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ここのところのAIのイラスト騒ぎについての私見と偏見

なんだか久しぶりに文章を書きたい気分なので、ブログでも書こうかと。
近頃は、AIが絵を描くようになっちゃって。ある程度の事柄を指定すると、それっぽいのが出来上がってくる。 でもって描いたイラストが人間のそれと遜色なくて、無料だとかでバンバン作れるもんだから、イラストレーターが食えなくなるんじゃないかってことで少し世間が騒いでいるようで。

件のAIのイラストを見てみると、様々なデータを取り込んだだけあって確かに人間のそれと遜色ない。

それに、思考の根幹の違いからか、突拍子もないイラストがあったりと、よく見ると楽しい。

ただ、結局仕事を奪われると騒いでいるのは「量産品」を作っている人たちで、ちゃんとしたイラストレーターとか、画家はこの件については別に何も思ってないんじゃないかというのが個人的な意見で。ちゃんとしたってのは、一言じゃ難しいけど、自我があるみたいなニュアンスで捉えてもらえたら。

問題にすべきは、受け取る側に、そのデータの集積で十分って人がどれだけいるか。そっちの方が描く側には重要な訳で。

個人的には、これからの冷めた日本人にはAIイラストの方が需要があるとは思うけど。

だけど人間、不思議なもので、どうにも便利が続くと不便が恋しくなるみたいで。
時々起こるレトロブームなんかが正しくそれで。

未だにフィルムカメラの不便さを楽しむ人だっているし、私もそういう感覚はどちらかと言うと在る方だ。多分、誰にだって在るものだろう。
今まで貴重だったものが、無価値に等しくなるなんてよくある話で。

このAI騒ぎで思い出すのが、産業革命期のカメラの発明。
当時の職業画家は同じように騒いでたんじゃないかな。
たかだか120年くらいのことだけど、今のカメラ(機能も含めて)の普及率は凄まじい。
だからって画家は消えてないし、写真にできないことを探してきた。
そうやって抽象画やキュビズムが生まれて、絵画は一つのステップを登ったのに。

イラストの世界も、そういう時代に入ったって考えた方がいいと思うんだけども、今の日本では、反対意見にその可能性が潰されそうで残念。

日本が時代の波に乗り遅れている原因はこういう性質だろうなと、思い直した。

そもそも、どうして考える前に反対だなんだと言い出すのか。
人にできること、AIに奪われないものをなぜ考えないのか。
まぁ、この辺の理由は簡単で、現状維持、進化も退化もしない状態ってのは一番居心地がいいから。あとは目先の損益。

なんにせよ、この先AIに抵抗する人間、別の行き先を求める人間の動向は気になることころである。
或いは、それらを取り込んだAIが、また新たな道を開くかもしれないことも。

そういう意味でも、人間が必要のない時代は来ないと思ってるんだけど。

名画を欲しがる人、ポストカードで満足する人。どちらかといえば、日本人は後者が多数じゃないかと私は思う。

おまけの話で、AIが描いたイラストがデータだから著作権が当てはまらないじゃないか、みたいなことを言ってる人がいる。

AIの開発会社がどう言うかはわからないけど、AIは著作物を生み出すのを目的としている訳ではないと思う。

あくまでデータの集積と出力を繰り返し、修正していって、AIとしての機能を高めることが目的なんじゃないのかな。

AIも無心で描き続ける。そういう意味で考えたらAIが一番作家らしいのかもしれない。

人に考えろと言っといて、色々好き勝手に書き殴ってしまった。

結局のところ、文句ばっかり言ってないで立ち向かえばいいじゃんってことで。
そうやって互いに刺激していければ人間の味、AIの味、それぞれが出てくるんじゃないかな。

味付けもしてないのに、不味いと決めるのはいかがなものか。

尤も、それによってイラストで食えなくなる人間が出てくるのも事実だが。
だが、それぐらいの仕事しかしていない事実も受け入れるべきだ。











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