なぜ世界から争いは無くならないのか?怒りという感情を捨てられない人類

人類の知性は低い

人々は自分たちが地球上で唯一の知的生命体だとか自惚れていますが、農作物の最適な収穫時期を知っている猿やハクビシン、水平線の向こうに目標物がなくても正確な方角に飛べる渡り鳥、人が嗅ぎ分けることのできない犯人の足取りを追跡できる警察犬、あるいは自然災害の予兆として特異な行動を示す様々な動物……挙げ始めればきりがありませんが、人間よりも遥かに優れた感覚を持つ生物はこの世界に無数に存在します。

地球上において、自らの力で宇宙に行ったことのある生物は現生人類しかいないなどと人々は傲慢な発言をしますが、約46億年の地球史の中で、20世紀が初めて宇宙に行った時代だとどのようにして調べたのでしょうか。

仮にそうだとしても、ごく一部の特別知性の高い人たちが成し遂げた所業であり、あくせく日銭のための労働をしているだけの庶民があたかも自分も関係者であるかのようにそれを誇らしく語る姿は甚だ滑稽です。

古代から現代に至るまで、学者たちが解明してきた地球の物語はまだほんの数%であり、ほとんどの真実はまだ丸っきりわかっていません。

むしろ動物的勘(いわゆる第6感と呼ばれるもの)に関して言えば、人類は生物界でもかなり下等な部類に入るのではないでしょうか。

その能力は進化において、脳の成長の代わりに犠牲になったと考えられます。

しかし、周りを見渡してみてください。

本当に賢いと思える人は何人いますか。

21世紀の5分の1が過ぎ、現在約77億人とされる現生人類のうち、98%程度は知的生命体と呼ぶにはふさわしくなく、種の進歩や発展に貢献しているのは、実はごくわずかだけなのかもしれません。

怒りと争い

人類のほとんどが知的生命体とは呼べないと言える根拠の1つに、彼らが怒りという最も無価値な感情を未だに捨てることができず、日々あちらこちらで争いが絶えないような現実を見れば、誰にでも理解できるでしょう。

怒りという感情はそもそも、喜怒哀楽という4つの感情の中で、最も人生にとって不必要なものであり、ストレスや暴力の大きな要因です。

喜びや楽しさは人生に活気と意欲を生み、哀しさは優しさを育みます。

ただし、怒りや恨みという感情が生み出す結末は常にネガティブにしかなり得ません。

そんな当たり前のことにも気づかず、毎日毎日無意味に些末な事柄に当たり散らす人々がなんと多いことでしょうか。

もちろん、戦争も領土だとか宗教だとか経済だとかの観点以前に、根底には怒りという感情が見え隠れします。

世界平和を訴える人が現れるたびに、それに賛同する人々と同じだけの反抗する人間の存在が暴露されていることにお気づきでしょうか?

わざと挑発的に書いているこの記事をここまで閲覧しているような方はおそらく平和を願う温厚な人であり、争いを好まないはずです。

しかし、世界のすべての人々が本質的には平和を望んでいるという思い込みこそが大いなる誤解なのかもしれません。

残念なお知らせですが、世界にはサイコパス(精神病質者)と呼ばれる人間も存在しますし、争いを好む人間も存在します。

それが現実なのです。

怒りを抑える方法

映画やドラマなどを観ていると、ほとんどの作品において出演者が怒鳴っているシーンがあり、気分が悪くなることがあります。

なぜ気分が悪くなるのかと考えてみると、それが創作においてだけのことではなく、現実でもそうだということに気づいて落胆していたのです。

それはさておき、怒りという感情はコントロールできるものだということを示したいと思います。

これは、近年流行りのマインドフルネスの考え方に近いのですが、簡単に言えば、過去でも未来でもなく、「今」という瞬間を意識することです。

今、自分に起きている現象を観察します。

それに対して評価したり判断したり、どうにかしないとと何かしらのアプローチをしてはいけません。

ただ、観察するのです。

そうすると、自分が何に怒っているのかすら見失い、むしろ怒りよりもそんな感情を持ってしまった自分に対する恥ずかしさが勝ってきます。

怒っている最中にそんなに冷静になれるはずがない、冷静じゃないから怒ってるのだと言いたいでしょう。

その場合、まずは他人の怒りの観察から始めてみてください。

怒っている人を見たら、それを現象として観察してみるのです。

怒っている人を客観的に見ると、滑稽ではないですか。

次第に慣れてきて、いかに怒りという感情が見窄らしく愚かなものかに気づくことができれば、あなたはもう、人類が進化においてまだ捨てきれなかったその旧生物的な感情から抜け出せ、次のレベルに進化できているはずです。

花はなぜ美しいのかを考えてみてください。

花は怒ることも喚くこともなく、ただそこにあるのです。

そういえば、進化という考え方も疑問です。

我々は、原始人より現代人のほうが優れている思い込んでいますが、それは果たして本当なのでしょうか。

古代文明には現代の科学でも再現できない精巧な技術が用いられているものが多数ありますし、巨大建造物について言えば、指導者は何万人もの人々をどのようにコントロールしていたのか、考えれば考えるほど謎は尽きません。


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