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そう、しゃかりき働いていたとき、私は本が読めなかった。

 話題の本「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(集英社新書 三宅夏帆 著)を本屋さんで見つけ購入しました。この本はタイトルからして「そうそう!」と膝を打つ感じで、前から気になってました。
 読んで考えたことを、つらつらと書いてみました。


そう、しゃかりき働いていたとき、私は本が読めなかった。

 子供の頃から割と本好きだった私は、学生時代も暇なときにちょこちょこと小説や雑誌を読んでいました。しかし就職して仕事をし出すと御多分に漏れず読めなくなりました。理由としてはたぶん

  1. 新入社員時代、覚えることが多すぎて頭脳の容量が読書に振り向けられなかった。

  2. 上司が「読むならビジネス書や専門書を読め、小説なんか読むな」という人だった。

  3. 同僚が「この本おススメだよ」と言って貸してくれた本が「シンボリック・マネージャー(ハーバードの教授によるマネジメントの名著」だった。素直に読み始めたが、22歳のノホホンとした私には大変難しすぎた・・・。大人の読書=苦行という図式が出来てしまった。

 中堅社員となってから、やっとビジネス書は読めるようになりましたが、楽しみのための本を読むと「こんなことしている場合じゃない」と焦りと罪悪感を感じていました。絶えず仕事上の気がかりを抱えていたので、プライベートな時間であってもそのことが気になり、集中することができない。
 当時の私のモチベーションは、「これをすると自分のためになるかどうか」も大きかったので「どうせ読むなら(短期的な)リターンにつながるビジネス書」となったのも大きかったです。
 
 映画さえダメでした。うっかり「感動」してしまうと、魂をそちらに持っていかれ、仕事に割く心のリソースが無くなってしまうから。だから見る映画はスカッとするアクション映画。間違っても感動超大作とかは見られませんでした。予期せぬ心の動きは、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の著者の言う「ノイズ」のひとつだったのだと思います。

働いていると「トンネリング」が起こる?

 トンネリングという現象が心理学や行動経済学では知られてます。スピードを出したトンネルの中だと、視野が一点に集中して他を見る余裕が全然無くなること同様に、何かに欠乏すると心理学的にも同じような現象が起きると考えられているそうです。

 私も経験があるのですが、「トラブルが起こってあと1時間で解決しないといけない」時など、そのことだけに集中し、全体的な視野が取れず、かえって合理的な結果を得られなかったりします。締め切りが近い仕事や宿題(まさに今日は8月31日、子供の頃の悪夢を思い出します)を抱えている時も、一切の余裕が無くなり視野狭窄に陥ります。

 同様に、借金を抱えている人が返済に行き詰まると(本当は頭がいいはずの人でも)、全体の借入金の整理が出来ず、消費者ローン等から新たに高利で借入をして当座を凌げた気になってしまうということが知られています。
 
 何かの欠乏を補うために、過度に一点集中させ、他のことに目をいかなくさせるというのは、生物としての生存本能なのでしょう、きっと。
 
 「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」には名言されてませんでしたが、心理学的には関係あるのではないかと、私は思いました。
 仕事に忙殺されると、自分の幸せを追求する合理的な行動が取れず、目の前の問題を片づけることにのみ目がいってしまうのかもしれません。

 
 産業革命以降、求められる仕事のスピードは速くなりました。そして現代はIT技術によって、より一層の速度で目まぐるしく処理活動をしています。

 早く早く!もっともっとたくさん!

 処理スピードを上げた私たちが、トンネリング現象に陥って、他のことに目が向かなくなってしまうのも無理はないことと思います。

全人格労働を止めよう

 「全人格労働」という言葉も知られています。素のままの自分の人格や自分の時間・人生を全て仕事に捧げてしまう働き方です。
 
 「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」では、全身全霊で働くことはやめよう、と書かれていました。「半身で働こう」という提言です。筆者は、「日本社会は全身全霊をもって物事に取り組むことを称賛しすぎる」と問題提起しています。私もそれに同意しますが・・・・・しかし、長年のこの価値観はなかなか変えることが難しいのではないかと危惧もします。

 資本主義社会は欲望の社会でもあります。今より良い暮らしを手に入れたい、競争に勝ちたい、少なくとも脱落したくない、自分の暮らしを失いたくない等の欲望(安全欲求も含む)がある限り、やはり頑張ってしまうことを止められない。いったいどうしたら良いのか・・・。

 少なくとも無防備に全人格労働をするのを止め、仕事と自分を切り離すよう努力すること・・・・そのような心構えでいることが重要なのではないかと思いました。言うのは易しいですが。

文化は特権階級のもの?

 映画「薔薇の名前」の時代、そして日本でも「文庫」の時代、本は庶民が簡単にアクセスできるものではありませんでした。
 現在は読みたいと思えば誰でも図書館に行き、無料で本を借り読書という文化を享受することが出来ます。本当に有難い世だと思います。
 
 しかし前述の通り、働いていると本が読めない矛盾。
 このままだと、また読書や文化が特権階級のものに戻ってしまう日も近いかもしれません。

科学技術で何とかならない?

 これまで人類が培ってきた科学技術は、人類が幸せになるために、健康で文化的な生活を送るために発展してきたのだと思います。この先、ITやAIの技術のさらなる発展と、それに伴い「人間と仕事の関係のパラダイム」が変換することを望みます。
 
 人類の英知を信じたいです。

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