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なんでラジオが苦手なのか、少しわかった話

阿部広太郎さんが主宰する企画メシ2021の講義も残すところあと2回。
今回のテーマはラジオの企画、講師は、Radio Talk代表の井上佳央里さんだ。



いきなりだが、僕はラジオが苦手だ。
話すこともそうだけど、娯楽としてラジオを楽しめたことがない。
チームの企画でラジオをやっておきながら何だ、という話ではあるけども、その感覚は未だに変わらない。
音声媒体が苦手という理由もあるだろうがそれだけでは説明できない感覚があった。

ただ今回の講義を通して、なんでラジオが苦手なのか、そして自分が何を大事にしているのかが少しわかった気がする。



なぜラジオを自分は楽しめないのか、それは疎外感に対して自分が敏感だからだと思う。

それに気づいたきっかけは3つ。
1つは他の人の課題と阿部さんからのメッセージ。
2つ目は講義の中の学び。
3つ目は、講義後の些細な会話。

1つ目について。
今回の企画生のラジオを聞く中で、自分の中で心地よいなと思うもの、逆に正直なところあまり関心を持てない…というものがあったように感じる。
その違いを考えた時に、まずパーソナリティのことを知っているか否かが影響していた。これだけ講義を重ねる中で、多少人となりを知っている人とそうでない人がいる。前者のラジオは、耳を傾けようとなった。それは、おそらく自分がその人の内輪にいる、という感覚があるからだろう。

そして、阿部さんからのMOTTO RADIOへのメッセージでも「内輪ができてはいるけど、入っていきづらい」ということを言われた。確かにその通りだったと思う。
最近は意識できていなかったが、以前から「内輪ノリは世界で一番面白くて、一番つまらない」という考えはあった。
内輪ノリから外されると、途端に置いてかれる感覚がある。だから使い分けが重要なんだと。

一般的なラジオは、(知ってる限りだと)話す内容ではなく、パーソナリティが誰か、に依存する。
僕は特定の著名人に思い入れがないため、ラジオを聞いた時の独特の空気に疎外感を感じているのだと思う。


そして2つ目の講義の中の学び。
講義の中で、バックボーンが分かると聴き続けるフックになる、という話があった。
企画生のラジオを聞く中で、予め人となりを知らないけどもつい聴いてしまうラジオもあった。それはこのバックボーンが分かったこと、そして一貫性があることが要因だったと思う。
自己紹介の有無だけでなく、そこからの話し方や雰囲気が一貫していて、そしてこちらをちゃんと見ているような感覚。プロじゃないからこそ持てる親近感というか、人当たりの良い知り合い感が自分は好きだったのかもしれない。


そして3つ目。

これが色々なことに気づく一番のきっかけだった。

講義後に、放課後企画メシということで何人か残って話していた時のこと。
ある企画生の方が、出会い頭に「あ、久しぶり!就活の悩みは解決した??」と声をかけてくださった。
というのも、2ヶ月ほど前に似たような機会で就活に悩んでいるという話を少しだけしたのだった。でも、僕自身も話したことを忘れていたような些細な出来事だったのに、覚えて気にかけてくれた。
そんな出来事でぐっとその人との(一方的な)距離感が縮まった。遠くにいて、自分とは離れた外側にいた人が内側に入ってくる感覚。
とても嬉しかった。

そして同時に、自分は人との関係に「内輪」と「外側」での境界線があること、そして自分が外側にいることに不安を覚えるのだと理解できた。

正確には前から分かってはいたのを思い出した、というのが近い。
複数人で話している時、この話題は一部の人しか付いて来れないから流れを変えた方が良いのでは、とかついつい考えて過ごしてしまう人間だ。
でも話す側の当事者になるとそんなメタ的な視点を忘れてしまい、あの時自分たちだけ楽しんでしまったな…とセルフ反省会を開いたことが何度もある。

じゃあ何が大事なのか大事にしたいのか、それは阿部さんの言葉にあった「開かれた内輪」
大きな企画だけじゃなく、日常のコミュニケーションでも必要な意識。特に敏感だったはずなのに、課題としてはその真逆をいってしまったのが悔しい。

大事にしたいことはわかった、なのであとは何が出来るのか。

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