竜宮城下北沢

5月10日

珍しく路線バスに乗る。夕方の環七はコンテナパレードで、いろんな船名のでかい箱とすれ違った。コンテナは北方向に流れていった。夕暮れの空が淡く美しい。
友達が店番やってるお店に、魚沼産の干しぜんまいを渡しに行った。友達は私が今日来ることを忘れていたが、「このあとご飯食べに行こう」と誘ったら両手を上げて喜んでいた。友達が店を閉める作業をする間に、店内をまじまじ眺めて、退屈しなかった。

店を出て下北まで歩く。下北沢駅、また以前の面影を無くして生まれ変わったエリアを見て、驚いた。

「ええ、こんななってたんだ…浦島桃太郎だわ」

正しくは浦島太郎だった。友達には、あえてそう言っているのかと思われていた。「ハイブリッド日本昔話」だと爆笑される。

友達が最近、ハンセン病資料館に初めて行き、それがとても良かったとのこと。見てただ重苦しい気持ちになるのではなく、ハンセン病で差別されてきた人たちが動いて、国が動いて法案まで出来たという事実までをちゃんと伝えていて、希望を持たせながらも、心は厳かでいるような、そんな良い資料館だったと。見た情報を、話してくれた。

駅前のミカン入った。こういう最近の新しい施設に対して私は、下北らしくないとか、どうせ高いのだろうと否定的に思っていたけど、台湾料理の店はリーズナブルで、本格的に美味しくて好感を持った。

先月、沖縄に行っていた友達の感想を聞きたいと思っていたけど、聞かずとも話してくれた。あんなに、いろいろどうでもよくなるぐらいきれいな海が広がっているのにそんなところに基地を建設したり、軍用機も飛んでいて、なんでそうなるのか、おかしな気になると話していた。沖縄に行って、戦争が近い実感があるというのはそういうことだったんだ。私だってニュースを見るたび、メディアが軍事力に頼るよう煽ってるなーとか危惧はするが、沖縄の人は実際、生活の中で肌で感じて暮らさざるを得ない。そんな風にしているのは、現地に訪れたことがないかもしれない、安全で便利な暮らしをしている偉い人たちだ。友達は、座り込みをしている人たちも見たそうだけど、とても分かり合えそうになさそうだと話していた。対話の場が無い。
でも沖縄は基地で働いている人もいる。そこに頼らざるを得ない背景もある。

最近あらゆる法案が、ボロボロの内容なのに急ごしらえで進められている。どれだけ騒いでも、多数決で賛成する側が聞く耳を持たなくなってるように感じる。先ほどのハンセン病の話を思い出すと、20年前はまだ聞く耳があったのかもと思ってしまった。(もちろん長年の放置や、闘いがあり)
今はどうだろう。なんだか、うーんうーんと考えても明るくなる答えが出ず顔の筋肉が下がってしまうのだが。

でもお店出たら友達が「あー楽しかった」と言ってて良かった。電車に乗って一人になっても、駅を降りてからも、考えた。渋谷駅で岡本太郎の絵画「明日の神話」をくぐる。これは、原爆や第五福竜丸の描かれた絵画だ。そこには悲しみだけでなく、爆発して良し悪しもわからない新しいなにかが誕生していて、そこから、それでも物事が良くなっていく希望を描いたようなことを、HPで調べて知った。

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