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クラシックピアノを習っていた頃(2)〜 曲目と待ち時間 編〜

僕がどんな曲たちといっしょにどんな風にピアノを習っていたか、『クラシックピアノを習っていた頃(1)』たくさん読んで頂き感謝です。♡も、どの記事よりも多く、びっくりです。

さて、B5ノートに毎週書いてレッスンに持っていった、

1 バッハ

2 ツェルニー

3 ピアノソナタ

4 近現代

5 連弾

の5曲ですが、記憶にある1〜3はこんな曲集を使って進んでいきました。

1 こどものバッハ(という名前だった気がする)

   →インヴェンション

   →シンフォニア

   →平均律1

2 ツェルニー(の何か、あるいはハノン)

   →ツェルニー100番練習曲

   →ツェルニー30番練習曲

   →ツェルニー40番練習曲

   →(どうなったか記憶無し)

3 こどものソナチネ(という名前だった気がする)

   →ソナチネアルバム1,2

   →ソナタアルバム1

   →ショパンワルツ

   →ショパンポロネーズ(ちょこっと)

   →ベートーヴェン(いくつか)

   →ブラームス(ちょこっと)

   →ドビュッシー(ちょこっと)

   →シューマン(ちょこっと)


先生からの最初の指示で今でもはっきり覚えているのは

★「バッハは両手が同じよ。ソナチネは左手が伴奏で右手はメロディよ。」

先生の練習方法について印象的だったこと→しっぽ少年の心の中は、

☆「繰り返し記号は繰り返さなくていいわ。」

   →僕の心中「長くならなくてラッキー」

☆「片手ずつの練習は弾かないで。両手で弾いてきなさい。」

   →僕の心中「うんうん、片手では曲の雰囲気出ないよね」

☆「本の中の曲、全部弾かないから。」

   →僕の心中「もったいない。本、高い(高価)のに。」

☆「どんどん、たくさん弾いてもらうから」

   →僕の心中「弾けるようになるの?」

と、驚きながらも、お気楽に解釈してました。(ツェルニーはさすがに全曲、順番に弾いた記憶あります)


今は自分が親の立場で、子供にピアノを習わせていますが、「片手ずつの練習、と、曲の進み度合い」に大きな違和感をもったままです。ーー((こんなんでいいんだろうか?))ーーただ、自分は毎日1時間練習したけど、子供は週に2回で1回15分くらい触る程度(に見える)という練習量の差があるので、致し方なし、としてます。本人がイヤでなきゃいいや、くらいに。。。


話を戻します。

これ以外に特徴的と思っていた先生のやり方は、ソナチネで弾いた曲をとりあえずマルにしてもらって、後でピアノソナタとして(曲は同じ、楽譜の入ってる本が違うだけ)しっかりやった、という曲がいくつかあったように思い、ショパンワルツはなぜか小4と中2で同じ本で同じ曲をやりました。たぶん、先生がショパンワルツが好きだったんだろう、と勝手に想像してますが、真意は未だ分かりません。

自宅での練習は毎日、夕食後、午後8時から9時、と決まってました。LDKにピアノがあったので、少しでもミスしようものなら、母が1mモノサシもってシバキにくるという恐怖の中で弾いてたのが、小4くらいまででした。

母は僕がピアノを習い始めて1年ほどで、ばっさりピアノを辞めてしまったので、何か思うところがあったのでしょう。最後に弾いていたのがショパンのノクターンOp9-2だったことは覚えています。

先生の家での僕のレッスンは、毎週木曜日、夜6時くらいから、でした。行きはまだ明るいけど帰りは真っ暗、の記憶で、日時は決まっているのだけど、前の生徒さんの進み度合いや指導内容によってレッスン時間は長短バラバラ、1時間以上待って自分の番、ということもよくありました。

しかも、自分の前の子が(よく代わるのですが)上手いのです。今考えてみると、「男の子だから夜遅めの時間でお願い」と言われていて、小学生の間は母親が付き添いで来てくれていたので、たぶんその日の最後の順番だったのだと思います。すると、前の順番の子は同世代の女子の一番上手な子。その子が、すごいの弾くんですが、止められ、指導され、先生が一緒にテラララ〜と歌いだし、彼女もすごい形相で弾き出す。時々は、”ちょっと代わって”、と先生が弾き出す。これが全て大迫力で、CDも無かった時代に、カセットもたぶん無く、先生の家で聴いた他の生徒さんのスゴイ演奏、が唯一のクラシックピアノ音源だったように思います。

自分のレッスンの時は「新曲、初見してきましたー」の回は、ほぼ毎回、1段目で止められ、先生の見本演奏が入りました。すると、まったく違う音楽の世界が目の前に広がり、それをリピートする、とやっていたように思います。母も1週目と2週目の差が一番あると言っていたのでそうなんでしょう。

でも、そこが一番集中していたし、レッスンの中で唯一楽しかったのではないか、とあれから三十数年たって思いますね。

ま、小学生の間は”苦行“というほか表現のしようがない、習い事でした。

それでは、今日はここまで。お付き合い下さりありがとうございました。

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