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間違う前に考えたいこと
■0:まとめ
1~6の項目で論じられている文章をまとめます。
1:人は望んで間違わず、行動は常にその人が正しいと思った結果だ。
2:完全な間違いはなく、行動は常にどこかで利を生み出している。
3:正解には質があり、2つの考えは正解と間違いではなく、正解とより良い正解だ。
4:完全な間違いを生むのは、知識と調査の不足だ。
5:間違いを指摘する人は、1~4を理解していないことが多い。
6:感情で間違いを選択することはあり、感情を理解しないことが感情論だ。
■1:人は望んで間違わない
人は自ら進み、望んで間違いを犯しません。それは人が本能的に「無」を恐れるからです。無とはゼロとも言えます。行ったことが無意味になること、得たものを失うことを恐れます。何か行動を起こすということは、それが自分にとって良い方向に繋がるだろうと期待し、想像できた結果です。
■2:完全な間違いはない
例えば、よく国家の政策が批判されることがありますが、国家を動かす人間は誰も国の滅亡を望んでいません。政治家も役人も、己と己が定義する国家にとって利となる行動を起こしています。例えば、大きな国家的イベントで汚職が起き、一部の人間が私欲を肥やしたことも、間違いではありません。
汚職は間違いに見えます。しかし、汚職によって利を得た人間がいる以上、それは利を得た人間たちにとっては正しい行動でした。これは、行動によって得をして欲しいと考える層の選択が、行動を起こした役人と、行動を見る国民で違うためです。また、ほとんどのケースで役人による汚職は法律に違反する犯罪です。しかし、それは汚職という行動が間違いである理由にはなりません。
ここで改めて、汚職という行動を起こすメリットとデメリットを考えます。
○メリット
・自分と周辺の人間が即座に大きな得をする。
○デメリット
・国民が潜在的に損をする。
・汚職が露呈した時に、自分と周辺の人間が世間からの感情を大きく損ねる。
・汚職が露呈した時に、自分と周辺の人間が法の裁きにより極めて大きな損をする。
このように、汚職には即座に得られる明確なメリットが存在しており、一方で、デメリットは無視できる可能性があります。これを照らし合わせ、メリットが大きいと判断した結果、役人は汚職を行います。メリットが存在している限り行動は完全な間違いではなく、部分的に正しいことであったと言えます。行うことが出来るのは、汚職に関わった人間がデメリットとしてあるものを正当に受けることを応援し見守ることであり、汚職を行った人間を攻撃することはただの感情論です。
■3:正解には質がある
正解とは無数に存在し、正解には質が存在します。それは、たった1つの完璧な正解は存在しないためです。
例えば、Aさんが100円得しBさんが50円損することは、Aさんの視点では正解であり、Bさんの視点では間違いです。この時、Bさんが「この行動は間違っている」と主張することは、主張自体に間違いはありません。一方、Aさんの100円を損し、Bさんが50円得することも、逆で同じことが言えます。しかし、前の例は世界経済前提で50円増えており、後の例は50円減っています。これは、前の例がより質の良い正解である言えます。
もしもこの2つの施策から1つを選ぶ場合、世界経済全体で見れば、Aさんが100円得することを応援するべきでしょう。おそらく、ほとんどの人間はこちらを応援します。しかし、Bさんと仲の良い人だけはBさんが50円得することを応援します。
ここでの登場人物はすべて正しい人間ですが、往々にしてAさんが得することになるでしょう。そう終わったとしても、BさんがAさんを批判することは正しいことであり、Bさんを応援した人たちを間違いだと責めることはただの感情論です。
■4:本質的な間違い
このように、ほとんどの間違いに見えるものは、立場・視点が生む感情によって、間違いに見えてしまうものです。戦争ですら、起こす側には起こす側なりの正義があり正しさがあります。その中でも、希少な本当の間違いが存在します。それは、行動の前提となる判断材料を見誤ることです。
例として、戦争のメリットとデメリットを考えます。
○メリット
・勝利すれば勝利の規模と速度により経済的に大きな得をする。
○デメリット
・勝敗にかかわらず世界的な立場が悪くなる。
・敗北すれば経済的に大きな損をする。
このように、戦争の正しさは、勝利の規模、速度、そして確率によって担保されます。そのため戦争を起こす場合、両国の軍事力を正しく見極める調査が必要です。この調査が不十分であり、勝てない戦争を起こしてしまった場合、はじめてその戦争が間違いと定義できます。これは、ビジネスでも全く同じです。間違いを起こさないためには勉強と調査が重要であり、無知と暴勇は間違いに直結します。
■5:間違いを指摘する人
本当の間違いはほとんど存在しないものの、間違いを指摘する人は世に溢れています。そんな彼らについて考えます。
まず、ほとんどの間違いを指摘する人間の心理は「相手を否定し自分の正しさに酔いたい正義感」です。SNSなどのネット上ではほとんどがこれであると言えます。特徴として、「相手の正しさ(存在しているメリット)を認めず、相手の行動は完全な間違いであると論じる」ことが多く見受けられ、それはただの無意味な感情の暴走です。また、間違いを指摘する行動も、それ自体を間違わないように勉強と調査が必要です。しかし、ほとんどの指摘者達は勉強と調査が足りていません。主張のほとんどが感情論で終わります。
一方で「相手を正しく導きたい親切心」も間違いの指摘の心理となります。こちらは多くの人間が、しっかりと勉強と調査を行っているか、最初から専門です。しかし、その中の指摘の一部は、指摘される人間の視野狭窄や感情の先行によって無視されます。
無視されずに間違いを指摘したい場合、まず相手の考えに部分的な正しさがある完全な間違いではないと認めた上で、より良い正解があるとして代案を提示することが望ましいとされます。そういった指摘は、指摘される側にもありがたく、視野狭窄や感情の先行で終わらない可能性が高くなります。
■6:間違いと感情論と正論
人は感情の生き物であり、長期的に損であるとわかっていても、目先の利益に飛びついてしまいます。それ自体は、目先に利益がある以上、間違いではありません。また、長期的な損であると理解した上での行動であれば、それはその人にとって納得の上での正しい行動であり、それについて「間違いだ」「より良い行動がある」と指摘することは、それ自体が感情論です。
そういった感情論は、よく「正論」と呼ばれます。正論と感情論は相反するものに見えますが、実際のところ、相手の事情や感情を無視して正しさだけを押し付ける論が正論と呼ばれ嫌われ、本当に相手の感情を配慮した正しい考え方は、正論だなどと呼ばれず、感謝されて終わります。
すなわち、真にやっかまれる感情論とは、感情が暴走した論というよりも、自分の感情が暴走した結果相手の事情と感情を無視する論であると言えます。
感情はエネルギーであり、それによって動くことは否定されるべきではありません。しかし、その結果、相手の感情を無視したり、勉強と調査が不十分のまま動くことは、ほとんどが良い結果を起こさないと言えます。
■おわりに
読了ありがとうございました。
私は、ここで語った考え方を自分の中にある一本の芯として人生をやり直しています。この考え方で生きることは、最終的に後悔をしない結果に繋がると信じており、この考え方で生きられない人々が、損をしてしまったり、他人の足を引っ張ってしまう人なのではないかと考えています。これから、同じ考え方で動く人々が生きやすく、足を引っ張られにくい環境が作れるよう、アプリやAIの開発と、コミュニティの設立を行っていきます。共感された方は、DMなりいただけるとうれしいです。
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