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愛とかいうミーム

愛はそこかしこに偏在していて、下手に男女や恋に結び付けるのは愛への冒涜だとおもうのです。


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色恋沙汰、恋愛は弱者なので苦手、というか多分このままいくと今後一切できない気がしているのだが、愛というのはやはり人間のテーマなのだと感じている。ぼくのノートでも何回も何回も愛って言葉は出てくると思うんだけど、それだけ愛に正解はないし、いや、正解はあるのだけど、その正解は”ぼくにとっての”正解なんだよね。

「愛している」という言葉を聞いたときにみんなたちはどう思うんだろう。ぼくは人間としての根幹的な部分を想像する。

恋をしているのと別種の、対象の幸せを願い、その上でそばに在りたいと思える。対等でありながら、不可視。一種神のような、それでも慈しみや憎悪も抱く。きっときっと普通の感覚では説明できないから、言語化できるだけの頭がなくって大変遺憾なんですけど。それでも愛はあるって思う。

好きです、じゃなくて、愛しています。と伝えたい。慈しんでます。尊んでます。敬っています。追従しています。あなたにすべてをあげてもいいし、望むのならすべてもらいます。受け容れることができるし、そうありたいです。ちょっとずつの幸せをわけあって、ちょっとずつ幸せを生んで。それで一緒に在りましょう。これは愛ってよんでもいいよね?

だからこそなればこそ。いまこの愛をもてあそばれたくないし、一般的価値観で陳腐な言葉をつけたくない。つけられたくない。一歩も入らないでほしいし、ここは聖域だと思う。大事にされることの実感、実感の重要性。親友だって愛してるって言ってもいいんじゃないかなって思う。

例えば心の底から心配に思うこと。例えば楽しそうにしているのを聞いてうれしくなること。例えば悲しいことを一緒に噛み砕くこと。そんな少し少しの感情たちは、だれにも愛じゃないなんて言われたくないし、言わせない。それを好きだからってひとことで片付けられたくない。

安い言葉になってしまった愛を、一種のミームみたいになっちゃった愛を。それよりももっともっと大切にあっためた愛で以てぼくが大好きな大切なひとを愛することで救いたい。もっと近くに単純な愛なんて転がっているんだから。

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