東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)から10年

去年の自粛(休校)期間にほぼ毎日投稿していたnoteをどうやって再開しようかと考えているやまけいです。お久しぶりです!

コロナ禍が始まってついに1年以上が経ち、「アフターコロナ」と呼ばれる世界が訪れる気配がなかなか無いのですが、日本を含む世界各地で活動する医療従事者の皆さんの活動が報われる日が来ると信じています。

先週のの3月11日といえば、10年前にM9.0という日本国内での地震の中で最大規模の東日本大震災が起こった日でした。今回のnoteではあの日のことについて書いていきたいと思います。

東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)とは

2011(平成23)年3月11日14時46分岩手県の三陸沖で発生したマグニチュード9.0、宮城県栗原市で最大震度7を記録した大地震のことです。

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地震のみならず津波や火災、チェルノブイリやスリーマイル島での原発事故と同じ深刻度であるレベル7と評価された福島第一原子力発電所の事故等が発生したことで日本において第二次世界大戦後最悪の自然災害と呼ばれています。

地震後、津波と火災。

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あの日、14時46分に地震が発生したとき震源が海底であったため大津波警報や津波警報、津波注意報が全国に発令され、東北地方の太平洋沿岸には10mを超える大津波が襲いました。現在では津波警報や津波注意報が発令されると「東日本大震災を思い出してください!」とテレビでアナウンサーが訴えかけていますが、10年前は今よりも津波に対して楽観視していた人が多く、YouTubeに投稿されている当時のテレビ放送などを見ても東北地方の情報が入ってこないからなのか東京等都市圏の情報が中心的に取り上げられていたことが分かります。東日本大震災における亡くなった方の約90%津波による溺死、水死であったといわれています。

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地震発生時から約1ヶ月間で東北地方から関東地方にかけて各地で約373件の震災関連の火災が発生しました。震度5弱を記録したコスモ石油千葉製油所(千葉県市原市)では連鎖的にガスタンクが爆発し火災が発生。鎮火までに約10日を要しました。


宮城県気仙沼市では、津波に飲み込まれた車などがきっかけに大規模な津波火災が発生しました。当時、テレビでも陸上自衛隊が上空から撮影した上記の写真のような映像が流れていたので記憶にある人も多いはずです。

福島第一原子力発電所の事故

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地震によって引き起こされたのが津波、そしてその津波によって非常用のディーゼル電源が水没したことで引き起こされたのが福島第一原子力発電所における事故になります。

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震災前の2010年度は全再生可能エネルギーの発電量比率が約25%の割合を占めていたのが原子力発電でした。

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「原子力 明るい未来の エネルギー」福島第一原子力発電所がある福島県双葉郡に設置されていた看板に書かれているこの標語のように、原子力発電が始まった1963年から海外でチェルノブイリやスリーマイル島での原発事故のみならず、日本国内でも茨城県で臨界事故が発生しても「原発安全神話」信じられてきました。

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あの日、人々の想定を超える津波が東北地方の太平洋沿岸を襲っていたころ、福島第一原発にも10mを超える津波が押し寄せました。非常用のディーゼル電源で運転していた時に電源が水没したことで全電源喪失という事態に陥りました。原発内部の情報が全くつかめなくなり、格納容器内でも異常が発生し始めます。格納容器内の水量が少なくなり核燃料がむき出しになった状態になった事で1号機~3号機にてメルトダウンが発生。その時にできた水素が反応したことで複数回水素爆発が起こった事などで周りに放射能物質が漏れ出してしまいました。

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現在も帰還困難区域として避難を続けている方もいらっしゃいます。

一時は東日本壊滅の寸前まで追い込まれたこの福島第一原子力発電所での事故。故・吉田昌郎所長などあの時最前線で東日本壊滅の危機から救った50人がいたといわれています。NHKスペシャルや映画で取り上げられたことで有名です。

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吉田所長を映画「Fukushima50」では渡辺謙さんNHKスペシャルでは今は亡き大杉漣さんが演じたことで話題になりました。ノンフィクションとはいえ、本当にあった出来事だけが描かれているかどうかはこれらの映像に出てくるモデルとなった方々にしかわかりません。

ですが、東日本壊滅の危機からギリギリのところで守った約50人がいたことを忘れてはいけないと思います。

震災発生から10年経って

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2011年に発生した東日本大震災から今年2021年で10年が経ちました。

第二次世界大戦後、自然災害としては最多の1万5800人を超える尊い命が奪われた上に、今もなお2500名を超える人が行方不明のままです。

10年経ったから区切りというわけではなく、これからも毎日1度は被災地のことを考えていきたいと考えています。

最後に、東日本大震災により犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

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