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盗まれる作品

どうやら近頃「自分の作品をパクられた」というのが多いらしい。

イラストレーターの間ではイラストの構図なんかをそのままトレースされるというのが昔からあった。
最近ではAIに学習されるというのも、懸念点らしい。
今回、目についたのは平面作品。構図だとかアイディアだそうだ。
ちなみにそういう話題が目についただけで、具体的に盗んだ側のも、盗まれた側の作品も見ていない。

ただ、これだけ個人がアーティストと同じように、自分が作ったものを発表できる今の世の中で、パクっただ、パクられただというのは、いかがなものかと思う。
こういう人たちには結局、文脈(コンテキスト)がないのだろう。

つまり、この「〇」と、こっちの「〇」があって、見た目が同じだけど、前者の〇は、輪廻転生を表していて、後者の〇が人の繋がりを表しているとしたら、これは別の作品なわけで。
それぞれが自分のバックボーンから〇にたどり着いたのであれば、おなじ〇があっても描いた当人たちは「あれとこれは違う」と自信を持って言えるのだが、それが無い。

パクられたと騒いでいる人たちは、ただの〇を描いたに過ぎず、その上澄みを掬われただけで全てを奪われてしまう。
作品の中身がないことを自ら露呈してしまっていることにすら気付いていないかもしれない。

もちろん盗んだ方が悪いというのは大前提だが、盗めるようなものだということも理解しておかなくてはいけない。
こういうことを理解していない人たちが、AIにやたらと反発したりしているんだろうと、これを書いていて気付いた。

あとは、2番目では意味がないことをするかだ。
それまでの常識を覆すような革新的なもの。
これらは盗んだとして2番目に価値はない。
ただし、この方法は既存の全てを棄てる必要があり、固定概念を捨てきれず(或いは恐れからか)、本人だけが革新的だと思っている中途半端なものが多い印象がある。

このような、構図やアイディアに価値があると思っていた時期は私にもあった。 当時は頭の中までは盗れないと思っていた。
結局のところ、そんなものを拠り所にするのは間違いだと気付いた。

今でも思考をこねくり回すのは好きだが、それはオマケ程度に考えている。
中世や近代と違って現代に於いての平面作品は、技術や発想のみでは路傍の石も同然の時代にある。
面白がって画面をこねくり回しているだけの時代ではもうないということだ。

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