星座背景

交わる事に対するエクスタシーの希求

 時間が空きすぎたので、今回のテーマに至った経緯について凄まじく掻い摘んで話をします。


 ツキプロ後続ユニットと言われるALIVEのキャラクターデザイン・イラストで有名な志島とひろ先生繋がりで、「バーチャルユーチューバーアイドル」ユニットのSuiSayを知り、今追い駆けています。

 そのSuiSayのメンバーである湊音みなみくんが、お誕生日&デビュー1ヶ月記念配信の中で「みんなとちょっと離れているところでちゃんと生きているただの人です」と言った言葉がものすごく核心を突いているなと感じて、前々から感じていたこのテーマに還ってきました。


 最近の女性向けコンテンツが、単純にキャラクターとの恋愛関係を求められている訳ではないことは、ずっとその界隈のオタクをしていれば感じてもらえることだと思います。(需要が全くないとは思っていませんが。)それ以外のコンテンツのヒットの理由っていくつかあると思うんですが、その中の一つに「同じ時(時間軸)を共有している」というのがあると常々感じています。

 私の追い駆けている作品で言えば、先ほど挙げた「ツキノ芸能プロダクション」シリーズ、「DYNAMIC CHORD」、「S+h」「Frep」があります。これらはとても顕著で、誕生日が来るたびにキャラクター達も歳を重ねていきます。これらの作品の中に私の同級生は両手分くらいいますかね。自分の誕生日も、彼らの誕生日もとても楽しくなります。彼らが過ごしてきた、生きてきた時間が自分と等しいのだと考えると、親近感が湧いてしまうのも無理ないな、と思うのです。

 そしてこれらの作品に共通しているのが、Twitterを初めとしたSNSで発信をする・ファンと交流をすることでより一層「時間の共有」を重ねていることです。(ダイナーのキャラクターTwitterは完全に止まってしまっていますが。)直接的な返信がある・なしの差はありますが、そんな瞬間が少なからずある、ということです。

 同じように、時間軸の共有はしていなくても、SNSや各種メディアの露出を通して交流を重ねたり、同じ時間を共有しているコンテンツも多々あります。Rejetの「ディアヴォーカリスト」のキャラクター達もそうですね。アイドリッシュセブンも「”アイドルの創出”をテーマとしたメディア展開」を行っているという点で、これに含まれているのではないかと思います。昨年行われたビジュアルボードツアーでは、IDOLiSH7のメンバーが全国各地を巡った軌跡が各地方に色濃く残され、彼らの存在感・彼らとの繋がりを強く感じられたのではないでしょうか。


 これらまで含めて共通して言えることは、「キャラクターの構成要素に頼らず、キャラクターを生かし続けている」ということです。いわゆる、コンテンツがまず最初にPRで出していく新規ビジュアルないしキャラクターデザインとCVを使わずに、キャラクターの人格と個性を文面その他で表現することで生かしているんです。(こういう言い方だと、アイナナはちょっとズレてしまうかもしれませんが。基本的にアイナナには、何をするにも原作原案制作陣が関わっているレベルの新規要素を用意していることが多いので、”推しどころ”、”外せない理由”が必ず発生しているというのがあると思います。)

 実はこれって、とても難しい話だと思うのです。まず第一に、ビジュアルとボイスに負けないだけの魅力をキャラクターに持たせ、愛される必要がありますよね。中身を見てみたい、追い駆けていきたいと思わせる必要があるということです。そして第二に、それを維持するのがとても大変だということです。(ダイナーはこれが苦しくなって停止せざるを得なかったと思っています。)ずっと同じ人が一人(一つ)のアカウントについてその全てを管理していれば、極端に言えば一人の人間が一人のキャラに成り代わってネット上で生きていれば、それは叶うかもしれません。けれど実際には、一人の人が複数のアカウントを管理していることが常ではないかと思います。ツイートや記事の数が少なければ管理も容易でしょうが、それがかなりの頻度・数で更新されるとなると大変なことになります。また、専任の一人に全てを管理させてそれぞれの個性や関係性、物語としての伏線を維持してもらうとしても、その一人を失った時にそのコンテンツは維持が出来なくなってしまいます。めちゃくちゃ、難しい話です。


 で、ここでVtuberの話をします。一人のバーチャルユーチューバー一人に対して”中の人”が一人であることを前提とすると、先に述べた大体の要素をカバー出来る、かなり強力な「時間共有コンテンツ」なのだなと分かります。

 ビジュアルはイラストレーターさんに頂いている方が大半かと思うのですが、中にはご自前の方もいらっしゃるでしょう。このビジュアルや3Dモデルは一度作れば、Live2Dを初めとした様々な技術を用いて表情や動きを常に新規撮りおろし出来る訳です。話の内容とのリンク率もほぼ100%と大変優秀ですよね。そして、声も常に録りおろしです。ほかのコンテンツが武器に出来ない部分を武器として常備していられます。極めつけは、配信だろうがSNSだろうが、全部「同じ人」がやっているということです。自身が話す内容を考え、声を発している人間が、あらゆる媒体を通して、すべての交流を行っている訳です。Vtuberはキャラクターとして捉えられている側面が強く、普段生活している人間とは絶対違うだろ、という個性の方もいますが、それでも一人の人間であるという一貫性がかなりの範囲で貫かれているのは大きいです。そして交流を図る際には、インターネットを介しているすべてのツールが有効な手段となり得ます。動画投稿ではライムラグが発生することになりますが、リアルタイム性の強い生配信やSNSでの交流は「時間の共有」としてかなり有効的なのは上記コンテンツと変わりません。それが一人の人間で賄える部分が多く、共有する時間が他のコンテンツより圧倒的に多くなるわけです。こういう意味で、Vtuberはヒットコンテンツとして、しかも長く愛されるコンテンツとしての可能性をある程度持っているのではないか、と私は感じています。



 私が大好きな原田まりる先生は、「作品を好きだと言ってもらうことは、遠い星との交信に成功したようなロマンを感じる」と度々おっしゃっています。

 私自身がコンテンツに惹かれている理由は、まさにこれだと思うのです。次元や時間軸を超えて、ビジュアルやボイスに頼らなくても(あればある方が絶対的に良いんですが)、”そこ”、”ここ”、”どこか”に存在している人と、ある一瞬の時点を通じて交流する・繫がること。遠い星の宇宙人と言葉を交わすことに成功したような、ロマンとエクスタシーを感じるのです。それは一度味わうと中々抜けられない、薬にもお酒にも宗教にも似た中毒性を秘めていて、故にいろんなコンテンツを追い続ける「オタク」であることをやめられなくなってしまうのです。


 この「交流できる瞬間」は、その一瞬、リアルタイム性にこそ最大の魅力があります。「リアタイは信者のタスク」とはよく言ったものです。その魅力の最たる高まりを知っている者こそ、時間に厳しく、ライブでもイベントでも配信でも”その場にいること”を大事にしていると思います。私みたいな感じですね。

 けれど、このコンテンツは大抵ビジネスの上に成り立っていて、故に終わらざるを得ないデッドラインがどこかにあります。ビジネスとはお金だけのことではなく、人や組織を含めてのビジネスです。度々名前を挙げている例の作品の性質が変わってきているのは、圧倒的に後者の影響です。コンテンツ競争の激しい昨今、消えていくタイトルが数多い事は勿論、作品自体が生き残っていても、そこに自分が惹かれていた内実が伴っている保証はありません。この状況は、さらに「交流できる瞬間」の価値を高めている訳です。オタクのコンテンツに対する熱狂が以前より加速し、この文化に対する理解・関心がない人から異質に見られてしまうのも仕方がないことなのかもしれません。


 勿論、熱狂と忘我で他人に迷惑をかけるのは、自分だけでなく自分の好きなものの相対価値まで落としてしまうことになるので、避けるべきだとは思います。かと言って、世間体や周囲の声を気にして好きな気持ちを押し殺していると、絶対に後悔することになります。その理由はやはり、その「交流できる一瞬」こそが至高であって、けれどそれが続く保証はどこにもないからです。むしろ、終わりが絶対に来ることは確かです。人の死が約束されている以上、それと同じように自分か作品のどちらかが先に終わってしまいます。コンテンツは、巡り会って惹かれ合って、生を終えるその瞬間まで添い遂げるパートナーにはなり得ないのです。(心の中に生き続けてる、的な解釈は別として。)だからでこそ、今同じ瞬間を共有し、繋がりあえることに喜びと幸せを感じて過ごすことが大事なのではないかと、私は常々思っています。これはコンテンツに限らない話ではありますがね。どんなものとでも、出会いと交流は等しく尊いということです。


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