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はじまり

書きたい、書きたいと思っていながらも、手が重かったブログをnoteでスタートさせます。今回書き始めた目的は、マインドフルネスや”今ここ”に関することについて学んだり、実践したりして感じた事をアウトプットしより学びを深めるため。学びを深めるためにはどんな形であれアウトプットが必要だと感じているのです。

では、まず記念すべき1回目の記事は、手が重かったのにスタートするきっかけになった出来事を紹介します。そもそものきっかけはテンプルモーニングラジオというポッドキャストに出会ったことからでした。

ウェビナーでテンプルモーニングラジオを知り、時間のある時に拝聴しておりました。もともと仏教に興味があり、お経を聴くとなんとなく落ち着く感じがして好きだったのですが、わざわざお寺を訪問してお経を聞きに行くようなことまではさすがにしませんし、youtubeなどでお経の動画などを聞いたとしても更新頻度が高いわけではないので、たまーに聞くという感じでした。テンプルモーニングラジオは、平日6時にUPされ週替わりのゲストとのトークと日替わりのフレッシュなお経が聞けるので、私にとってはとてもうってつけのポッドキャストだったのです。仏教に興味があるとはいえ、にわかなので、宗派の違いやお経の種類、ゲストがお坊さんになったきっかけなど聞いていて、とてもおもしろいです。宗派の違いだけでなく、それぞれお坊さんによって、同じお経でもリズムやトーンが違って聞いていてとても気持ちいいし、飽きません。

一枚起請文

テンプルモーニングラジオを聞いているなかで、おや?と自分のなかに引っかかったのが”一枚起請文”でした。

一枚起請文とは”南無阿弥陀仏”をお唱えする、浄土宗の宗祖法然上人が滅後に誤った考えが出ないようにと記された御遺訓です。お経は漢文や真言が主ですが、一枚起請文は口語なので、聞いていてなんとなーく意味が分かって気になったのです。そこで浄土宗のサイトで現代意訳を調べてみて、私はこう感じたんです。

一向に念仏すべし=とにかく実践!

※私の勉強不足で、正直間違っているかもしれません。ただ、現時点での私なりの解釈ということでお許しいただければと思います。

極楽浄土=悟りに辿り着く為には、”南無阿弥陀仏”と唱えれば必ず辿り着くのだと確信して念仏を唱える以外にないと仰られています。また、お釈迦様の教えを良く学んでいても、自分は経典の一文さえわからないおろかものだと謙虚を貫き、智者ぶったふるまいをせず、ただひたすら念仏をすべしと説かれています。

これは、ヨガや瞑想に置き換えても同じだ!と思ったのです。私は特に色々な知識を求めて、本を読んだり、動画を見たりするのですが、結構見ただけでやった気になってしまうことは多いです。また何か始めた方がいいのにまだ準備が足りないとか言い訳してしまうことが多いのです。そうではなく、まず一心に実践をすることが大事なのではないかと気づかされました。その為今回のブログもスタートさせることを決めました。日々の気づきや学びをUPしていきたいと思っています。


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