割り切りの先にあるもの

最近の出来事

今年PTAの役員をやることになり
新年度の書類を印刷するお手伝いに行きました。
印刷機からどんどんと刷られ、うずたかく積まれていくプリントの山。
そのプリントはは「PTAとは」的なものなのですが、おそらくさっと目を通した後はぽいと捨てられるもの。

プラスチックでいうと、使い捨てプラスチックと同じ感じだと思う。

これ、印刷せんでもホームページに載せたり、メールでデータを配布したりすることで紙ゴミ減らせるんじゃないかな・・・
ともやもやしたので、これまで数年役員をしてくださってきた先輩に話してみたところ、やっぱりどんな人にも平等に情報が提供されるようにPTAは配慮しなければならない。とのことで、もやもやするかもしれないがもう割り切ってくれ。とのこと。

みんながみんなパソコンやスマホといったデバイスを持っているわけじゃないし、持っていたとしてもやはり紙の方が都合がいい方もたくさんいることは百も承知です。

ですが
それはそれで何も考えず、右にならえでいいのかなって思うのです。
思考停止した先には、何もないし
割り切った先にも何もないと思う。

そもそも割り切るとは

個人的な感情を入れずに考えたり、行動したりすること。 
また、物事の結論をきっぱりと下す表現として用いられる。 
仕事や私生活の人間関係において、相手への過剰な期待を捨て、ある程度の距離を置いて付き合うことなどを「割り切って付き合う」と表現する。
Weblio辞書

ここでいう、個人的な感情。の中に
「ゴミを減らしたい」というものを含まれるのか。
これは個人的な感情なのかな。

例えば、給食で肉食をやめましょう。やめてください。
というのも、個人的な感情なのか。
私はビーガンじゃないから、そんなことを要求してくる保護者がいたら、
いやいやいや。
子供に肉食べさせたくなかったら、お弁当もってきたらいいじゃん。って思うかもな。

肉食と紙ゴミって私にとっては同じじゃないんだけど
別の人にしてみたら、同じ類の問題かもしれないな。

ちょっと本来書きたかったことと、ずれてきてしまってますが
価値観千差万別ですね。

でも、地球環境や紙ゴミ問題などは価値観とは別の軸にあるようで、全てのベースはそこですよね。

なんて言いたいかわからなくなってきましたが
私は割り切りの先には何もない。
割り切って、ただやるべきことを淡々とこなすだけだったら
色んな感情も頭の中も使わないで楽。
でも本当にそれでいいのか。

かくいう私も、
PTA1年経験した来年の春あたりには
何も考えず、ガンガン印刷機まわして
「割り切りましょう」とかいってるのかもしれない。

そうなりたくないけど
致し方ないのかもしれない。

いや。
何か行動はおこせるはず。


レジ袋が今や使わないのが普通になれたんだから
紙だってできるはず!


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