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僕は演算機でソーセージ機で

以前より参加している連続企画、”企画メシ2021”での学びについて。

第二回 伝統芸能の企画
講師は編集者・ライターの九龍ジョーさんだった。

九龍さんの話の中で特に印象的だったのは、「自分という演算機を使う」という話。
編集者として様々な人と関わる九龍さんがポテンシャルを感じる人は「見ている視点が違う人」と話していた。
そうなるためにはどうするか、その答えが「自分という演算機を使う」ということだった。

入力(インプット)に対して自分のフィルターを通して出力(アウトプット)することで、「自分らしさ」を生む、ということだ。

もちろん、最初からできるわけでない。けど、繰り返し入力と出力を繰り返し、演算器を動かし続ける。そうすれば自分の特性が、自分の武器がわかる。最大限の力を引き出せる。知識がないことでも自分らしさを乗せることができる。

ユニークな表現だと思いつつとても納得がいく説明だった。
と同時に、「自分は演算機」という表現から違うことを思い起こしていた。


「ソーセージ機」


これは世界三大幸福論と呼ばれるラッセルの『幸福論』で出てきた表現。

「豚をおいしいソーセージにするために精巧に作られた2台の機械があった。1台は豚に熱意を持ち続けた結果、たくさんのソーセージを作った。もう1台は、『豚がなんだ。自分はこんなに精巧な素晴らしい機械なのだ』と、ソーセージを作るよりも自分のことを研究しようと考えた。その結果、ソーセージ機に本来の食物が入らなくなると、内部は機能しなくなってしまった」

と書いてあった。
要はソーセージ機の役割はソーセージを作ることであって、その性能を高めることではない。
目的をないがしろにして視点を内に向けすぎると本質を見失うよ、ということ。


九龍さんの話した「自分という演算機」の話にも通ずるところだろう。

演算をするにしても、ソーセージを作るにしても、企画を考えるにしても、最終的にはそれを受け取る人がいる。
自分のフィルターを知り自分らしさを高めることは非常に大事だ。でもそれは自分のためだけに高めるのではない。同時にその先にいる人に届けるために高めるのだ。

第一回の阿部さんの
伝えるだけじゃなく、伝わるか。
自分目線だけじゃなくて相手目線でも考える。


第二回の九龍さんの
自分という演算機を理解し使いこなす


どちらが大事ではなく、どちらも大事。
意識すべきはバランス。

これからの課題でも、課題以外の生活でも「自分らしさ」と「その先」を意識してみたいなあと思った、そんな時間だった。

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