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ブロガーを極めた男が、いまさらYouTubeをはじめた5つの理由!!―嫉妬とか闘争心とかいろいろあるよ

お疲れ様です、pontaです。

思うところあり、1か月前、YouTubeチャンネルを開設しました。今日はその「思うところ」を言語化したいと思います。

▼文章だけのキャリアに頭打ちを感じた[ポテンシャル]

僕は文章を書くのが得意と思われていて、ありがたいことに、そのスキルはいろんな人に認めてもらっています。ライターとしても、すでにバイネームにて、ちょっと高めの単価でやっています。つまり、100点満点のうち、80点のところまではきていると思うんですよね。書き手としては。

でも、この先、たくさんいい文章を書いたとして、キャリアポイントを90点まで貯めるのはハードモードじゃないすか?めちゃくちゃ大変なわりに、得られるリターンはそこまでではない。売れない作家がせいぜいかなって思っています。

別に僕は文章で生きていきたいわけじゃなくて、そのむこうにたくさんの人が心を震わせているから嬉しいのであって、震わせるツールは問わないのです。

その点、YouTubeはたくさん人が集まっているので、今はここかなと思いました。

そしてYouTubeでたくさん人を集めたあとで、文章を書いたほうがリターンは大きいと思っています。

文章で人の心を打つには「何を書くか」より「誰が書いたか」の方がさらに大事だと思っています。

ひらたくいうと、無名人の名文より、米津さんやキンプリ平野くんの「みんな、だいすき!」のツイートの方が、いろんな人の心を震わせられるのです。ましてや、著名人が名文を書いたら手が付けられません。それを無視するのも、作り手として傲慢かなって。

自分の文章力という武器を捨てたわけじゃなく、より付加価値を付けたいなと。google検索が死んでなければ、文章だけでいくのもいいんですけどね。

▼ブロガーやライターより、YouTuberの方が扱いが良くて悔しい[嫉妬]

エンタメ業界で働いていて、YouTuberの扱われ方って、めっちゃいいんですよね…。待合室とか、ギャラとか、気の遣われ方とか。

もちろんライターやブロガーが軽んじられているわけではないですよ。

ただランクが違うっていうか…。希少価値とか、人気度とか、もろもろの差ですかね。ぼくも業者側としては超理解できます。影響力を考えるなら、文章を書くだけのやつより、動画で顔を出して人に人気がついてるやつに手厚くしろよって思います。だから、不当だと思ったことはないです。

むしろ、その理屈がよくわかるだけに、なんか悔しくって。そのリソースをそこに使うなら、10分の1のリソースさえあれば、俺がもっといい仕事するのに!みたいな。

いや、若くて綺麗なタレントさんとか、ゲームがうまい人とか、めっちゃトークスキルがある人ならいいけど。「あれ、こんな〇〇な素人YouTuberより、俺の方が頭良くて面白いこと言えるだろ…?」みたいなことがごくまれにあってモヤったりするんすよ。(みなさんの知らないような人です!ご安心ください)

僕はあまり欲がなくて、だいたい、あるがままで満足しちゃう性格なんですけど。こういう不満は貴重というか、せっかくの不満は大事に温めてパワーにすべきだなと思いまして。

▼「創造的人生の持ち時間は10年だ」に同意する気持ちと、反対する気持ち[闘争心]

宮崎監督が映画『風立ちぬ』の中で、「創造的人生の持ち時間は10年だ」と登場人物の口を借りて言っておりました。

「創造的人生の持ち時間は10年だ」といいつつ、何十年も映画を作り続ける宮崎監督

これ、僕めちゃくちゃわかるんですよね。何かを創りだすときの、湧き上がるような衝動というのは、続いて10年です。

ぼくはすでに40代半ばです。そして、自分の中を深堀してみたときに、世の中にブロガーとして訴えたいことはなくなっていることに気づいています。

すでに、創造的人生を、使い切ってしまったのです。すごく寂しい。

いっぽうで、振り返るにぼくはこれまで、3回の創造的人生を過ごしました。

1回目は10代のとき。ハガキ職人として、ラジオ番組をいくつも荒らしました。4年間くらいかな。放送作家にも誘われたんですよ。断っちゃいましたけど。

2回目は20代のとき。ゲームの攻略サイトを作成し、知る人ぞ知るの存在になりました。これも4年くらい。

3回目は30代のとき。クラクラというスマホゲームで、ブロガーとなりました。これまた、4年間くらい。

いずれも飽きてやめちゃったんですが、どれもすべて自分でいうのもなんですが、ある程度、成功しました。

合計すると、12年はものを作ってるんですよね。たぶん、ひとつのジャンルだと創造的人生に限界は確かにあるんですが、角度や場所を変えればまた新たにものを作れるんだなと思っています。

近年は、「クラクラのブロガー」という言われ方もつらくなってきていて。過去の栄光にすがってる人っぽくてさ。最前線で戦いたいのに、終わった人みたいになっているのはきつすぎる。だったら、雑巾がけからはじめる下っ端配信者のほうがずっといいです。

「昔、勝った人」より「いま、苦戦している人」のほうが、自分で自分を好きになれるんす。

▼「好き」を起点にしない自分を試してみたい[ロジック]


いまYouTubeチャンネルにおいて私が題材にしているスマホゲーム「信長の野望 覇道」はもともと「好き」を原動力にしていません。1か月やってるうちに好きになりましたが。

見よう見まねで作っているサムネイル画像

もし題材を選ぶ基準を「いちばん好き」にしていたら「信長の野望 新生」というコンシューマーゲームのほうを題材にしていたと思います。

でも、いま多額の宣伝費をかけてテレビCMをやってるのは「覇道」で、検索ボリュームも多いので、あえてこちらを選んでいます。

これまでの僕の創造的人生は「好き」が起点になっていて、それは強みである一方で限界も感じていて。

だって「好き」って強いけれども再現性がなくないですか?「好き」じゃなくてもバリューを発揮できたら、それはプロじゃないですか?

また、30代後半~50代の、SLG ゲーマーをターゲットにした配信者のポジションがYouTubeでは空いているので、そこはブルーオーシャンだなとも感じています。

「マイクラ」が女性や若者が殺到するショッピングモールだとしたら、「信長の野望」は、おっさんが集い群がる工場のようなもんで。モールにレストランを出すよりも、工場に小さな弁当屋を開いたほうが、僕は勝てそうだなと。

その属性の視聴者さんに対して、誠実に、顧客目線で情報を提供していったとき、半年後、どうなるかなという実験みたいな感じでいまは楽しんでいます。

▼本業の解像度を上げつつ、YouTuberへの共感を高めたい[成長]

僕の本業はYouTuberのアテンドやコンサルです。

でも、「動画更新ができません」と言われたときに「そういうものか…大変だもんね…」とか腰が引けちゃうことがあるんですよね。

動画更新とかどれくらい大変かわからないし。無理させるのも悪いし。

でもこれからは「俺は3人の小さい子供を育てて、本業も副業もあって。風呂も入れて夕飯も作ってる中で動画を毎日更新してるんだけど?君はやれないんだ?」「伸ばすのは難しくても、更新だけはできるよね?」と言えたら強くないですか?

対象の立場にきちんと寄り添いながら、知識を深めながら、理解と共感性の暴力で殴りてぇんだよ…。


[YouTubeマイルール]

・1日に1時間はYouTubeに時間を使う
・1日に1時間以上YouTubeに時間を使わない
・半年間は毎日投稿する
・成功するかどうかはどうでもよい。やるかやらないか、それだけ


そんなわけで、したっぱからやらせてもらっています!!!ぜひご登録お願いします!!!

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