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21歳、なぜ生きるのかについて


※今の悩みを企画メシの講義前に残しておきかっただけなので面白くないです。

先月21歳になりました。めでたい。
ただそこからの2週間、かなり鬱な状況でしんどくて、授業をサボったりずっと寝てたり逆に不眠だったりと酷い生活を送ってました。

そんな中、企画メシの課題とかに触れながら大学生が考えがちな、「なんで生きるのか」について考えてました。(今も) 

色々とモヤモヤしたり息苦しいのでその感情を一応残しておきます。
(また寝れないので暇つぶしの書きなぐりですが)



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1年前の20歳を迎える前にNoteの下書きに「なぜ生きるのかについて」というメモを残していました。 

長いので載せませんが要約すると、

趣味なんてないし積極的に生きる理由はそこまでないけど、死ぬ理由もないから生きてると思ってた。
けど、おそらく多くの人は希望のために生きている。
そして自分の希望は身近な人と過ごす時間であると思う。自分はその人たちの存在が生きる理由になっている。
そして逆に、彼ら彼女らにとって少しでも生きる理由になれるように、学んだり変わったりしていきたい。


とこんなことを書いてました。端折っているので分かりづらいけど。

ただ、留学に来て、自分にとっての希望、生きる理由である身近な人たちと切り離されて孤独になることで改めて生きる理由とはなんだろうかと見直すようになってきまして、これは間違いないけど抽象的だし他人に依存してるだけだなと。

多分、自分が何をしたいのか成したいのか、という生きる理由はあった方がいいんだろうなと日々感じます。
死なないように、というマイナスな理由じゃなくて、色んな意思決定において目標や軸ががないと全部中途半端になってしまう。

「人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、 何事かをなすにはあまりにも短い」
とはよく言ったもので、この世の中の色んなコンテンツを全て摂取していたらキリがない。
僕は自分の心の健康を大事にしてるので、目的もなく真面目に全てのことを考えてすぐに心が疲弊してしまうのは避けたい。
だから必要なものとはちゃんと向き合いたいけどだ目指すところが何も無いから何が必要かも分からない。

最近は就職の話とか聞いても、なんでみんなそんなに志が高く生きていけるのだろうか、と。
どうやって、自分のビジョンだとか夢だとか原動力を見つけているんでしょうか。

別にキャリアに重きを置かない生き方もあると思うけど、僕は趣味も全くない。旅行とかにはたまに行くけど、せっかくだから、という思いで所詮は暇つぶし。映画も本もたまに摂取するくらい。


そして特に企画メシの人と関わることで強く感じます。今回のラジオの企画の課題は顕著。
自分以外の全ての人が、何かしらの思いを強く持って活動していたり、趣味とかを楽しんでいるなあと思い知らされます。
働きながらも熱心に勉強して宣伝会議賞に応募していたり、周りに強く勧められるほど好きなことがあったり、色んなイベントを主催してたりと本当に凄いなあと。


これはずっっっっと思ってる単純な疑問で、なぜ皆さんはそんなにも何かに熱量を持てるんでしょうか。何がそんなにも皆さんを突き動かしてるんでしょうか。

経験の幅や数の問題でしょうか?
感受性の違いでしょうか?
無理やり言い聞かせているんでしょうか?
才能でしょうか?努力でしょうか?

そしてそんな皆さんはなぜ生きてるのでしょうか。

僕がなぜ生きていたいのか、何に時間と想いを注ぎたいのか、本当にこれは分からないし、何かに向き合う度にこの命題にぶつかって、軸も志も何も無いからっぽな人間だなあと苦しくなります。


そして今回のラジオの企画。
チームのラジオに逃げました。
自分が発信できるコンテンツも人間性もないと思ったから。
何か誇れる、人に伝えられるほど熱量を持って活動してないから。
本当にその場その場でやり過ごして生きてきたツケを払わされています。


経験上、「コミュニティに属してその場にフルコミットする」のが貢献した感覚やそのコミュニティ内での目標もあるから、ある意味何も考えなくて良くて一番良い解決策なんだろうとは思ってます。
でも、コミュニティから切り離されている今だからこそ、それでいいんだろうかねえ、という気持ちもあるのでこんなことを考えてしまいます。

それを探すのが人生だよ、って前言われましたが、それって答えになってなくない?って思っちゃったりして、どうしようもないです。

大学入ってからずっと思ってる事の書きなぐりでした。
企画メシが終わる頃には、はたまた1年後には何か変わっているのでしょうか。何もわからないです。

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