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宗教と神話がつくり出してきた「ヒトと異なる知性」。 ヒューマンセンタードを超えたワイズフォレストを求めて(前編)連載「スマートシティとキノコとブッダ」ゲスト:石倉敏明

宗教や神話がつくり出してきた「ヒトと異なる知性」は、人々が暮らす都市の周縁で常に寄り添うように、そして支え合うように存在してきた。スマートシティの周縁には何があるのか。いや、何があるべきなのか。これからのテクノロジーは人類の何を変え何を変えることはないのか。今回は、宗教や神話や民俗学の視点から人類学にアプローチする石倉敏明氏に、人類がヒトと異なる知性と付き合っていく方法の来し方行く末についてうかがった。

Photo by Raimond Klavins on Unsplash

石倉敏明(秋田公立美術大学大学院 複合芸術研究科)
中西泰人(慶應義塾大学 環境情報学部)
本江正茂(東北大学大学院 工学研究科)
石川初 (慶應義塾大学 政策・メディア研究科)

仏教から神話や思想への興味の変遷

本江:このインタビューシリーズでは限定合理性を超えた「ヒトと異なる知性」を考えるために、久保田晃弘さん(多摩美術大学)から「新しい他者」という視点についてうかがい、豊田啓介さん(建築家)から「新しい知性と付き合いながら生きていく都市」という視点についてうかがい、さらに、深澤遊さん(東北大学)からヒトと異なる知性の最たるものとしての「キノコや森という知性」についてうかがってきました。
 石倉さんには「神話」や「人類学」の視点からヒトと異なる知性をどう捉えていくのか、どう付き合っていくのかというお話をうかがいたいと思っています。

中西:石倉さんの著書『野生めぐり:列島神話の源流に触れる12の旅』[1]を拝読し、第58回ベネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館の帰国展も拝見しました[2][3]。神や妖怪や災害といった人知を超えたモノとの関わり方についての視点がとても興味深いと思いお話を伺いたいと思いました。
 石倉さんの関わっておられるマルチスピーシーズ人類学の中で、動物や自然と同列にロボットやAI などのテクノロジーも「人間が付き合う対象」として考えられるのではないかと思っています。自動運転車とロボットの境界は、今後、曖昧になったり新たな境界が現れたりするのだろうと考えています。そうした「境界の更新」は、前回にお話を伺った深澤遊さんのキノコの知性の研究によっても我々とキノコ(菌糸)との新たな境界と新たな世界観が提示されるのであろうと考えていますが、石倉さんの論文[4]でも言及されている、ダナ・ハラウェイの「コンタクト・ゾーン」という考え方がいろいろな形で更新されていくはずだと考えているんですね。スマートシティはそのような新しい境界をつくり出すだろうと。
 パーソナルコンピュータやインターネットが現れた時は個人そして社会としての知性のあり方まで議論されていたと思うんですが、スマートシティの議論の多くでは「どう役に立つのか」みたいな話ばかりで新しい情報環境がもたらす知性のあり方に関する議論はあまりなされません。本来ならば、世界観や都市像が変われば人間の知性のあり方、暮らし方、生き方も変わるはずなのですが……。石倉さんにはロボットやAIも含めて考えるマルチスピーシーズ人類学的な観点から「ヒトと異なる知性」と人間の関係性に関してうかがいたいと思っています。

石倉:お声がけいただき、ありがとうございます。それにしても、とても大きな問いですね………。

本江:いえいえ、アカデミックに厳密な話をする必要はまったくなくてですね。伸び伸びとおしゃべりしようということで(笑)。

石倉:ありがたいです(笑)。こういう壮大な視点の研究会は現代には稀有で、共感します。何かそこから常識の枠組みを破ることができそうな、明るい感じがしますね。まずは自己紹介がてら、ぼくが人類学と出会った経緯についてお話しします……。
 研究のスタートは、ヒマラヤ山麓の少数民族との出会いでした。インドの西ベンガル州にあるダージリン丘陵というところで、チベット文化圏の少数民族や紅茶の生産のためにネパールからインドに移住してきた様々なグループが緩やかなコミュニティを形成しています。彼らは「ゴルカヒル評議会」という政治組織を作って、インド政府に対して高度な自治を要求しているのですが、その精神的な支柱になっているグルン族のラマ、チベット語でトゥルクと呼ばれる転生活仏のもとで最初のフィールドワークを行いました。ネパール系の移民たちはこの聖者を信仰しつつ、丘陵地に広がる紅茶のプランテーションで労働しています。ぼくはこのグルンの聖者と数ヶ月にわたって行動を共にしていました。彼はとてもユニークな存在で、インド側から見るとヒンドゥーの神話と宗教の中で「生き神様」(クリシュナ神の生まれ変わり)と見なされていて、同時に、ヒマラヤを越えたチベット側の仏教文化から見ると、ダライ・ラマと同じように「転生活仏(トゥルク)」として信仰されています。つまり一人の人物が、「2つの宗教的な物語を翻訳する存在」になっていたんです。
 具体的にいうと、ダージリン丘陵には、ヒンドゥー教や仏教、さらに移民たちの民族集団の様々な神話を引き受けることができるような、とてもフレキシブルな聖者信仰があったんですね。特に、違う故郷からやってきた多様な移民たちが、それぞれの神話や信仰を持ち寄りながら、この聖者をハブに繋がっている様子が見えてきました。ぼくはそのことに惹かれて、この聖者と一緒に丘陵地帯を移動しながら、一箇所に一泊しては移動する「一所不住」という漂泊者のような生活を続けていました。
 当時、ぼくは大学院でチベット人のお寺で修行をして、宗教人類学的な研究をするつもりだったんです。ところが修行が苦手で早々に挫折し、ダージリンの移民コミュニティの研究に移ってきました……。しかしこの集団も、決して研究をやすやすと受け入れてくれたわけではなくて、近隣の武装勢力と緊張関係にあって、自衛しながら丘陵地帯にデリケートな均衡を作ろうとしていました。そのため、自治の要となる政治的なリーダーとは別に、インド側にも、チベット側にも一目おかれるような宗教的な権威として「生き神様」への信仰が生まれていたんです。
 クリシュナ神の生まれ変わりであり、チベット仏教の活仏でもあるという風変わりな聖者との移動生活に、ぼくはすっかり魅了されていました。ところが、共同生活を始めて3ヶ月たった頃、聖者との関係性が悪化して研究を挫折しちゃったんですよ……。実は、そのラマはセクシャリティという意味では非常に多型的な愛を持っている方で、ぼくはうまくその関係を受け止められずに、ある時から彼と物理的に距離を取る必要が生じました。そのために急いでダージリンから出て、遠距離バスを乗り継いで、ビハール州のブッダガヤに逃げてきてしまったんです。
 ブッダガヤはブッダが悟りを開いたと言われる有名な仏教聖地ですが、ちょうどそこでチベット仏教の例祭が行われていました。聖者と離れ、ダージリンでの調査がうまく進められなくなってしまったので、ぼくはそこで例祭に参加して頭を冷やそうと思っていました。それは、この街が、自分にとって懐かしい、思い出の土地だったからです。14歳の頃、画家で小学校の図工教師をやっていた母に付き合わされて、インドの聖地巡りをしました。その旅の途中、ブッダガヤで年を越しました。その頃は反抗期真っ盛りだったものですから、母と一緒に居たくない一心で、大晦日の夜は朝までブッダガヤの街を彷徨っていて。実は、人生で初めて朝帰りしたのも、現地人の年越しパーティに招かれてこっそりお酒を飲んだのも、このブッダガヤだったんですね(笑)。

中西:すごい中学生だ(笑)。

石倉:不良ですみません(笑)。だから、ぼくの心の声が「人生の危機に当たる時にはブッダガヤに行け」、と(笑)。中学生の時に思春期の悩みを抱えてブッダガヤの仏教寺院で悶々としていたことと、自分の研究に挫折してブッダガヤに逃げてきたこと、そのふたつが自分の中で重なっています。なんか、多分ちょっと屈折した形で仏教とつながっているんです、ぼくの研究は。
 その後、自分の関心は宗教の背景に広がっている神話的な物語に移っていきました。ヒマラヤ山麓には、国や山々を超えて遠く共通する「山の神」の思想が広がっていることが見えてきて、「少し広い視点で人類学を捉え直そう」と思うようになりました。ですからこの20年ほどは、日本列島からヒマラヤまでをベースに、各地の神話の文脈を探る「比較神話学」、芸術家と一緒に制作活動をおこなう「芸術人類学」、そしてブリュノ・ラトゥールやフィリップ・デスコラ以降の、人間と非人間の関係を問い直す「存在論の人類学」といったものを自分なりに勉強してきました。
 今日の「スマートシティとキノコとブッダ」というお題とどこでつながるのか、こうした自分なりの座標軸から探っていきたいと思っています。

本江:ありがとうございます。今のお話をうかがって、石倉さんは、インドとチベットで違う裏付けをもった「自分とは異なる知性」といえるシステムに寄り添って、それをどう理解すれば良いのかと考えるところから出発されたのだなと思いました。私たちもロボットやAIなどを「隣にいる知性」としてどのように了解すべきなのかを考えればよいのでしょうね。

ワイズフォレスト:都市の周縁に在る知性

中西:私は今、東急電鉄の田園都市線沿線に住んでいて、少し前は港北ニュータウンに住んでいました。私の妻は東京の多摩センターで生まれ育ちです。我が家は「ニュータウン」づいているわけですが(笑)、港北ニュータウンでは開発の際にその真ん中に神社が遷座されています。今後日本人がスマートシティをつくる際にも、きっと神社を建てるんじゃないでしょうか。スマートシティのデータセンターやメインコンピュータがその神社の地下に作られたりしてもいい。新しいロボットに満ち溢れたスマートシティに住んでいても、人々はそうした神社に初詣に行き、1年間の無事を祈るのではないか。「自分たちの知性を超えた何かにお祈りする。お願いをする」という行為はたぶんずっと変わらないのではないかと思っています。
 私の実家は奈良市内の郊外の住宅街なんですが、平城京ってできた当初は先端的な思想で作られたスマートシティだったんだろうと思います。輸入された中国文化でつくられた最新の都市。それから1300年も経っているわけですが、その周縁にも当時のストーリーの痕跡が残っています。たとえば近所に『三碓(ミツガラス)』という不思議な名前のバス停があるのですが、その地名の由来は、鳥狩りにきた聖武天皇が三つの穴があいた石臼をみて命名したのだそうです。そういう本当かどうかわからないようなストーリーが地名として延々と語り継がれてきたことを考えると、これからつくろうとしているスマートシティにも、やがて物語や神話が生まれて、1000年後2000年後に語り継がれていくのだろうと。人類にはそういう「自分を超えたものと共存している」という意識が常に心のどこかにあると思います。
 今、ダージリンのコミュニティのお話をうかがって、移住する時に自分たちの神様も一緒に連れていって、受け継いできた生き方や考え方を持ち続けるという姿がとてもおもしろいと思いました。スマートシティにもどこかから引っ越してきた人々が古い風習や儀式をつい移植しちゃうんじゃないでしょうか。

石倉:面白いですね。実は、ぼくも3歳から多摩ニュータウンのへりの部分で育ちました(笑)。ニュータウンにもオールドタウンにも入らない川べりの谷戸地にある、どこにでもあるような建て売り住宅の育ちです。そこから丘の上のニュータウンを眺めるとキラキラ光って見えて、一方、反対側の薄暗い森の周辺には、学生運動を避けて多摩地区に移ってきた大学や古い神社などが独特の存在感を放っていました。子供の時からその森で遊んでいると、ニュータウンというフラットな世界のまわりを垂直的なコスモロジーが取り囲んでいるように見えました。多摩ニュータウンは縄文遺跡が非常に多いし、畑仕事や道路工事をしていると土器が見つかるんですよね。公園の中には、縄文時代のオールドタウン、つまり定住集落の遺跡がありました。ですから、縄文時代に長く人が暮らしていたあたりにニュータウンができたことにも、ちゃんと合理性があることが見えてきます。近くに川が流れていて、周囲の山では栗や山菜が採れます。そういった周囲の森や山との関係において集落が成り立っていることがまず大事で、そこから初めて歴史的な神社やお寺の問題が生まれてくる。なぜなら神社もお寺も、古い時代の埋葬地と隣接した場所に建てられることが多いからです。
 例えばインドやネパールの調査地から八王子の実家に帰ってくると、慣れ親しんだ森の中にも仏教寺院があることに改めて気がつきます。さきほど、ダージリンからブッダガヤに逃げてきたという話をしましたが……ブッダガヤの中心には大菩提寺という仏教伽藍があるんですが、実は「ブッダが悟りを開いた場所」には菩提樹が1本立っていて、あとはブッダがそこに座って瞑想したという金剛座があるだけです。もちろんブッダが瞑想した時には、わずかな樹木しか存在しなかったはず。しかし、ダージリンからブッダガヤに辿り着いた時、人間の活動に先立って、一本の木がそこに生えていたことの意味を改めて考えました。実は、中学生の時に初めて大菩提寺を訪れた時にも、落ちていた菩提樹の葉を一枚持って帰ったのです。たった一本の木であれ、ブッダという存在以前に、植物が存在していたこと。そこに集まってくる人々も、菩提樹の下に座ったという賢者の伝説を信奉していて、ブッダの体験を自分たちの流儀で解釈しています。例えば、ブッダガヤでお祈りをしている様々な国の人々、モンゴルやタイや日本や中国や韓国などの人々のお祈りを見ていると、全部スタイルが違います。言葉も服装も違う。それを見て「仏教は『木』であり、『種』なんだ」と気づきました。それぞれの国に「仏教の種」が持ち込まれて、各地の神話や生活様式の培地に「移植」されて行ったということ。仏法という教えが、それぞれの土地や自然環境に根を張っていった文化システムが「仏教」であり、その花として仏教芸術や思想があるのではないか、ということですね。

中西:なるほど、誰かが種を持ち込んで、それぞれの土地に根を張っていったシステム。

石倉:そこには当然、自然と文化が不可分に混ざり合っているわけです。現在のインドの地にマガダ国とかコーサラ国などの大国が現れて繁栄し、大きな「シティ」ができた頃に、その定住集落のへりに、つまり文明の周縁に仏教の種が蒔かれて、シティの価値観を「別の知恵に変えていくシステム」として仏教が根を張って伝承されていったと考えられます。だから、仏教は常に国家を生み出す権力の近くに居ながらも権力には取り込まれず、ある意味では人間を中心とする都市の文明に対して、「分解者」的な役割を果たしてきた。実は仏教はバラモン教を否定する別の宗教ではなくて、国家の中心的な教理を批評し、権力に距離を取って生きる知恵の体系として栄えたのです。そのことを、当時多摩ニュータウンの外れの大学で行われていた中沢新一さんの講義(のちに『カイエ・ソバージュ』シリーズとして出版されました)に通い、その研究室での議論を通じて学びました。そう考えると、ニュータウンのへりにある神社やお寺の関係も、今まで抱いていたイメージとは違って見えてきます。
 ブッダガヤでの逃避行の後、ぼくはネパールのサンクという仏教都市にフィールドを移して、カトマンドゥ盆地における「曼荼羅モデル」の都市構造の研究をはじめました。サンクという古いネワールの街の真ん中には、王宮の跡地があって、街の中心部にある王や貴族の統治エリアから、同心円状にカーストごとの居住エリアが決まっています。ここで重要なのは、サンクの街の境界を作っている八母神の祠と墓地を抜けたところに、世界の創造神話と関係付けられた「森の寺(グン・バハ)」という山寺の聖地があったことです。ここでは王権と結びついたカースト社会を取り囲む「無主無縁の聖地」という、ヒマラヤ山麓に広がる仏教都市のモデルが見えてきました。
 都市をコスモスとして概念化するのは、インドやネパールに限ったことではありません。もちろん、中国や日本には風水的な地理学を基盤とした王城モデルとして、都市の真ん中に王城を、四方の境界に青龍・白虎・朱雀・玄武という神話的動物を配置した「四神相応の都市」という理想像がありますが、こうした「四神相応モデル」と「曼荼羅モデル」は一種の翻訳関係にあります。つまりインドと中国の宇宙論に基づいた王城モデルは、相関関係にあるわけです。日本の王城都市も、この両方の影響を受けて形成されている。つまり、仏教や陰陽道といった教理に基づく都市デザインは、実際には、王権には収まり切らない「森」を余地として残しています。そして歴史的には、この「森」こそが、死者が帰る場所であり、山林修行の場所として想定されています。
 都市の外には森が広がっていて、王法とはまた別の論理がそこには生きている。歴史学者の黒田俊雄さんの用語をお借りすれば「王法」に対する「仏法」の空間が確保されていて、これによって一種のアジールがつくられている、というモデルが見えてきます……。つまり、「スマートシティ(賢明な都市)」の周りには「ワイズフォレスト(知性の森)」があるといえば良いのかもしれません。人間的知性を超えたウィズダムに担保されたフォレストあるいはマウンテンがあって、昔から、「スマートシティとワイズフォレストの関係性」によって都市が作られてきたのではないか、と思うんですね。
 本当の意味での「スマートシティ」は、実は人間の活動だけでは実現しません。優れた都市には、本当は人間と人間以外のものたちを調停するような「ウィズダム」を組み込んでいかなければいけないはず。でも、それを忘れると、単に便利で快適なだけの都市像に転落してしまいます。「スマートシティ」を実現するためには、常に人間の知性には限界があるという前提に立ち、それを超えたところに more than humanというか、more than communityの部分を残しておく空白がなければならない。それが、都市を取り巻く森や山だったのではないかと思います。

中西:「ワイズフォレスト」というキーワードで1本、記事がまとまりそうです。

石川:ワイズフォレスト。いいですね。

石倉:以前に、建築家のステファノ・ボエリがメキシコのカンクンに「スマートフォレストシティ」を作ろうとしているという記事を読みました。7万本の樹木に囲まれた都市計画です。ステファノ・ボエリは大きなビルを緑化して森のようにしていくことで知られていますが、そこに循環システムも組み込んで森と都市の関係をデザインしていこうという流れがあるわけですね。これは、アジアの都市にとっても重要な問題提起として受け取りました。しかし、「スマートシティ」の拡張として森を組み込むだけで良いのだろうか?その意味でも、古くからある「ワイズフォレストとスマートシティの関係」をどう再定義していくかということが、今後はかなり重要なのではないかなと思います。

「分解者」を想定し、送りと迎えを組み入れていく重要性

石川:ワイズフォレストは分解者とのことですが、スマートシティにおける分解者ってどういうものになっていくのでしょう?

石倉:藤原辰史さんの『分解の哲学』というおもしろい本があります[5]。僕もこの主題には昔から惹きつけられてきました。動物は「食べる。食べられる」という食物連鎖に組み込まれた消費関係にあると思いがちだけれど、他方で、森の中の動物は食べられる動物よりも圧倒的に無駄死にしていく動物が多いそうです。つまり、食べられるよりも無数の昆虫や菌類や粘菌類によって分解されていくことが多い。言い換えれば、森の中では「消費と分解がひとつながりである状態」が実現しています。都市においては生産と消費の問題に終始してしまって「分解」がなかなか組み込めないところだけれど、森では実現している。まず、この外部性が重要です。
 イタリアのエマヌエーレ・コッチャという哲学者は「すべての生き物は太陽から贈与されたエネルギーのアーカイブだ」と言いました[6]。まずは植物が、「太陽エネルギーを『生きるエネルギー』に変える存在」として世界に存在している、という圧倒的な現実があるわけです。その上で、動物や人間は「森の中の生きているもの(植物)を食べ物に変えていく存在」ということになります。これで植物と動物の関係がつくられているわけですが、やはり、それだけではなく、生き物を大地に返していく第三者としての「分解者」が必要なんですね。そこで、今まで都市から排除されてきた虫や菌がもう一度見直されなければならないということになります。都市はハイデガー的な人間中心の形而上モデルとしてつくられているわけですが、植物を中心に考えると、生物の知的階層は逆転するわけです。
 ぼくはこの数年、日本列島各地に伝えられている「虫送り」という儀式に注目しています。その理由は「土に分解していくものへの想像力が日本でどのように創造されてきたのか」ということに関心があるからです。現代の農業ではある種の虫を害虫と見做して、毒性の強い薬剤を使って駆除してしまう。地獄送りにしてしまうわけですが、実はそれらの虫が「分解者」であるということが津軽半島の虫送りや、沖縄の宮古・八重山諸島の虫祓いといった民間信仰や儀礼の中で非常にうまく表現されていることが見えてきました。津軽の虫送りでは、「虫」と呼ばれる藁の龍をつくり、人間の埋葬地のある神社にそれを奉納し、供養します。多良間島の虫祓いでは、津波で運ばれてきた津波石という石に虫が着いていて、その虫を虫船に乗せて海に連れて行き、最後はダイバーが海の中に虫を沈めるんです。彼らは虫を海の中の龍宮に返しているのですが、龍宮というのはニライカナイと同じです。つまり、どちらも虫を「他者」として扱い、異界に送り返しているわけです。ここには、人間の世界から非人間の世界に対して何かを送ることによって、向こうからの贈り物、生産物を受け取ることができるという「送りと迎え」の思想があります。スマートシティの構想においても、この「送りと迎え」をどのように組み込めるかが大きな問題になってくるのではないでしょうか。

本江:都市をつくる際に「破壊」のことはすごく気にしているのだけれども、「分解」のことはほとんど眼中にないというか、考えていないですね。さっきから「分解」に当たることがどう呼ばれていてどんな技術があるかを考えているんですが、ほとんど思い当たりません。リサイクルとは全然違うことだと思うし、分解に関してはスマートシティの外部の想定がないと実現しない気もします。

石川:そもそもスマートシティの構想には「ワイズフォレストから戴くもの」というスタートがないですよね。

本江:資源を収奪するということはあるんでしょうけれど、それ以上の意味はないですね。

石倉:文化人類学者のアナ・チンが「森を行う(doing forest)」ということを言っています。マツタケは人間の文明によってある程度荒廃した場所を好むそうです。原爆によって荒廃した広島で最初に生えてきたのがマツタケだったという話もあります。荒廃地の周縁部に森の残骸が残っていて、マツタケはそこに生えてくるんですね……。そういう自然の生命力に人間は甘えてきました。特に日本人は自然を崇め讃えながら、他方では森の神様に甘えきって、江戸時代からずいぶん自然を荒廃させてきたわけです。そこに中世や古代の歴史をもとに「森との持続可能な関係」を呼び戻すことができるなら、それがdoing forestのひとつの形となると思います。アナ・チンは「ラップランドにはラップランドの森を、カリフォルニアにはカリフォルニアの森を」といった具合に、それぞれの土地の気候や文明、自然条件に合わせた森とキノコ利用の関係があり得るのだと言っています。
 ですから、ワイズフォレストというのは、何か絶対的な聖地とか、ロマン主義的な意味での高次の「森」があるのではなくて、あくまでも複数種の種的関係として、その都度doing forestのあり方として思想的に浮上するはずです。つまり森の知性という問題は、「その土地で、持ちつ持たれつ、干渉しあいながらつくられてきた『環境と人間の関係』を、どのように具体的なウィズダムに変えていくのか」という実践的な主題へと導かれていくのではないか、と考えています。

神話が考える。森が考える。human becomingの可能性

中西:深澤遊さんとキノコの知性の話をした時に「気候が違うと生える木が違う。生える木が違うと棲むキノコが違う」と言っていました。つまり、その土地の気候によって「我々を取り囲んでいる知性」がずいぶん違うんじゃないかという気がします。その土地にある植物の違いで森のウィズダムもずいぶんちがうんじゃないか、と。
 本江さんは東京から今は仙台に移られていて、石倉さんは多摩センターから今は秋田に移られているわけですが、東北の森林文化、縄文の匂いの残る文化の中で暮らすと、何か引き出されるウィズダムが違うと感じられたりするものでしょうか?

本江:さきほどから石倉さんのお話にも沖縄や東北が出てきていますが、そのような、都会から見た時に空間的な「周縁性」が高い地域に住むと、何か違うのかということですね。

中西:そうです。ヤマトから遠いところ。

本江:今なら、新型コロナが流行っていないところかな。

石倉:ぼくは秋田に来る前に、学生時代からずっと山形の大蔵村という場所に通っていたんです。大学院の研究室の仲間たちと一緒に山形に通い、「踊る農業」を唱える舞踏家の森繁哉さんをずっと手伝っていて、昼間は農作業をして夜は踊ったりしていたんですね。森さんは、中沢新一さんの古くからの友人です。その時期に羽黒山の修験道と出会って、山伏修行も10年くらいやったのですが、日本の山は本当に豊かな森であることを実感しました。インドの岩山とは全然違うんですよ。ブッダが修行していた前正覚山も、霊鷲山という法華経の山も、みんなゴツゴツした岩山です。そういう人間を取り巻く環境の違いは、やはり思想レベルで影響を与えるんだろうなと思います。しかし、和辻哲郎も言っているとおり、風土論は環境決定論ではありません。人間と周りの自然が、お互いにどう相互変容してきたのか、という歴史の問題なんですね。
 最近、人類学では「人間存在human being」から「人間生成human becoming」へという議論が盛んになってきています。人類学は、人間を種的な存在として捉えるbeingの問い、つまり「存在論」から捉え直すことはやってきた。他方で、どのように人間になり、人間が次の様態に変わるのか、というbecomingの問いを検討することも大切です。たとえば、人間がオオカミを飼いならしてイヌを手に入れた時に狩猟はどう変わっていったのか。鮭の養殖に関するEUの法規は21世紀の食文化をどう変えるのか。例えばティム・インゴルドらが「生物と社会の生成状態を捉え直す」という意味で「バイオ・ソーシャルな生成」という概念を掲げて、興味深い成果をあげています[7]。
 自然との関係で考えていくと……やはり、生成状態にある知性というものは「神話」の中に現れる、という面も重要です。神話というのは、要するに文字化される前の人間の知性を集約したシステムだと言って良いと思います。ダージリンの奥にシッキム州というところがあるんですが、そこにレプチャ族という日本人によく似た民族集団が暮らしています。驚くべきことに、彼らは「天岩戸型」の神話を持っているんですね。太陽が岩戸に隠れてしまう神話。そこには神様は一人も出てこなくて全部、動物なんです。中国や日本の天岩戸神話では、長鳴鳥がきれいな声で太陽を呼ぶんですけど、シッキムの神話ではコウモリが奇声を発して太陽を呼ぶんです。

本江:コウモリの奇声(笑)。アーッて呼ぶんですか。

石倉:基本的に超音波ですが、微かに高音のノイズが聞こえるんですよ。「美しい鳥の声がなぜシッキムに行くとコウモリの奇声になるのか」ということを修士課程の頃に研究していたんですが、この神話の起源をたどると、おそらく中国南部であろうと分かりました。各地の同様の神話を比較していくと、東南アジアやインドにもいくつかの地域に類似した伝説があって。ニワトリを飼う文化が残っている地域では、確かにニワトリが鳴くことになっているんですね。しかし、シッキムのような高地に養鶏文化が入ってくるのは、比較的後世になってからです。レプチャの神話・伝説にもニワトリは基本的には出てこないわけですが、その代わりにニワトリのトサカに良く似た「鶏頭」が神話に出てきます。シッキムの天岩戸神話の内容は……はじめに双子の太陽が居て、夜の太陽も昼の太陽も世界を照らしていたので世界には夜が来なかった。だから、動物たちが会議をして「太陽をひとつ殺そう」ということになり、弓矢で太陽を射るんです。この時の矢が「鶏頭の矢」なんですね。それで、太陽がひとつ死ぬと、兄の太陽が嘆き悲しんで洞窟にこもってしまう。そこで鳴いて太陽を呼び戻すのが、コウモリなんですね。
 なぜ鶏頭が出てくるのか、とても不思議だったんですが、シッキムの植物相・動物相を研究した事典を読んでいてようやくヒントが見えてきました。シッキムの天岩戸神話ならば……鶏頭草が出てくる7月がちょうど雨季です。雨季に太陽が見えなくなって、乾季になると太陽が戻ってくることを物語っている、と。つまり、神話というものは、周囲の自然によってトランスフォームされていくんです。クロード・レヴィ=ストロースは「人間が考えるのではなくて神話が考えるんだ」と言いました[8]。人間が神話を考える「人間中心モデル」からの分岐的なシステムとして「神話が考える」というモデルがあるということです。これは近年、エドゥアルド・コーンという人類学者が「人間が森を考えるのではなく、森が、森を考えるんだ」と言っていることにつながってくるんですね[9]。
 つまるところ、知性がどこにあるのかという「知性の座の問題」なんです。
 人間の頭脳に「個」というものが囲われていて、そこに思考の座があるというモデルから、人間は魂がいろいろなところに複数あって、それが分散して複数の自己が広がっていくようなモデルへ。エドゥアルド・コーンは「諸自己の生態学(ecology of selves)」という言い方をしているんですが、「もしかしたら、自己というものは体内に複数あるかもしれない。さらには、頭蓋骨や皮膚を超えて、自分の体外にもあるかもしれない」ということですね。そう考えると、「神話が考える」とか「森が考える」ということも、まあ、荒唐無稽な話でもなくなってくるということですね。スマートシティを構想するにあたって、このあたりが「人間が思考する」というモデルを超えていくヒントになるのかもしれません。

後編に続く

[1] 石倉敏明, 田附勝, 野生めぐり:列島神話の源流に触れる12の旅, 淡交社 (2015).
[2] 第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館展示帰国展 Cosmo-Eggs|宇宙の卵, https://www.artizon.museum/exhibition/detail/42
[3] 下道基行, 安野太郎, 石倉敏明, 能作文徳, 服部浩之, 柴原聡子, 田中義久, 山田悠太朗, Cosme-Eggs 宇宙の卵 日本版, LIXIL出版 (2019).
[4] 石倉敏明, サイボーグ・複数種・堆肥体 : ダナ・ハラウェイによるコンタクト・ゾーンの拡張 (ダナ・ハラウェイ 「からだ」と「生態系」という現場から生まれる思想を、アートのなかで読み直す), 美術手帖 72(1080), 148-151 (2020/02).
[5] 藤原辰史, 分解の哲学 ―腐敗と発酵をめぐる思考―, 青土社 (2019/06).
[6] エマヌエーレ・コッチャ, 植物の生の哲学-混合の形而上学-, 勁草書房 (2019/08).
[7] ティム・インゴルド, ライフ・オブ・ラインズ―線の生態人類学-, フィルムアート社 (2018/09).
[8] クロード・レヴィ=ストロース, 野生の思考, みすず書房 (1976/03).
[9] エドゥアルド・コーン, 森は考える―人間的なるものを超えた人類学, 亜紀書房 (2016/01).



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