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自戒と猛省の間で愚痴を吐き出す。

娘は今年の夏に2歳になるが、生後3ヵ月ぐらいの成長である。
身長体重はありがたいことに問題なく成長しているので、傍目にはやたら大きな赤ちゃんである。


私は人間としての器が非常に小さく、またとても頼りないと自負しているが、他のお子様の成長が眩しくてSNS上でも直視できない。
薄目でそーっと見ている。


娘を生む直前まではイラストで妊娠レポをかいていらっしゃる方の記事を追いかけていた。
予定日が近く、勝手に親近感を感じて心の支えにしていた。

出産後しばらくも、産後あるある(泣いて寝ない等)の記事を読んだ。
寝返りの記事が出始めたころ、もう読めなくなった。
アプリを消した。

多分最近になって書籍化が決まったのか広告か何かで久しぶりにその方の絵を見た。
止せば良いのに好奇心に勝てずに最新の記事を読んでしまった。


私の記憶の中、イラストの中でのみ知る赤ちゃんは
立って歩いて、簡単な意思疎通をしていた。


おお、眩しい。


私はそのページをそっと閉じた。
1年以上ぶりに見たが相も変わらず可愛らしい。
たくさん愛情を注がれて大きくなったようで何よりである。

分かっている、旦那も私を何とも言えない表情で見ていた。
何故自分から傷つきに行くのだと、そう言いたくなる気持ちは私にもある。

ところで。である。
私はよく「もっと困難な状況にある人もいるのだから現状を幸せと思って受け止めるべき」と説法される。
説法するのは親族だったり会社の偉い人だったり子育てしたことない人だったりバリエーションに富む。
(説教と書くと私の反発心がむき出しになってしまうような気がして恐ろしかったので、ここでは説法と表現させていただきたい)


何をおっしゃっているのか。
どこかの誰かが私より苦しんでいることが、私を助ける一因となりはしない。
そんな考え方は誰も幸せにはしない。


語感を少し変えてこう説法を受けることもある。

「もっと困難な状況の中にあっても弱音を吐かずに頑張って結果を残した人がいる、あなたも頑張るべき」


何故どこかの誰かと同じように頑張らねばならないのか。
この説法をする人は頑張ったその人本人ではないのが面白い。
頑張ったその人ならともかく赤の他人が何故私を叱咤するのか。
思わず返す言葉が「ソウナンデスカー」となるのも仕方ないだろう。


私は娘に持病というか障害というか、そういうものが見つかったから上記のような説法を受ける機会ができた。
世間には様々な理由があってこのような毒にも薬にもならぬような話を聞く時間を設けられている人がいることだろう。お勤めご苦労様です。

私達のことを思っての、100%の善意での言葉かもしれない。
だが決してどこかの誰かと比較などしないでほしい。
健常児や定型発達を羨む私は、いつも「他人と比べてはいけない」と自戒している。
それこそ毎分毎秒毎刹那(?)、起きて意識がある時はずっとどこかにその訓戒が頭の中にある。
そんな私にとって上記のような説法は閉店ガラガラ!と心のシャッターを下ろしてしまう言葉にしかならない。


他人と比べるという厄介な思考は、どれだけ自戒していてもすぐに顔を出す。
冒頭で述べた私の行動を思い出してほしい。あんな感じのことはしょっちゅうだ。
そのたびに深く傷つきもう決してこんなことはするまいと猛省する。
私の娘は世界でただ一人であり、誰とも比べようのない宝物なのである。
オンリーワンかつナンバーワン、スペシャルでワンダホー、キュートでベリグッ。
それでいいじゃないかと何度も何度も己に言い聞かせている。


何故自分から傷つきに行くのだと問われれば、これはもう“子供の成長をのぞむ”気持ちがそうさせるのだとしか思えない。
娘と同じような年頃の子がもう歩いて、話している。
その姿に娘の可能性を見出したい気持ちがある。
本来娘も歩むはずだった成長の道筋を、他人の子に重ねて見たくなる。


でも結局、むなしくなって終わりだ。
うちの子の分まで元気に走っておくれ、なんてそんな達観したことを言えるような人間になれない。
こんな風にめそめそしたことを言うと、また新たな説法を受けてしまった。


「子どもがそんな状況ならお母さんは笑っていないと」


出た出た出た。
どうもこの世は母親たるもの明るくあれと強制するのが好きらしい。

いつもどんな時でも笑っていろと言うのか。
日々幸せに暮らしている、それは間違いない。
でもふっと悲しみに襲われたりするのだ、それはきっとどこの誰だって同じだろう。
何故苦しむことを禁じられねばならないのか。


同情を誘うからか。
同情ぐらいしてくれタダだろ。
いや同情が欲しいんじゃない、ただ愚痴を吐き出したいだけだ。

どんな人だって愚痴ぐらい言う場所があったって良いじゃないか。
ほら定型発達児ちゃんママだって子どもが〇〇して困るとか言ってるだろう。
それと同じだ。
私は別に「かわいそう」だなんて言葉を求めてはいない。

「それな。分かる」

ぐらいの共感を得たいだけだ。
ただちょっと少数派なのでなかなか共感が得られずにいるだけで。


世の中に説法をする資格がある人はどれだけいるだろう。
少なくとも私の中で、この人は立派な人だなと思い尊敬申し上げる人は、私に説法したことなどない。
優しい顔で笑い、娘を見て「可愛い子ねぇ」と笑うだけだった。


説法する人がこの文章を読む確率の低さを考えていたら何も始まらない。
影響力など何もない私が、広大なネットの海でこうして発信して何になるのかという気持ちはあるが、面と向かっては言えないからここに書くしかない。
私達親子を、私達親子のような状況にいる方々を思い、何か言葉をかけてやりたいと思った時は

どうか、どうか。
他人と比べず、努力を強制せず
どこかで見ただけの言葉を借りたりせずに
そっと見守ってください。

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