育ての母に「育ててくれてありがとう」とカーネーションを贈った話
母の日ということでインターネットサービスを使って、群馬の叔母にカーネーションを贈った。
少し泣きながら、お礼の電話が返ってきた。
私には三人の母がいる。
実母、義理の母、そして育ての母だ。
実母は仕事デキ子だったが、共働きだったので帰宅が遅かった。
なので彼女の姉である私の叔母が、下校後の私のサポートをしてくれていた。
自分が親になってわかるのだが、ワーキングタイムの間、育児、家事をしておいてくれる身内の存在は神である。
こればかりは公的サポートやお金でもフォローしきれない部分がある。
実母の記者としての華々しい実績は、育児の大部分を自分の姉に任せていた環境も大きかったのだと思う。私も育児世代で理解が深まり、改めて叔母には感謝の念を強くしている。
そんな私は、もう40歳なかば。下の世代のほうが多くなってきたけれども、群馬にいるこの叔母を思い出すときは、子どもの自分になれる。
働き始めてから、先行きのない会社で安月給に悩んだとき、取引先でひどい扱いを受けたとき、パワハラで病みそうになったとき、叔母に電話かけて他愛のない話をして甘えては救われてきた。
同僚や友人、何なら妻にも見せられない弱い顔をさらけ出せる唯一の存在であった。
江戸時代の小説だか浄瑠璃だかで、実母と義母、育ての母の3人から選ばなきゃいけない主人公が、結局は育ての母を選んだ、みたいな話が記憶に残る。
なんちゅう選択肢だとは思うけれども、気持ちはわかる。やはり、血のつながりもなく無償の愛情を与えてくれた存在のありがたみは、年をおうごとに重くなっていく。
私の実母は20年前に亡くなって、父の後妻に入った義母も他人行儀な仲ではあるので、私が甘えられるといったら、彼女しかいない。
そんな叔母は88才か90才。彼女の夫も去年、亡くなった。
あと何回、私は彼女に会えるだろうか。それを考えると、たまらなくなる。
叔母は電話の中で「私がいなくなる前に、私の家にある、あなたの小さいときのアルバムを渡したい」と言っていた。
40年もずっと大切に持っていたものを手放すその意図がつらい。終活というやつだろうか。
そんなことを言わないでほしい。
ただそういう限られた時間の中で、今年、カーネーションを送り、電話ができたのは、とても良かった。
タイパだかコスパだかが、最高に良いことをした。
今回は「育ててくれてありがとう」という言葉をカードに入れて送ることができた。
どんな言葉を並べても、伝えきれないというか、うわべっぽくなる。そんなときに頼れるのは「ありがとう」という言葉であり、花束である。
頼もしい。
なんだってやり直しがきく人生で、やっぱり、ありがとうと言うべき人に、言わないで終わることだけは取り返しがつかないので。
自分の気持ちの1億分の1でも伝えられたのは、それはまあ、良かったなとは思った母の日だった。
どうか、いつまでもお元気で。改めて、育ててくれて、ありがとう。
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