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制作?それとも製作?

こんばんは。
しいです。
最近、iPadをいじりすぎるせいか、ドライアイが少々気になるようになってきました。

やっと、3回目の記事。
今回は、編み物作家として心がけていることについて書きたいと思います。


まだまだ修業の身

ただいま、編み物修業中のわたし。
感染者数を見ながら、その都度参加するかを決めていました。
今は第3波。
都道府県ごとの警戒レベルが高いうちは、お休みしようと思っています。

いつかセーターなど着るものを販売できるようになれたらという願望があります。
昨シーズンから、先生のサポートを受けつつ、ベストにチャレンジしましたが、袖つけは自力ではまだまだ。
まずは、自力で最初から最後まで、完成度の高い、着るものを編めるようにならないと。

教室には通っていたのですが、一時期は、講師、指導員養成のクラスでも修業していました。
とにかく課題が多いし、修了作品も…となると、とんでもない編み物量。
あまりの編み物過多で、修業の中休みの期間に、古傷が痛み、身動きが取れなくなりました。
いい歳こいて、あまりの激痛で泣いてしまいましたよ、あの時は(苦笑)。
1週間くらいは寝込みましたかね…。
さすがに、この時期は特別。
そこまで酷使することはないと思います。
自分の限界値は身体で覚えられました(苦笑)。
そうならないように、うまくコントールすることが大切ですね。


さぁ、これからって時に

そんな風に、こつこつ基礎を学んで、そろそろ先生に指導してもらいながら、いよいよ着るもののチャレンジができる、これからという時にコロナですよ。
やっと、先生の説明についていけるようになったり、理解できるようになってきたのに。
作家活動をしているものの、実は編み物歴も短く(子どもの頃にかぎ針編みを少し、棒針編みは大人になって体調を崩した時期にはじめたこともあり、小学生の頃から編み物をしている高校生の編み物歴ですら負けそう…)、経験も少ないです。
なので、今は、忘れないように、きれいにできあがるように、復習しながら、製作しています。

ほんとそんな感じなのに、作家なんて言っていいのかなと思うことは日々あります。
イベント出店をしている時は、自分ができることをめいっぱいしているので、胸を張っているものの、売ることよりも、編むことや、編み物がうまくなることが第一の目標になっているところがあり、プロ意識はまだ薄いのだろうなとも思います。単なる甘さのような気もしますが…。
そんな自信のなさを持ちながらも、作家として活動している以上、意識したいことがあります。


「制作」ではなく、「製作」と表現する理由

編み物作家として意識していることの1つ。
それは、自分の編み物作品を「制作する」のではなく、「製作する」と表現すること。

人それぞれ、こだわりや気になるポイントがあると思うのですが、もともと、わたしは言葉に気になるポイントがあります。
話している時は、言葉では声を使った音の表現がメインなので、会話のキャッチボール、やりとりのリズムが優先ですから、気にしているヒマはなかったりします。
突発的に出た言葉や表情、身ぶり手ぶり、雰囲気など、その場でしか得られない楽しさやおもしろさもありますが、怖さだってあります。
コミュニケーションは、相手との関係性だったり、お互いの印象など、感情面にかなり左右されるもの、相手に誤解されることも、また、わたしが誤解してしまうこともありますし。
コミュニケーションをとる中で、嬉しかったり、傷ついたりするとしたら、言葉よりも、好意だったり、悪意や拒絶だったり、そこに言葉に乗せられた想いなんだろうなと思っています。

文章の場合、時間をかけられる分、漢字やひらがななど表記も含め、表現がいろいろあります。
文章を書く時は、漢字の使い分けや意味など、あやふやな言葉は調べるようにしています。
間違って覚えてしまっている言葉も、良いイメージで使う言葉か、悪いイメージの言葉など、いろいろありますからね。
単純に「気にしぃ」というのもあるのですが、気にする、気にすることを求められる機会も多かったと思います。
これは文章を書く時、自分が自分に課しているだけのこだわり。
こういうことは、人には押しつけないですね。
言葉に頼るけど、言葉に頼りすぎるのもどうかなーと思ったり、自分の感覚を過信するのもなーと思います。
メールだと単純な入力ミスもあるし、自分もいろいろ間違えますから。

ある時、作家活動のことを文章にしていると、制作と製作の違いが気になりました。
自宅にある辞書、インターネット上で、いろいろと調べました。
「note」では、本格的に記事を掲載されている人もいるので、出典先などはっきりさせた方がいいのかもしれませんが、ここではまとめて、わたしの意見で書くと、

「制作」とは、芸術作品を作ること

「製作」とは、実用的なものを作ること

わたし自身は、自分のことをおしゃれだとも、センスあるとも思いません。
どちらからかというと無頓着な方だと思います。
ニットは首回りがチクチクしないなど肌触りがいいもの、匂いに敏感なので(台所に出る黒くてヤバいものの匂いもなんとなくわかっちゃう)、ちゃんと洗濯して清潔感があればいいかなってくらい。
カラフルなものはニガテな方です。
編み物をするようになり、着るものに意識が向くようになったものの、気をつけないと、単色のメリアス編みのセーターばかりを作ってしまいます(苦笑)。
背伸びをした時期もありましたが、あまりにも差がありすぎると、持っているものと合わせづらく、結局タンスの肥やしになってしまっていました。

普段使いができずに埋もれてしまうものより、
シンプルで、普段使いができて、活かされるもの。

そんなものができたらと、日々編んでいます。
そのことから漢字も「制作」ではなく、「製作」と表現することにしました。



他にも、どう使い分けたらいいか、気になる言葉があります。
「作品」と「商品」、「出店」と「出展」など。
それはまた別の機会に。

では、今日はこのあたりで。