度は家から出られなくなること必至だ。体調の崩し方からして、どちらかに診断されることは間違いない。今この時から、家を出ない方が賢明だろう。

既に夜。開いている病院はない。そもそも、混迷を極めているコロナ対応、直接病院に行っていいのかすらもよくわからない。
東京五輪を目前に控えた日本は、奇しくも翌日から、4連休に突入する。嬉しいはずの連休も、ただの悪夢にしか思えなかった。


まず、したこと。

当面、自力で急場を凌がなければならない。
まだ頭が動くうちに、と次の3つのアクションを行なった。

① 緊急食の買い出し依頼

目下、高熱が出ている間の緊急食を用意しなければならない。
スポーツドリンクとゼリー飲料、お粥の類だ。
私は普段から、これらを一通りストックしているが、コロナの場合、どこまで長引くか、わかったものではない。今のストック量では足りないかもしれない。
たまたま翌日、友人が近くに来る予定だったので、買い出しを依頼した。
・スポーツドリンク ×2本
・ゼリー飲料 ×8個(4種類×2個)
以上2点と自宅住所を送り、玄関先に置いておいてもらうよう伝えた。

② ToDoの整理

次に、やるべきことのリストアップを行なった。

・居住自治体のコロナ疑いオペレーションの確認
・市の専門コールセンターへの連絡
・関係各所への連絡(職場/保険関係/その他)
・病院探し
・今ある食料・医療品の確認
・買い出しが必要な食料・医療品のリストアップ
・受けられる保障はあるか調べる(行政・労務関係)   ほか

特に重要なのが「居住自治体のコロナ疑いオペレーションの確認」だ。
自分にコロナ感染の疑いがある場合、病院に連絡するのか、専用のコールセンター等に連絡するのか、自治体によって行政オペレーションが異なる。私の場合、居住する「市」と「県」双方のHPを確認して、「市の専門コールセンター」が第一の連絡先になることを突き止めた。
(行政の御多分に漏れず、HPがわかりにくい!似たような名前がいっぱいある!熱に浮かされながら複雑な行政情報を処理するのは本当に大変!)

リストアップしたToDoは、チェックリストに書き出しておいた。
頭を使うと疲れるので、なるべく脳内メモリを使わないことが大事だ。

③ 病院を探す

そして、付近の病院を探した。

居住地が微妙なのか、救急病院は距離的に厳しかった。公共交通機関を使わないと行けないから、感染疑いの身で望ましい駆け込み先ではない。
それに、市のHPには「コールセンターの案内を経ない受診は10割負担」との恐ろしい記載があった。事細かく読めばかいくぐれるのかもしれないが、そんな元気はない。
救急病院に駆け込むのは、最後の手段に取っておこうと思った。

通常の病院も探した。
「かかりつけ医」ほどではないが、一度受診したことのある開業医が、徒歩圏内にある。標榜は内科・循環器科だ。コロナ疑いの対応をやっているのかいないのか、HPに記載がないのでわからない。(書いておいてほしい!)
ともあれ、コールセンターに電話して、この開業医を案内してもらう(希望できるのか?)ことが、今考えられるベストだ。診察券と保険証を、机の上に出しておいた。

ここまでやって、22時頃。熱は38.3℃に上がっていた。
最低限の態勢は整えた。これ以上、今日のうちにできることはない。
いつもに比べればまだ早いが、力尽きて寝ることにした。


自治体のコールセンターへ連絡。

7月22日、木曜祝日。39.6℃。丸一日寝たきり。
7月23日、金曜祝日。37.2℃。発症から3日目の午後、ようやく自治体の「発熱・受診相談センター」へ電話を掛けた。

症状と発熱状況、「コロナかインフルエンザだと思う」と伝えた返答は、「祝日なので案内できる病院がない。明日の午前ならある」とのことだった。「救急病院は?」と訊いても、同じ返答。救急病院は一般患者専用にしているのかもしれない。

「明日なら案内できるのはなぜか?」と訊ねたら、「土曜診療のある病院は案内可能」とのこと。そうか、普通の土曜日か。「4連祝日」だと思い込んでいた。光明が見えてきた。同時に、頭が回っていないことを自覚した。

かかりつけ医を聞かれたので、先述の開業医を挙げた。午前だけ、土曜診療もやっている病院だ。「明日、事前に病院に電話をしてから、受診して下さい」との指示を受けた。少しずつ、事態が進み始めた。


PCR検査、陽性。

7月24日、土曜日。
朝、37.4℃。徒歩数分の開業医へ電話を入れた。「市の発熱・受診相談センターから、事前に連絡してから受診するよう言われた」と申し添えた。
病院側も経緯が把握しやすいし、10割負担問題もある。頭が動く範囲で明確に伝えることは、こういう時こそ大切だ。
「11時に来てください」と時刻指定を受けた。土曜診療の最終枠あたりだ。食欲が戻ってきたので軽食し、最低限身なりを整えて待った。

昼、開業医へ赴く。
待合室とは別の、隔離用の待機場所に案内される。検温、38.1℃。自宅で測ってから2時間ほどで上がっている。30分程度待ち、他の患者の診察が終わる頃、医師の方から待機場所まで出張してきた。
普段の医務服に、手袋、防護用ゴーグル。緊張感は伝わってきたが、案外軽装備の印象だ。
心音や酸素飽和度の診察を受け、問診。症状の経過と、過去2週間の行動をまとめたメモを用意してきたのだが、見向きもされずちょっと虚しかった。喋るぐらいの体力はあったので、いいのだけれど。
インフルエンザに関しては言及なく、「PCR検査しましょう」と言い渡されて、診察を終えた。
屋外の駐輪場的なスペース(日影だったのはありがたい)に椅子が置かれ、PCR検査用のスペースとなっていた。尿検査のような容器に、ひたすら唾液を分泌する。十分な量を出すのに結構時間がかかった。(何をやっているんだろう...と冷静に戻ってしまう頭との闘いである。)
容器を所定の場所に入れると、回収してくれる。これも尿検査と同じ要領だ。違うのはその後。事務方と薬剤師がそれぞれ出張してきてくれるので、私はその場に座りっぱなしで、会計と処方薬の受け取りを済ませた。
検査結果は早くて当日の夜。検査数が増えてきている時期なので、翌日になるかもしれない、とのことだった。

夜、開業医より電話。
「陽性でしたわ。明日、保健所から詳しい連絡が行くので、それに沿って療養して下さい。くれぐれも外に出ないように。体調の変化に気を付けて」。

気さくな先生だったし、既に発症から3日と少し療養しているので、心の準備はできていた。ショックはあまりなく「まあそうだろうな」という感想。
むしろ、病状がハッキリして一安心、という心境だった。


関係各所へ連絡

さて、事態が大きく進んだ。関係各所へ、順番に連絡を入れていく。
作っておいたチェックリストが、大変役に立ってくれた。
つくづく助けてくれるのは、気の利く友人と、過去の自分である。

① 勤務先へ連絡

勤務先へは、PCR検査を受けた段階で、早急に連絡を入れていた。
・コロナ疑いがある旨
・病院を受診し、PCR検査を受けた旨
・結果によっては2週間ほど勤務できない旨
伝えるべくは、おおよそこの3点だ。

私の場合、派遣雇用のため、まず派遣会社の担当者に連絡。派遣会社から派遣先へ連絡を入れてくれ、派遣先から私の元に電話が掛かってくる、という流れだった。
派遣先からは、体調と症状/直近の勤務状況/通勤経路上に寄り道はしたか/同居家族/知人に陽性者はいるか、等いくつかのヒアリングがあった。

(直接の上司ではなく、二三度顔を合わせた程度の管理者クラスの上司から掛かってきた。知らない番号の名乗りもしないおじさんから、「○○君やね?」といきなり電話口で問われた時には、マジで不審者かと思った。)

陽性が判明した翌朝、陽性の旨を再度報告。
今後の流れなどを確認して、療養に専念することで一段落した。

② 演劇学校へ連絡

私は派遣社員で生活費を稼ぎながら、演劇学校へも通っている。
職場と同じタイミングで、こちらへも連絡をいれた。

・21日から体調が悪く、コロナ疑いがある旨
・24日に病院を受診し、PCR検査を受けた旨
・20日の授業に出席していた旨

発症直前の授業に出席していたところがポイントだ。徹底した対策がなされているとはいえ、性質上、ある程度のリスクは発生してしまう。
学校側に「発熱後10日間は出席停止」という規定があるらしく、検査結果を待たず、処遇が決まった。取るべき行動が明確なのはこちらも助かる。

陽性が判明した翌朝、陽性の旨を再度報告。
即日、一定期間の授業中止が決定され、全学生へ通知された。

多方面に活動している人は、連絡すべき「先方」が多くなってしまう。手間も増すが、多くの人を巻き込むため、漏れがないよう心掛けたい。

③ 入れていた予定のキャンセル連絡

陽性が確定した時点で、当面の対面予定をすべてキャンセルすることになる。キャンセル連絡が必要な場合もあるので、要注意だ。

私の場合、たまたま直近に4件の予定を入れていた。
・シンガーソングライターのツアー公演
・アイドルのライブ公演(現地払い)
・アイドルのライブ公演(前払い)
・演劇公演
いずれもチケット確保済みだったため、主催者に連絡を入れた。

・行けなくなったため、キャンセルしたい
・理由はコロナ感染による外出禁止
・払い戻してもらえないか
以上3点を伝え、こちらで取るべき行動があれば明確にした。

「コロナ感染による外出禁止」を伝えることは、案外重要だ。チケット制の催事は、自己都合の直前キャンセルだと、払い戻しに応じてもらえない場合が多い。いわゆる「キャンセルポリシー」だ。ところが、「コロナ感染によるキャンセル」だと、意味合いを先方もわかっているので、例外措置を取ってもらえる場合があるのだ(担当者の裁量で応じてくれる場合もあるので、必ず名前を伺っておくこと)。「払い戻しをしますので、チケットを返送して下さい、いついつまでに」と言われる場合もある。自宅から出られないので、無理な話だ。うっかり平時の対応をされてしまった場合も、説明すれば期日を延ばしてもらえるので、「お互い大変ですよね...」というマインドでお願いをすれば、問題はない。

チケット類のキャンセル連絡にあたって、注意点が3つある。
1つ目は、「問い合わせ先の特定」だ。
チケットには、複数の問い合わせ先が記載される場合がある。注意書きを読み、キャンセル連絡を所管する問い合わせ先を見つけなければならない。
2つ目は、「支払い方法の確認」だ。
アイドルのライブには、チケット確保時点での支払いは発生せず、当日現地で支払うという販売方法がある。この場合、キャンセル連絡はしなくとも、こちらとして損はない(当日券枠を増やせるので、連絡を入れるに越したことはない)。実際、現地払いのライブが1件あり、主催者に「払い戻しの要請」を行なって面倒な絡みが発生してしまった。事前にチェックする余裕があれば、双方が余計なストレスを受けずに済んだだろう。
3つ目は、「時間との闘い」だ。
公演後になってしまうと、キャンセル連絡は意味をなさず、払い戻しのハードルも一気に上がってしまう。交渉事のため、比較的体調の落ち着く頃合いを狙いたいが、タイムリミットには気を付けておきたい。

④ 保険関係の相談

病気にかかって日の目を見るのが、保険である。
元々保険へ加入していたが、感染症の場合、どういう扱いになるのかわからない。私の場合、「ほけんの窓口」で管理してもらっているので、ひとまずここへ連絡し、下記3点を相談した。

・コロナに罹患した
・加入中の保険に、保障がおりる項目はあるか
・自宅療養か入院かで、保障の線引きは変わるのか

すると、加入中の医療保険から、保障がおりるらしいことがわかった。
「自宅療養」は、入院と並列に扱う自治体もあれば、入院の前段階と位置付ける自治体もある。だがこれはあくまで行政の考え方であって、保険の考え方としては、「自宅療養」は「入院相当」の扱いになるらしい。
つまり、入院保障のあるほとんどの医療保険で、保障の対象となるのだ。

保障の請求には、「療養期間の確定」と「医療機関の診断書」が必要とのこと。いずれにせよ療養を明けてからのアクションになるので、急ぐ必要はない。ともかく保障がおりることを知って、精神的に少し安堵した。


保健所からのガイダンス

7月25日、日曜日。保健所より電話があり、感染経緯についての詳細なヒアリングと、療養についてのガイダンスがあった。

① 調査:発症までの経緯

始めに訊かれたのは、現在の体調と、症状がいつからあったかということ。「発症日」と「いつから感染力を持っているか」を特定することが目的だ。

私の場合、本格的に体調を崩したのが7月21日。この日に、発熱、悪寒、頭痛、関節痛、倦怠感、などの諸症状が一気に来た。
ただ、その1週間ほど前から、体調に不安があった。18日には既に頭痛と結膜炎の症状があり、さらに遡って14日頃から数日、下痢が続いていた。
調べたところ、いずれもコロナで現れる症状だ。もしかしたら、21日にひと山きただけで、もっと前から感染していたのかもしれない。

懸念も含めて伝えたところ、「18日までの体調不良は直接の関係はなく、コロナの発症としては、おそらく21日だろう」というのが、保健所の見解だった。
「もし18日以前から感染していて、うつしてしまった人がいても、その人達はもう発症しているはず。こちらから探し当てる必要がない。今となっては、確実に感染力がなくなるまで療養することの方が重要なので、発症日を前倒して考えるメリットはない」とのことだった。(もちろん、言い方はもっと丁寧だ。)
新型コロナウイルスは、2~14日間の潜伏期間を経て、発症するらしい。人にうつすのは、発症してからだ(厳密には違うが、後述する)。言い換えれば、発症から遡って2週間以内は「もらった可能性はあるが、うつした可能性はない」ということ。懸念が少し、払拭された。

18日は、アイドルのライブに足を運んでいた。設備の古いライブハウスで、密も散見されたことに加え、出演者から1人陽性が出たことが後日判明していた。念のため保健所にも伝えたが「18日に感染した可能性はあるが、そこまで心配しなくていい」とのことだった。
曰く、現時点では私のケースしか、感染報告が上がっていない。同様に5件以上発生するとクラスター扱いになり、保健所の方から同席者を探し当てて連絡していくのだそうだ。5件出るまでは、待ちの姿勢でいて、攻勢は仕掛けない。すぐさま影響が出るものではないらしい。
「クラスター化に備え、念のため」と、18日のライブの様子について、細かく情報提供をすることになった。三密状況、人数、ライブハウス側の対策の実情から、出演グループ名、特典会とは何か、どういう交流をするのか、といったところまで。大真面目なやり取りで、保健所の大人を相手に、アイドル現場について解説をした。こんなことは今後、もうないだろう。

ともかく、私の「発症日」は7月21日、とすることに落ち着いた。

② 調査:濃厚接触者の心当たり

次は、「濃厚接触者」の心当たりについて、ヒアリングを受けた。
ひとり暮らしの私は、家庭内で感染する/させるリスクがない。普段の生活習慣で、誰とどういった接触をしているか、がキーとなった。

「濃厚」にも定義があるが、ひとまず目を向けるべきは「接触者」だ。こちらが伝えた「(濃厚そうな)接触者」の中から、保健所が「濃厚接触者」の該当者を判定してくれる。

当初は、「感染前の2週間」に一緒にいた人を答えるものだと思っていた。14日発症説も拭いきれなかった私は、保健所からの電話を待つ間、7月1日以降の「接触者」を一通りリストアップしていた。なかなかの人数に影響が及びそうだった。

ところが、これは杞憂に終わった。どうやら必要なのは、感染力保有期間に入ってからの「接触者」らしい。私がうつした可能性がある人達、ということだ。
「感染力保有期間」は、「発症日」の2日前以降を指すらしい。私の場合、7月19日以降の「接触者」達だ。職場の同僚、通っている演劇学校の関係者、毎日買い物をしているスーパーの店員、などが挙げられた。

それぞれの対策状況、接触時間・距離など、いくつかのヒアリングに答えたのち、「濃厚接触者なし」と判断された。双方がマスクをした状態だと、ほとんどの場合、濃厚接触者にはならないらしい。
「もし職場や学校が気にしているようであれば、保健所にご連絡いただければ説明する」と言ってくれた。職場などの所在地に関わらず、私の感染と影響に関しては、私が住む自治体の保健所が対応してくれるらしい。

③ 指示:療養場所

経緯の把握はおおよそ済み、これからのことへ話題が移った。
療養場所の調整だ。

私が住む市では、軽症者は自宅療養 or ホテル療養から選べるらしい。各自療養してもらい、悪化したら入院、という2段構えになっているそうだ。

県のHPに「直ちに入院、応じない場合はペナルティとして云々」との記載を見つけ、内心戦々恐々としていたので、少し拍子抜けした。
どうやらこれは、古い情報らしい。非常時の行政は特に、情報鮮度に敏感になってほしいものだ。県と市の連携も当然求められる。正直、このギャップには、今後の災害発生時への不安しか湧かなかった。

さて、自宅療養か、ホテル療養か。正直、一長一短だ。
自宅療養なら、勝手もわかっているし、回復してからできることの幅が広い。一方で、食事面や、悪化した際の処置に不安がある。
ホテル療養なら、ある程度ケアの下に身を置けるし、食事の世話もしてもらえるだろう(後から請求されるのか?)。だが、遠方や粗悪なホテルに案内される可能性もあるし、何より過ごし方の幅が狭いことは懸念だ。当然、荷物も持って行かなければならない。

ホテル療養の場合、行きは保健所手配のタクシー、帰りは公共交通機関になるらしい。調整によっては入居が遅れる可能性があると言われた。

聞けば聞くほど、自宅療養の方が私には合っているように思えた。後からホテル療養に切り替えることも可能とのことだったので、過ごし方の選択肢を優先し、自宅療養を希望すると伝えた。

④ 指示:療養期間

療養の期間はシンプルで、「感染力がなくなるまで」だ。
保健所では、2つの指標を感染力消滅の判断基準としている。

・発症日から10日間以上の時間的経過
・解熱剤を使わずに、継続して3日間以上の体温37.4℃以下

7月21日夜に発症した私は、7月31日までがとりあえずの療養期間だ。その間、順調に症状が治まれば、無事終了。症状が続くようであれば、治るまで延長。自治体にもよるだろうが、療養を終える判断基準はあくまでこの2つの指標で、陰性検査はしないとのことだった。

既に7月25日を迎えているので、残すところ1週間。思ったより、短い。

⑤ 指示:療養期間の過ごし方

最後に、療養期間の過ごし方について、詳しいガイダンスがあった。

大前提として、自宅から出ないこと。人と会わないこと。
人と会いにくい深夜のゴミ捨てなども、控えるよう言われた。ドアノブなどで、接触感染のリスクを生んでしまうためだ。

それ以外は基本的に、風邪やインフルエンザと同様の過ごし方でいいらしい。熱がなければ入浴していいし、食べたいものを食べていい。

必要物資の調達については、通販の活用を勧められた。「自助」ってヤツだ。レトルト食品や医療品(冷えピタなど)などを届ける自治体もあるようだが、わが市にそんなお優しい制度はない。
「食材セット」なるものを市のHPから見つけ出していたので聞いてみたが、支給は難しいらしい。曰く、「通販に不得手な高齢者への割り当てに回したい」と。おっしゃることは実によくわかる。わかるのだが、だったらそう書き添えてほしいと思うのは、望みすぎだろうか。

続いて、自宅療養中の病状について、2点注意を受けた。

1つ目は、呼吸状態に特に敏感になること。
軽症の場合、通常1週間ほどで快癒する。逆に1週間で快癒しなければ、急激に悪化して、要入院に陥る。熱や咳もひどくなるが、一番の悪化サインが「呼吸の苦しさ」だとのことだ。
「パルスオキシメーター」という器具を、自宅療養者に送る自治体もあるらしい。血中の酸素飽和度を計測する器具で、体内にどれだけ酸素を取り込めているか=呼吸のしやすさを数値で示してくれる。私には送付はなかったので(数が足りないのか?自治体としての方針なのか?)、「息が苦しくないか」という完全な主観で申し出てくださいと言われた。
診断時点での酸素飽和度は98%(保健所の電話で初めて知った)。96%を下回ると要入院、90%を切るといよいよだ、ということらしいが、何の問題もなく通常通りだ。

2つ目は、熱が下がってきたら、解熱剤の服用を止めてみること。
先述の通り、療養終了の条件に「解熱剤を使わずに熱が下がる」とある。解熱剤の服用を続けていると、薬の力で一時的に熱が下がっているのか、快癒したのかわからないためだ。

ここまで約30分。これまでの経緯とこれからの過ごし方、不明点の質疑応答の末、終話した。毎日午前中に、体調伺いの電話が掛かってくるらしい。


籠城仕度

自宅療養の綱領が示され、本格的に、籠城仕度を始めた。
既に3分の1が経過していた自宅療養だが、ここでは、10日間を通して私が必要としたものをリストアップしておく。

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① 食料品

最重要は、生き延びるための兵糧。
体力・食欲を3段階に分けて、準備しておこう。

食欲×:ゼリー飲料、おかゆ類、スープ類
食欲△:麺類、軽食類
食欲○:レトルト食品、通常の食事、お菓子

それぞれ、3日・3日・4日ぐらいの配分で用意しておくとよい。
感染初期の数日は、流動食しか食べられない。寝込んで、目が覚めた合間に流し込んで、またすぐ寝込む、というイメージだ。私は最初の3日間、ゼリー飲料しか喉を通らず、風味違いで8個を消費した。同じ味ばかりだとさすがに飽きてくるし、違いがわかるかどうかのチェックにもなる。鮮度的に、野菜不足にも陥りやすいので、ビタミン系のゼリー飲料多めのラインナップだとかろうじてバランスも取れるだろう。
食欲が出てくると、固形物が恋しくなってくる。簡単な調理をする元気は取り戻すものの、消化がいいものしか身体が受けつけない。麺類や、パンなどの軽食が妥当だろう。パスタをベースに、ソースでアレンジを効かせて乗り切った。(とはいえちょっと飽きてくる。)
療養も後半になってくると、通常の食事が摂れるようになる。むしろ摂りたくなってくる。食の楽しみの復活だ。本格的な調理をするとすぐ疲れが出るので、レトルト食品などを活用するのがいいだろう。

盲点が「お菓子」だ。
食べられるものが限られると、似たような味のものが多くなる。いつもと違う味を求めて、間食に欲しくなってくるのだ。普段あまり好むタイプではないが、ここまでお菓子を求めたのは、幼少期以来かもしれない。
夏場は同様に、冷たくて味がするものが欲しくなるので、アイスもあるといいだろう。気分転換にもなる。

スポーツドリンクは、多めに備えておくとよいだろう。
療養の前半(発熱している間)は、身体が猛烈にスポーツドリンクを欲する。そのくせ、市販のままでは濃すぎて受けつけない。喉に貼りつくようなねっとり感がして、どうにも気持ちが悪いのだ。最初は5:5ぐらいから、徐々に濃さを調整しつつ、水で割らないと飲めなかった。
粉末タイプを推奨する人もいるが、現実的ではない。40℃近い高熱が出ると、液体をコップに注ぐだけでも結構な労力だ。わざわざ粉から量を配分して、(簡単ではあるが)計算して作るというのは、平時の予想以上にエネルギーを消費する。液体と液体を直感的に混ぜる方がラクなうえ、溢しても片付けが簡単なので、こちらを推奨したい。
また知恵として、レモン汁を数滴垂らせば、各段に飲みやすくなる。水割りでは飲んだ気がしないという人は、試してみてほしい。

水も重要だ。水道水を飲める人なら問題ないが、合わない体質の人は、まとまった量を用意しておこう。水分補給、服薬、米炊きを含む料理など、水を使う場面は意外と多い。10日間で10Lほど、水を使った。

② 医療品

冷えピタは、人によって必要性が分かれるところ。発熱時に使えるほか、夏場の暑さ対策にも使えるので、ストックしておいて損はないだろう。
肌が弱い私は、高熱が酷かった一晩だけ貼って、あとは貼らずに過ごした。

結膜炎は症状に出る人/出ない人がいるようだが、私は一時、目を開けていられないほどの炎症に苦しめられた。慰み程度にしかならないかもしれないが、目薬があるだけで楽になる気がするし、心理的にも余裕ができた。特別な成分を含むものでなくてよいので、用意しておくと助かるところだ。

③ 生活用品

見落としがちなのが、生活用品。特に下記2点は要チェックだ。

まず、ティッシュペーパー。2箱以上必要だ。
鼻水の症状が出始めると、思いのほか消費量が激しい。私の場合、鼻が詰まって呼吸の妨げにならないよう、鼻水にして出す薬も処方されていた。よく効いたのか文字通り、1日中鼻をかみ続ける日が2~3日続いた。
トイレットペーパーで代用もできるが鼻を傷めるので、多めのストックがあると心強いだろう。

そして、ゴミ袋。
捨てに行けないとなると、10日間でも想像以上にゴミが溜まる。ゴミ箱はすぐいっぱいになるので、括って置いておけるよう、ゴミ袋が必要だ。私の場合、分別したペットボトルも含めると、合計100L分ぐらいの量になった。45L袋2~3枚ぐらいの備えは欲しい。
自治体指定ゴミ袋の場合は、途中で買い増す手立てがない。普段から多めにストックしておくか、一旦別のゴミ袋に入れておいて後で移し替えるか、で対応するしかないだろう。
(市職員がゴミ捨て代行してくれる自治体もあるようだが、そんなサービスはわが市にはない。医療崩壊による自宅療養者が増えれば、市も動き出すかもしれないが、幸か不幸かまだ比較的余力のある時期だった。)

以上が、物資面で備えられる籠城仕度だ。
感染初期に緊急に必要なものは、上記リストに★をつけておいた。買い出し依頼の際はここを頼めば間違いない。あとのものは、療養しながら調達しても間に合うものだ。
ほとんどのものは Amazon などネット経由で手に入るが、手に入りにくそうなものは、普段からストックしておくことをオススメしたい。


症状と経過

ここからは、新型コロナウイルスに罹っての症状と経過について。
感染初日から時系列で、詳細に振り返っていく。

まず、発熱の推移。
私の場合、おおまかに3つの段階に分かれていた。

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第1段階、高熱期。急激に高熱が出て、急激に下がる。症状的にも、A型インフルエンザのようなイメージだ。
第2段階、変動期。発熱の上下を繰り返しながら冗長的に続く。こちらはB型インフルエンザに似ている。先が見えず、不安になる段階だ。
第3段階、不調期。ほぼ平熱で、各部位の不調が中心となってくる。喉風邪や鼻風邪の複合型を想像していただければよいだろう。
各段階の長さは、先述した食欲の3段階と、おおよそリンクしている。
呼称はいずれも、便宜上だ。

次に、症状。
程度の推移をグラフにしてみたが、混雑して見にくいグラフとなってしまった。各段階ごとに異なる特徴の症状があり、入れ替わり立ち替わりひどくなる、ということが図示された結果だ。

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時期に照準を置いて図示すると、このようになる。

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「発熱したらコロナに注意!」と言われるあまり、「コロナ=発熱症状」の印象が強い方も多いだろう。しかし実際に感染して、むしろ「熱が下がってからがコロナらしさの本番」と思っていいような気がしてきた。

ここからは、時系列に沿ってみていこう。
感染初日から療養終了までの、症状と心境の経過を追っていく。

1日目:7月21日(水)  <高熱期>
37.4℃。最高値、38.3℃。食欲なし。
帰宅直後、全身が妙にだるい。急転直下のスピードで、ひどい頭痛と関節痛が現れ、加えて咳、吐き気、手足に若干の痺れ。経験的にはインフルエンザの感覚だが、コロナきたか、と直感。買い出し依頼とToDo整理は先にしておく。熱が上がり、悪寒もしてきたので、早めに寝る。氷まくら(1年半前、買っておいてよかった!)、嘔吐用おけ、水分、リモコン類を枕元に集結させ、スタンバイOK。翌日から仕事が休みで助かった。

2日目:7月22日(木祝)  <高熱期>
39.4℃。最高値、39.6℃。食欲なし。
症状は変わらず、程度は悪化。A型インフルエンザに似た様相。ベッドから起き上がれず、ガクブルしながらひたすら寝療治。昼夜の感覚なし。トイレに起きたタイミングで、ゼリー飲料を流し込む。空腹感はないが、身体が空っぽでエネルギーが抜け落ちているような、高熱時特有の感覚。スポーツドリンクを飲もうとするが、濃くて飲めず、焦る。水で割って身体に水分を摂り込む。自己記録42.4℃を持つ身としては「熱はまだ大丈夫だな」という謎の自信。朦朧とする中、4連休の最中であることに気づき愕然。病院が開くまでこの病状が続いたら、身体は耐えてくれるだろうか。依頼した非常食が届くのは今夜。ストックがもってくれることを願う。

3日目:7月23日(金祝)  <高熱期~変動期>
37.2℃。食欲やや回復。
1日寝通したためか、発熱は一旦収まった。その他症状は横這い。1日ぶりに立ち上がったので、歩くだけでもフラフラする。食欲はやや回復したものの、素麺ぐらいしか喉を通らない。とりあえず素麺を食べ、手元にあったバファリンを服用。頭痛だけでもこれでマシになってくれればと、すがる思い。
昨夜のうちに届けてくれていた、非常食を玄関から回収。頼んだものに加え、インスタントのたまごスープが入っていた。塩気があるものはまだ食べられないが、心遣いに頭が下がる。
昨日掛けるはずだった、市の発熱受診相談センターにようやく電話。「今日は案内できない、明日まで待て」と言う。理由を聞く限りでは、医療崩壊は起こっていないらしい。しんどいんだけどな、と思う反面、少し安心。明日、開業医へ事前連絡のうえ受診する方向で話がまとまった。

4日目:7月24日(土)  <高熱期~変動期>
37.4℃。最高値、38.1℃。
悪寒がひどい。咳、鼻詰まりに加え、新たに咽頭痛、目の奥の痛み。関節痛、頭痛はやや軽くなるも、継続中。倦怠感、吐き気、手足の痺れはなくなった。しばらくまともな食事を摂っていないからか、便秘気味。
朝はよかった体調も、昼になると下降気味。ようやく訪れた開業医の対応フローを考察してしまう程度に思考は冷静。PCR検査を受ける。陽性への不安はなく、「むしろこれで不明だったら嫌だな」という心配が勝る。解熱鎮痛剤、鼻通促進剤、胃薬の処方を受ける。食事を摂った後、服薬開始。効いてくれるといいが。少し落ち着いて、派遣会社と演劇学校へ連絡。当日チケットの払い戻し交渉1件(担当者の現場入り後で、繋がった頃には開場数時間前だったが、快く対応してくれた)。Twitterで簡単な状況報告。コロナ疑いあり、PCR検査を受けた、結果によっては会った方に影響が出るかもしれない旨。
夜、陽性連絡を受ける。名前が与えられてホッとした。
昼夜、服薬。

5日目:7月25日(日)  <変動期>
37.4℃。
処方薬のおかげで、かなりマシ。悪寒、関節痛、頭痛は改善。入れ代わりに咳、咽頭痛の悪化。鼻詰まり、鼻水、目の奥の痛みは変わらず続く。
白米を炊いて食べられるようになった。久々の固形物が懐かしい。たまごスープもようやく飲める。ずっとお腹空いてるしずっとお腹いっぱい、みたいな変なお腹具合。寝療治の影響でまだ3食のリズム・睡眠のリズムが戻らず、生活しにくい。
保健所より、ヒアリングとガイダンス。結果の確定によって、色々と動き出し、忙しい。
派遣会社へ連絡、陽性の旨。派遣先からヒアリング電話あり。演劇学校へ連絡、陽性の旨、濃厚接触者なしの旨。本日より休校と決めたそうで、意思決定の迅速さに感嘆。このご時勢、休校について申し訳なさはないが、急遽対応に追われた職員の方々には頭が下がる思いだ。ほけんの窓口へ連絡、保障はあるかの問い合わせ。払い戻し交渉3件。
Twitterに陽性報告。発症日、療養予定期間、感染力保有期間。感染力保有期間に接触した知人がいればアナウンス予定であったが、該当なし。同様に、参加したライブの出演側スタッフにも必要があれば連絡をと思っていたが、これも必要なし。18日に感染した可能性ありとの旨、18日のライブ参加者に少しでも喚起になればとツイート。
朝、服薬。昼夜、試しに服薬を止めてみる。

6日目:7月26日(月)  <変動期>
36.9℃。最高値、37.9℃。食欲にふたたび翳り。
鼻詰まりは解消したものの、鼻水、咽頭痛、目の奥の痛み。咳がひどい。
睡眠も食事もリズムが戻らず、時差ボケのような状態。身体はかなり精力的に動くようになってきた。集中力が続かない症状(?)あり。合間に別のことをするでもなく、30分のストレッチに3時間、蕎麦1杯に1時間以上かかった。10時頃、保健所による体調確認初回。深夜ならゴミ出し可能か質問し、控えるよう言われる。傷病手当について、派遣会社に問い合わせ。Amazonで食料品の買い出し。闘病記録を残し始める。夜、再発熱。服薬を止めてみたのが原因か。服薬再開。

7日目:7月27日(火)  <不調期>
37.1℃。食欲は微妙。
今日も集中力が続かない。咳はやや減ってきたが、代わりにくしゃみが頻発する。鼻水は日がなかみ通し。鼻風邪のような症状。他に、頭痛、咽頭痛あり。目の奥の痛み、やや軽くなる。悪寒、関節痛は快癒。
解熱剤が無くなる恐怖を深刻に感じ始める。数日後には、解熱剤がなくなる。なくなってからまた高熱が出たら、果たして。今日は体温上昇がなかったが、昨日みたいに思いがけない上昇もあるので、気が抜けない。もし最後の解熱剤を飲み切ったら、遺書を書いておくか。日の目を見なければそれでよし、最悪の事態に備えて、意識のあるうちに用意しておいた方が賢明かもしれない。
9時頃、保健所より体調確認。
朝昼夜、服薬。

8日目:7月28日(水)  <不調期>
36.4℃。最高値、37.0℃。食欲回復。
1日中鼻をかんでいる。頭痛がやや再発。咳、咽頭痛、目の痛み。
13時頃、保健所より体調確認。先日の服薬再開について、「療養期間が延びるからやめた方がいい」と脅しめいた注意をされる。この日の電話担当者は、タメ口、幼児視(幼児に話しかけるような態度)、一方的に話すだけで人の話を聴かない、等問題があり実に不快。大変なお役目ではあるだろうが、最低限のマナーは守っていただきたい。(不満を覚えうる程には心理的にも持ち直したことをこの時、自覚した。)
Amazonでの買い出し物、着。在宅置き配を初めて使う。「接触できないので、ドア前に置いておいて下さい」と言えば、サイン不要で置き配してくれる。配達員も慣れたもので、便利な世の中だと思った。
食料面でのストック切れの不安は解消された。私の場合、発症後4日経ってから療養期間を言い渡されたため、今さら感があるが、本来ならもう少し早めに注文・納品できるため、重要な買い物だ。
ふと、闘病記録を note 化することを思いつく。
体温上昇があったものの、37.0℃に抑えられており、安定。
服薬を再度停止。以降、発熱はなかったため、服薬なし。

9日目:7月29日(木)  <不調期>
36.9℃。
喉が痛い。咳と痰が出る。鼻水。便秘傾向は続くものの、他はほぼ治まる。喉風邪のような症状。体温上昇なし。普通に生活できている。このままいけば、月末で療養を終えられそうだ。
身体が良くなってしまえば、社会の流れに戻ることに(嬉しさはある一方)少し寂しさもあるが、生活費を稼がねばならないから仕方ない。(このことについては、終章で述べる。)
13時頃、保健所より体調確認。あと2日、経過観察。

10日目:7月30日(金)  <不調期>
36.6℃。
咳、出ない時は出ないが、出始めると止まらない。喉がひどく痛い。痰が出る。声が枯れている。鼻水は止まった。体温上昇なし。
16時、保健所より体調確認。めっちゃ待った。いつ電話が掛かってくるかわからない妙な緊張感、就活の頃を思い出した。
さて、明日の経過観察でクリアできるか。

11日目:7月31日(土)  <不調期>
36.7℃。
症状変わらず。咳、痰、咽頭痛。
14時、保健所より最後の体調確認。発熱状況と諸症状のヒアリングから、「明日から日常生活を再開してよい」との判断を受ける。
咳と咽頭痛は残っていても、感染力はないらしい。病院で咳止めを処方してもらうなど、風邪と同様の対処でよいとのこと。便秘も、多めの水分補給と運動再開によって、改善される見通しらしい。
「自宅療養証明書」を保健所で出してくれるそうなので、申請。発行は1部のみだが、コピーして使っていいらしい。「診断書」が必要な場合は、病院に別で頼まなければならない。
デルタ株の台頭により、2回感染するケースも耳にする。今回感染したのがデルタ株なら気の持ちようも変わってくるが、「何型株だったかは不明。別種に再感染する場合もあるので、引き続き注意を」とのことだった。
「ご協力いただきありがとうございました」と言われたので「お世話になりました」と返礼し、保健所との電話を終える。公的には一区切りついたものの、変わらず症状は続いている。「これで終えて本当に大丈夫なのか?」という不安、曖昧さのような感覚があり、正直スッキリはしない。

療養期間を通して、テレビは見なかった。感染初期は体力的に。変動期に入ってからは、心理的に。騒がしいもの、忙しいもの、激しいもの、色や音の多いものに触れると、あてられて、なけなしの体力が持っていかれる気がした。情報量の多いものに触れたくなかった。

本やマンガなど、情報量が少ないもの(音がない、色が限られている等)、自己判断で制御できるもの(途中で読むのを止める等)をお供に過ごした。味覚障害・嗅覚障害をよく聞くが、逆に視覚・聴覚の過敏傾向があったのかもしれない。
あとは手帳整理など、日頃の雑事残務。
掃除もしたかったが、体力を消耗しそうだったため、断念。濃厚接触者など、自身の感染がない自宅療養ならできただろう。

感覚過敏は、皮膚にも出た。(気のせいかもしれない。)
アレルギー性皮膚炎があり、痒さからつい掻いてしまうと悪化してしまうため、症状緩和のための薬を定期的にもらっている。コロナに感染してから、この痒さが増したような感覚があった。皮膚科通院直後に感染し自宅療養となったため、薬に余裕があったのは幸いだった。

ストレス解消の助けになったのが、ストレッチだ。
演劇を嗜む身体づくりとして、また健康のために、日頃の習慣にしている。体力・気力との相談で分量を調整しながら、無理のない範囲で身体を動かすことを意識した。かなり気分が前向きになる。気力のない時は、ストレッチローラーで背中を伸ばすだけでも、かなりラクになる。安価なものは1,000円程度から売っているので、持っておいて損はないだろう。
ストレッチは、それなりのスペース(できれば床)がなければできない。この点に関しては、自宅療養を選んで、文句なしに正解だった。

コロナの症状には他に、皮膚の発疹、手足の変色、下痢、味覚障害、嗅覚障害などがあるようだが、私の場合は出なかったように思う。発疹は元からあったので、「コロナの症状」としてではない。末端冷え性の私にすれば、手足の若干の変色はいつも通りのことなので、特に異常には感じなかった。

様々な症例をニュースで見るが、幸いなことに、私はかなり軽症に収まったようだ。「重症化は急に来て、危険な状態に陥ることもある。その時が来ないとわからない」と保健所から言われていたので、心からホッとした。

全体的に、急に始まって、なんとなーく「終わった、ん?終わったの?」という感じの療養期間だった。


自宅療養終了、外へ。

8月1日。
久々の外出。映画を観に行っただけなのに、頭痛がしてひどく疲れた。きっと要因は暑さ、運動量、情報量。特に街中は色、音、匂い、様々な情報で溢れかえっているので、久々の外出をすると、情報にあてられる。徐々に体力を戻していかないと、すぐに勤務や諸活動の復帰は難しそうだ。

とはいえ、外の景色を久々に目にして、解放感があった。
実は私は、思春期に2度、不登校・ひきこもりを経験している。4ヵ月ぶりに外に出た時、激甚に感動した経験があるので、10日間そこそこでは正直、この感動を超えなかった。だから「喜び」というより、「解放感」だ。
こういった経験のない人は、10日間外出を禁じられるということがほとんどないだろう。とすれば、この上ない「喜び」に打ちひしがれるかもしれない。久々に見る、外界の景色は絶景なり。もし自宅療養となった場合には、ひとつの楽しみとして取っておいてほしい。

自宅療養終盤戦は、体調が回復してきたとはいえ、気力・体力的にできない家事もあった。とりあえず、掃除・洗濯を早くしたい。ゴミを捨てたい。
残存症状と付き合いつつ、体力を回復させつつ、療養期間の後始末をすることが、まず第一に取り掛かりたいことだ。


それでもなお、影響は続く。

身体的に、いわゆる「後遺症」は出なかった。時間をおいて現れるものもあるそうだが、ひとまず安心といったところだ。
しかし、感染症で社会から隔離された影響は、なかなかに大きい。というか、多い。アレもコレもしなければ、と一気にタスクが積み上がった。

① 復帰連絡

派遣会社に復帰の連絡を入れた。
派遣先では、私以外に陽性者は出なかったそうだ。
それとは別に、実は大変な事態に陥っていたのだが、後ほど④で詳しく述べたい。

演劇学校にも、復帰の連絡。
私の陽性連絡を受け、1学期の残り授業がすべて休校になっていた。2学期が始まるのは9月で、まだ顔を合わせてはいない。しかし学校側にも、学生の間にも挨拶を入れ、秋の公演へ向けて、動き出し始めた。

② 保障請求

困るものが「先立つもの」だ。
自宅で過ごすだけなので、コロナに感染したからと言って、出費が増える訳ではない。(入院した場合、入院費が請求されるのかどうかは不明だ。)
ところが働けないので、供給が止まる。もらえるお金はもらわなければ。

まず、医療保険。
保険会社に請求し、申請書類を送ってもらう。この中に「療養担当者による証明」欄があるので、開業医に記入してもらう必要がある。

次に、傷病手当。
健康保険の加入先によっては、HPから自分で書類を印刷できる。これも「療養者担当者による証明」を開業医に記入してもらう。そのうえで派遣会社に「事業主による証明」を記入してもらい提出、という流れだ。なかなか煩雑である。

2つの書類が揃うのを待ったため、開業医に依頼に行けたのは8月7日になってからだった。受け取れたのは、お盆休院明け。提出し、保障金が手元に届くのは、さらに先のことになる。

自治体の保障関係も見てみたが、特に該当するものはない。
というより、条件や手続が複雑すぎて、申請を諦めたというのが実情だ。おそらく該当しないだろう、という程度以上には理解が及ばない。つくづく、自治体HPなんてものは、UIに配慮された大都市でなければ見れたものではない。なんとかしてほしいものだ。
(コロナ感染者に向け保障金を出してくれる自治体もあるようだが、わが市にはそんなサービスはない。)

さて面倒なのは、保障の起算日だ。
各申請書に「働けなくなった日」やら「入院した日」(=自宅療養開始日)やら記入欄がある。私の場合、7月21日に「発症」して自主的に自宅に留まり、24日に「診断」され、25日に保健所から「指示」が来た。
自宅療養の開始日をどこに置くのか? 「働けなくなった日」とは? 開業医にも記入してもらう以上、私が書く日付と認識が違っては困る。傷病手当の書類には派遣会社も記入するが、21日は勤務もしているのだ。さらには、保健所から発行される「自宅療養証明書」。これも、別の日付が書かれていたら厄介。いきなり頭脳労働が激しい。

結局、保健所の書類を待って、そこに合わせることにした。
7月24日が、自宅療養開始日ということになっていた。
さて。21日からの数日間、保障はどうなるのだろうか...?
「感染日」と「療養開始日」を別で書ける書類ならまだ安心だが、この数日間は最悪、保障対象にならない可能性もある。実際いくら保障されるかは、手元に来てみないとわからない...。

ちなみに、当然と言えば当然だが、24日の開業医受診費も、自腹だ。ワクチンは公費で賄われるが、コロナ関係の受診だからといって、公費をあてがってくれる訳ではない。

コロナ感染で死の恐怖と闘ったかと思えば(結果的に軽症に留まったが)、今度は保険行政に息を止められそうである。

③ 闘病期間の客観視

コロナとの闘病について、日が経ってからわかることもある。

療養を明けてしばらく経った頃、「キューピー・あえるパスタソース」で作ったパスタを食べていた。療養中に買った残りだ。2食入になっていて、今回が2食目。味は知っている、はずだった。
ところがどうも、記憶にある味と違う。味が、濃い!
先ほど「症状と経過」で私は「味覚障害はなかった」と述べた。そのつもりではあった。けれど、同じものを食べて濃く感じるということは、つまり「味覚障害があった」かもしれない、ということだ。

味覚障害が「あった」のか「なかった」のか、結局のところ、わからない。今さらわかっても何にもならないから、損も得もしないけれど。
いずれにせよ、軽度であったことは間違いない。「カレーの味がしない」とか「激辛料理が食べられる」とか、聞いて想像していた「味覚障害」に達していなかったため、「味覚障害なし」と認識していた。その程度に済んだことは確かなのだ。

普段の食事と同じものを食べれば、リアルタイムで障害状況がわかりやすいかもしれない。食欲や、消化のよしあしもあるので、そううまくはいかないだろうが。

他の症状や全体的傾向についても、改めて振り返ることで掴めてきた。客観視することで、2回目の感染に備えられるし、人に伝えることも可能になる。感染した方の療養苦を少しでも和らげる一助になれば、幸いだ。

④ 仕事探しと身分保証

さて。由々しき事態だが、コロナ感染で派遣切りに遭った!!
とまあ、これは半分脚色だが、半分事実だ。

派遣先とのマッチングがあって、初めて成立するのが「派遣社員」。ひとつの派遣先には期日があって、期日が来る前に次を探す。うまく渡り歩いていくことで、身分と収入を確保していく働き方だ。

身を置いていた派遣先は、7月末で契約が切れることになっていた。
コロナに感染する前の、7月中旬に聞かされた。
だから、受け止めざるを得ない。
(本来ならば派遣先には、1ヵ月前に告知しなければならない義務がある。完全アウトな勝訴案件だが、本筋と離れる今回は置いておこう。)

予定では、7月のうちに「次の派遣先」を探し、8月からそちらへスムーズに移行する...はずだった。

ところが感染しちゃったもんだから、「次」を探すに探せない!
「次」が決まらないままに、元いた派遣先は契約が切れ、見事に失業と相成った。先述のように派遣社員は、クエストで食い繋ぐ冒険者スタイル。クエストが無くなってしまおうものなら、あとは貯金との殴り合いだ。

収入だけの話ではない。身分も保証されなくなる。
派遣会社とて、人材を派遣するのが商売。派遣されてくれない人は、抱えておくだけコストになる。味方と思っていたら一転、冒険者資格剝奪の危機だ。(冗談じゃなさすぎてテンションがおかしくなってきた。)
これすなわち、社会保険の脱退を意味する。高い国民年金を払わされ、これまた高い国民健康保険への移行。手続の手間もさることながら、出費が痛いことこの上ない。働けざる者(働かざる者、ではない)に厳しすぎる社会だ。

「7月末に遡って、社会保険を抜けて下さい」と派遣会社から言い渡されたのは、療養が明けた次の週。8月上旬だ。泣きっ面に蜂を遣わせるのは...との御配慮も、してくれたことだろう。

困ったことにこの間、私は1件通院を入れていた。
期限切れとは知らないものだから、普通に保険証を差し出したし、向こうも知らないものだから、普通に3割負担で使えてしまった。
後から例の宣告である。晴れて「無効な保険証を使った人」。
10割負担を請求されるのか!? 無保険期間にあたらないか!?
ザワザワソワソワしながら、市役所へ相談に駆け込んだ。

国民健康保険への移行は、8月1日付に遡ってもらえた。
無保険状態はなんとか回避できたものの、件の診療費はどうなるだろう。
市役所職員が言うには、「前の健康保険から10割の請求が来ます。そのまま市役所へお持ちいただければ、国民健康保険から出るので、一時負担も必要ありません」とのこと。安心と言えば安心だが、「取り立て状」がやって来るのは、あまりいい気なものではない。

次の派遣先が見つかれば、今度は国民健康保険を脱退することになる。「取り立て状」のタイミングが悪ければ、果たしてどこへ出したものやら...

迷宮ぐるぐるラビリンスである。

「なるほど労働問題とはこういうのか」と身をもって体感してしまった。
「派遣なんか早々に辞めてやる!」と息巻いたはいいものの、演劇を今すぐ辞める訳にもいかない。元々、両立のために選んだ働き方なのだ。
本格的な就職活動はもう少し、考える時間を持ってからになりそうだ。

宙ぶらりんな診療費(さながら「コロナ債務」だ)をはじめ、諸々問題を抱えつつ、当面は派遣で働くだろう。

「次」探しへ動き出すものの、求人が少なかったり、埋まってしまったり、お盆休みで先方と派遣会社との連絡が滞ったりして、なかなか思うように進まない。タイミングが悪かったこともある。
8月末現在、未だ「次の派遣先」を探している。


このように、「戦後処理」ともいえる部分が、未だに山積みとなっている。
「身体面の後遺症」に対して、「社会面の後遺症」だ。

感染から10日間療養、4日で体力を戻すとして、身体の復活に2週間。
加えて2週間ほどで、買い物に出たり、仕事に復帰したり(仕事がある場合)、元の社会生活リズムが戻ってくるとしよう。
様々な「戦後処理」が落ち着くには、ここからさらに1ヵ月ほどかかると考えてよい。つまり発症から2ヵ月は、何らかの形で、コロナと付き合わなければならないのだ。

もちろん、症状の軽重や、タイミングや、働き方や、生活環境、様々な要素の絡み方によって、かかる期間は異なってくる。しかし「感染したって10日間だけ乗り越えればいいんだろ」と思ったら、大間違い。場合によっては、治ったから復帰したのに、白い目を向けられることだってあるのだ。

「熱が下がってからがコロナ本番」と、症状の観点で先に述べた。
身体の治療を終えてからが、コロナの「後遺症」本番だ。
(繰り返すが、軽症に留まったからこそ言えることで、重症化したらそれどころではない。)


「コロナ」に罹って、思ったこと。

実際に「コロナ」に罹ってみて思ったことが、いくつもある。
最後に触れて、この note の終章としたい。

① これから感染するかもしれない人へ、いくつかの提言。

  < 発 症 編 >

01.自治体の対応オペレーションは、事前に確認しておく。
死にかけている時に、複雑な行政のHPなんて読めたもんじゃない。自治体の広報誌など紙媒体は、掲載情報も限られる分、案外わかりやすいです。

02.ToDoリストを作っておく。
すべて一人での対応になります。エンディングノートではないけれど、「もし感染したら、この手順でこれ」と用意しておくと、自分が助かります。

03.楽しみを持っておく。
療養中の楽しみ。療養が明けてからの楽しみ。めったにできないことができる機会でもあります。前向きになれる楽しみを持っておきましょう。

04.コロナと付き合う期間の長さを、想定しておく。
思っているより長いです。療養明け翌日から仕事とか、まず無理。体力を戻す期間、手続する期間、諸々勘案の上、無理のない復帰スケジュールを。

  < 習 慣 編 >

05.体温を測る習慣をつける。
わかりやすく現れるのが、発熱症状。変化に気付けることが重要です。「異常」に気付けるように、「平常」を知っておきましょう。

06.体調不良を感じたら、症状を記録しておく。
コロナかどうかは別として、記録しておきましょう。自己モニタリングにもなりますし、保健所から聞かれてイチから思い出すのは、なかなか困難。

07.ルーティーンを持っておく。
生活のペースメイクになるし、平常心に戻るリセットトリガーにもなる。何でも構いません。1つでもあると、療養中の安定感が違います。

  < 環 境 編 >

08.ストック(食料品・医療品・生活用品)を作っておく
災害関連でよく言われますが、まさに災害級の備えをしておくことが重要です。「後で買う」リストに入れておくのも、スムーズでしょう。

09.診察券・保険証をわかりやすいようにしておく
日頃使っていないと、行方不明になりがちな診察券。すぐ取り出せるよう、整理しておきましょう。実家などに置いている人は取り寄せを。

10.かかりつけ医を持っておく
持病や服用薬など、把握してもらっている方が適切な処置を受けられます。通わなくとも、近場の病院は調べておいた方がいいでしょう。

11.医療保険に加入しておく
ポイント払いができたり、数百円から加入できるものもあります。コロナ禍収束までの間だけでも、加入しておきましょう。安心感が段違いです。

12.必要な電話番号を登録しておく
病院・保健所・職場などは事前に登録しておきましょう。調べる手間が省けますし、体調が悪い時、出る必要のある相手かどうか判別できます。

② 少し大きな視点で、思うこと。

・1週間休暇、自由に取れたらいいのに。
元々「おうちじかん」を好む性格であり、非常時の方が本領発揮できるタイプの私にとって、療養期間はネガティブな時間ではなかった。むしろ、ゆっくりと自分の時間を取れ、日頃溜めていた雑事や、じっくり考えたかったことを考える契機になった。余計な荷物を下ろす機会にできた。
この時間を持てたことで、復帰してからの時間の使い方が有意義になった気がする。リフレッシュにも投資にもできるので、自分の意思で取得できたらどれほどいいか。もちろん、体調が悪くない時に。

・感染リスクに対する感度を、取り戻してほしい。
感染した「実績」が自分にできてしまってから、「どのタイミングで感染した?ここか?あそこか?」という目で、日常のあらゆるシーンを見るようになった。感染リスクに敏感になった。
思い返せば1年半ほど前、誰もがそんな感じだったと思う。ところが、経てしまった時間の長さもあり、度重なる失政もあり、多くの人が「鈍感」になってしまった。あるいは、ならざるを得なかった。
「誰がなってもおかしくはない」から「誰が重症化してもおかしくない」にフェーズが上がってしまった今、重症化したら、助かるかどうかわからない。だからそもそも、感染しないに越したことはない。
問題を孕みながらも一応はワクチンが進み、少しずつトンネルの先が見えてきた今。今だからこそ、改めて、敏感さを取り戻してほしい。

・「感染対策」と「自粛」はイコールではない。
「もし重症化して、もし病床がなかったら、死ぬな。」療養期間を通して直面した感想だ。「もし」に当てはまるかどうかは、運次第。当てはまっても死なないためには、医療崩壊回避が唯一の道。そのために一市民の立場でできることは、徹底した感染対策しかない。
一番は「外に出ない・食べない・遊ばない」いわゆる「自粛」なのだろうけど、政治が何もしてくれない以上、経済は経済で回さなきゃならない。経済を回すことは、悪いことじゃない。ところがなんとなく「感染対策=自粛」の過剰な等式が、「経済を回す人=感染対策しない人」という誤った等式を呼んでしまって、本来必要ないはずの「開き直り」を生んでしまっている。一度「開き直って」しまったら、「(必要だから)ルールを破る」という感覚で当事者も周囲も受け入れてしまって、「(経済を回さなきゃいけないから)感染対策は万全でなくてもよい」というロジックにすり替わってしまっているケースが、身の回りには溢れているなと思った。これは非常にリスキーなことだ。
それに「対策慣れ」してしまって、惰性になっていることも多い。今に始まったことではないが、表向きだけ掲げて実態は違うとか、無意味なことを「万全です」と標榜するとか。きれいごとに聞こえるかもしれないが、それで万が一、誰か亡くなった時、「開き直り」をせずにいられるだろうか。極端な話、人間としての一線の淵に立っているような気さえ、する時がある。
改めて、「自粛か、経済か」の過剰対立構図から脱して、「感染対策ができているか、いないか」のもと動く社会になればいいのにと切に願う。

・全有権者、選挙に行け。マジで。
なんだかんだ言って、最終的に私たちは、行政に従うことになる。
どこで療養するか。過ごし方は選べるか。罰則が科されるか。充分な医療を受けられるか。
結局は、ルールがすべてだ。ルールを決めるのは、政治だ。政治を決めるのは、有権者だ。だから、票を投じなければならない。大きく考えれば、わが身を縛るものは、自分がした/しなかった意思表示なのだ。
実は療養が明けてから、私の住む自治体で選挙があった。首長が変わってしばらくするとHPが改修され、「この場合、自分は何をすべきか」の情報が得やすくなっていた。生活に直結していることが、よくわかる例だ。

・戻るな、進め。
メディアでよく「いつになったらコロナ前に戻れるか」という言い方を耳にする。けれど「コロナ禍の前に戻る」というのは、グランドデザインとして適切ではないように思う。
個人レベルでも社会レベルでも、価値観や求められるものが変わった。変わった場合もあれば、元々あったものが見つめ直された場合もあるだろう。いずれにしても、コロナ前の社会を「理想」に置いて「戻る」のではなく、これから実現したい社会を「理想」に置いて「進む」流れに、風向きが変わってほしい。私は喜んでそこに加わりたいと思う。

③ 敬意。

自分が感染して、感染者とその周辺への見方が、よりリアルになった。
医療の現場もさることながら、保健所の緊迫感も感じ取れた。毎日掛かってくる電話越しに、他の職員が掛けている電話の声や、所内でのやり取りが漏れ聞こえてくる。非常にリアルだった。

関係各所の対応速度がめちゃくちゃ速かったのも、印象的だった。
医療関係のみならず、職場や学校。「感染への対応」という「作業」にこなれてきている感じだ。ここに至るまでに、多くの検討を重ね、責任と向き合ってきたのだろうと思うと、ひたすら頭が下がる思いがする。

私が好む、演劇やアイドルの業界にも、多大な敬意を抱いてやまない。
客離れと経営に頭を抱えながらも、安全第一に都度「中止」「延期」の判断をする主催者。そうなるとわかっていてなお、誠実に発症を報告する演者。めちゃくちゃ勇気のいることだと思う。
私は結果的に軽症に終わったし、たまたま背負うものもなかった。あったらどれほど苦しいだろうか。コロナ禍初期には白い目で見られ、今も業界全体が冷や飯を食わされている、冷や飯にすらありつけないような状況の中でなんとか続けてくれているみなさんに、絶対に恩返ししたい。

絶対に誹謗中傷なんかするな。ありえない。
あんたらの不安もストレスも、彼ら彼女らとは関係ないから。


おわりに

病気と政治と社会構造にそれぞれ殺されかけた、コロナとの闘い。
まだまだ影響は続いているものの、
結果的に軽症に留まった私は、めちゃくちゃラッキーだった。
療養を通して見えてきたものには、新しく生まれた価値観もある。
元々自分で持っていて、浮き彫りになった価値観もある。
うまく活かして、これからの生活も送っていきたい。

最後に、一日も早いコロナ禍の終息...
なんて言うのもウソくさいような世の中だけれど、
せめて1人でも多くの命が助かり、安心できる日が来ることを待ち望む。
ささやかな1人のアクションとして生まれたこの note が少しでも助けとなり、不安や療養苦を和らげることができた人がいたとすれば、幸いである。



令和3年、パラリンピックを終えたばかりの、秋に。

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