24/2/16- カレー、メモ、メモ
2月16日
ライオンシェアのホタテキーマが美味かったから一人でじっくり食べたい!新宿から歩いて行った。いつも誰かと来るから、なんか美味いけどじっくり味わってない気がして、今回一人で来たのは意味があった。美味さは変わらない。先週、そこのソファでYたちとご飯食べてたんだよねと誰も座ってないソファ席を見た。改めて素敵な店だ。音楽も良い。ライスハーフにしたけどお腹はパツパツでした。また新宿まで歩いた。"となりの雑談"を聴きながら。自分のプール、責任持って好き勝手したほうがいいという話。
2月17日
「こちら、すごい丁寧でよかったです」と、私と年代が近そうな患者さんが歯科医院の受付に伝えてて安心した。私はほとんどこの歯科しか知らないからだ。
「以前はQ病院ですよね?」
「はい。でもそのつぎは◯◯で。なんか軽く処置するだけで終わっちゃって。でもこちらはすごく丁寧です」
「それはよかったです、院長にも伝えますので」
歯のクリーニングいつもしてくれてるナントカさんとのお喋りは楽しい。
「クララさんいつも髪型素敵です〜。私、この前ベージュやってみようと思ったんですよ、そしたら、ちょっと明るいんじゃないんですかあ?ってなって、ピンクにしたいと思ってピンク入れてもらったんです。そしたら、あれ?なんか…叶姉妹みたいなピンク?わかります?」
「はいはい、なんかこう、わかります。上品じゃないっていうか」
「そ〜うなんですよ〜なんかこうアッシュみたいなピンクじゃなくて…」
「絶妙じゃない色みたいな」
「そうなんですよ〜ずっと行ってる美容室で…カットは良いんですよ、でもカラーがね…やっぱ今風のところに行ったほうがいいのかなあ…」
またいつもの調子でいっぱい喋っちゃうナントカさん。近々、退職されることを知り、寂しくなりますと話した。今日も丁寧にクリーニングして頂いた。気になる着色のところだけヤスリみたいなので落とし、全ての歯を歯茎チェック、フロス2種、超音波磨き、仕上げにブラシでブリブリ磨き、何行程も行う。この人にやってもらうの最後だったかあ。来月私は治療予定だから、最後に改めて挨拶ぐらいはできそうだ。
道草。障害者福祉施設で作られた商品の販売イベントに吸い込まれた。施設利用の人は、たとえば縫い物を機械のように真っ直ぐ縫い続けることができたり、絵だったら上手な人には描けない芸術性があったり、集中力がすごい、そんな人が中にはいる。それをこういった形で商品化したり作品として売ることで社会につなげる、というとなんか分けちゃってる言い方でよくないかもだけど、今はそれを試みているとき。福祉施設とは別に、商品化にはそういう別の事業所がアイディアにつなげている。福祉施設側は、それ以前の、そもそもの彼らのケアが本業であり、それで手一杯だから、外部が外に出すという感じ。でたとえば絵画などの作品となると、値段の付け方もまた様子見らしく、それはたとえばここに来た消費者の感想や意見をもらって再考していく。試みの段階らしい。私も消費者としてこの途中に接することができたのは嬉しく感じる。消費者にとっても、製作者にとっても新鮮なのだ。
またここは立地的に、この取り組みを広めるのにとても良いそうだ。江戸時代からの歴史的な背景のある、チェーン店がほぼない昔からの個人店が現役で残るこの商店街は、ゆっくり散策に来てたまたま通りかかった人が立ち寄ることが多いそう。みんな興味を持ってくれる、リピーターもいる。つまり客層がいい。近くに、もう少し人がおおくチェーン店も並ぶ商店街Bがある。もし商店街Bのようにもう少し人が集まる場所でやるとしたら…こんな風にはできないだろうと。人はたくさん来るだろうけど、じっくり見ず、あまり知らずに帰られてしまうと思われるからだ。
コロナ禍は在宅勤務者や出かけない人が多かったから、まさにこの近くに住んでいる人たちばかり、ローカルオブローカルで人と接する、そんな心地よさがあったそうだ。今も商店街自体が以前より栄えていて人通りがある。昔からある店が存在してるのも今だし、もしかしたらこの心地よさは今だけなのかもしれないし、良いようになっていくのかもわからないし…と、売り場の方は話す。また、こういう取り組みはコロナ禍ではなかなかできなかった。どうしてもSNS主体になるし、そうするとちょっとしたワードで炎上や喧嘩のリスクが出てくる。たとえば作品について「面白い」と言っただけでなにか言われちゃうんじゃないかとか…「ネットでの口論、ほんとあれだめですよね」「攻める側は、完全に目的が相手を論破させることなので、どんなにそれに対してカロリー消費して意見を述べたところで、相手の意見は変わらない。消耗するだけ。そんな人たちを面と向かって対話させたい。論破させる側は日頃あまり話さない人である可能性もありますし」こういう場に来る人は、そんな目的は持たないし、対話がちゃんとできる。意見が違うところがあっても説明する余地がある。また障害者やそれに関わる人に対しての受け止め方は世代によって違いがあり、特に高齢の方にはこれが引っかからない。「大変ですね」と、苦労を買ってやってるかのように言われてしまう。そんな風に見られることが親御さんにとってはすごくつらいらしい。(発言の要因はしばらくそういう社会だったことが大きい)それより下の世代になると、哀れみの前提はない。もちろんここまで楽しくやっていても本人やその関係者は、信じられんくらい大変なことは確かにある。クッキーと、うさぎのポストカード2枚買った。
「いい人生を送るにはどうしたらいいですか?」小学生からの質問に養老孟司がこたえる。「とてもシンプルですが大事な質問ですね。私には自分の人生がいいものなのか今はわかりません。なぜならこれまでいい人生だったとしても、これから悪いことが起きればそれが逆転する可能性もあるからです。だから人生は終わってみないと、それがいいものだったかはわかりません。しかし本人が死んでしまっては決められません。(わかったとしても誰かに伝えられない?)そうすると周りの生きている人たちが、それがどんな人生だったかを見ることになります。でも人生の善し悪しを、本人ではなく他人が決めるというのはおかしなことですよね。(中略)私は、まず目の前の必要なことをやって、そのほかに昆虫に触れるなど好きなことをします。好きなことをしていると無心になれます。自然の中へ行くと、それまで見えなかった虫たちの動きがわかります。そのとき私は無心になることができます。常に無心にならなくていいです。たまに無心になればいいです。そうすれば、いい時間を過ごせるのではないでしょうか。」みたいな回答。
2月18日
寝ている間や寝起きに考えたが、お腹の中の赤ちゃんは夢を見るんだろうか?夢は今まで見たことあるものを蓄積してる脳内のライブラリから映像を作るが、まだ犬も海も人の顔も見たことない赤ちゃんが夢を見るとしたら、それらの素材は使うことができないはず。でも太古からの生物の形を再現しながら人間の形になった赤ちゃんにはなにか記憶がありそうだし、母親の記憶からもしかしたら夢の素材を作っていそうな気もする。記憶は、脳だけが所有するものではないからだ。
喫茶。Pさんドリップのデミフレンチを頂く。ガツン!いやー濃いわー毎回新鮮に濃いなーと思うけど飲み終わりはやはりミルクを飲んでいるような感覚になり、美味い。
4人組、耳の聞こえない方たち。一人は一番聞こえて話せるようでいわば通訳のよう。筆談で対応。じっくり考えてたのでその場を離れたが、やがて一人がスマホに注文の文字を打って見せてくれた。わかりやすい。私は、ありがとうという意味に捉えてくれるかなと思う自分なりの手話で、承知したサインを送った。彼らは手話でずっと会話してて、よく笑ってて楽しそうだった。笑い声だけで賑やかになっていて、どんな話をしてんだろと思う。手話か。あまり必要性を優先してこなかったが、ありがとうとか基本的なことぐらいは知ったほうがいいかもと思った。
ありがとう…左手の甲に垂直に右手の小指側を振り下ろしてバウンド。
お手洗いはあちら…手を擦る→場所の方向を指差す
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