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自分の決め事の作用

以前「制作につきまとう危険なテーマ」という記事で触れたことがあるが、自分が見つけた(気になっている)テーマに引っ張られるということがある。

以前の記事では、悪い例えとして使っていた気がするが、悪いことばかりというわけではない。

自分で決めたステートメントに従うことで、それを軸としたブレない行動ができる。
作品も、それを軸とした展開をすることができる。
つまりは、それが拠り所となり、迷ったときはそこへ戻ることもできる。

そして、これにはネガティブな面と、ポジティブな面が同居している。
つまりは間違った方向であろうと、正しい方向であろうと、自分で自分を引っ張ってしまう。

正しい方向の場合は、そのテーマ、決め事に従えば、上記のように作者の拠り所として機能し、循環していく。
ただし、間違った方向の場合は、悪循環へと陥ってしまう。

だが恐らく、間違った場合はステートメント、つまりは他者への説明の段階でどうにも上手くいかないんじゃないかと思う。
なんだか自己陶酔なだけだったり、楽な道を進もうとしているだけだったり。
自分でも気付いているけど、そう思わないようにしていたり。

自分は所謂、器用貧乏だったから、大体のことはできた。
故に、一つに絞るということができなかった。
何をやっていても、本当にこれなのかという疑問が頭の隅にあった。
正直今でも、その疑問が時折よぎる。

そういう時に自分の決め事を見つめなおす。
本当にこれでいいのかと。
そんな疑問をぶつけても、お前はこういうのが好きじゃないか、こういうものに心が揺らぐじゃないか、と答えてくれる。

自分の決め事には、そうした作用もある。

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