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ネットで個人メディアを作って生きてきた私の9年間。ノウハウから思い出話まで全部書きます!


(*9月10日に、第4章「4.SNSでのシェアのツボは?」を追記しています。既に読んでくださった方は「ここから追記分です!」という青い画像があるので、そこまでドドドッとスクロールした上でご覧ください。第4章のみ読みたい、という方はこちらのページにて、単発400円でご購入いただけます)


「フォロワーが多い人はいいですよね」
「発言力のある人がそんなことを言うと……」

だなんて言われるようになったとき、「いよいよ私もそんなフェーズに入ってしまったのか……」だなんて思ってしまいます。

だって私は、ミリオンセラーだとか、国民的なドラマだとか、そういう「誰しもが知る業績」を成し遂げて有名になったわけでもないし、マスメディアに愛された訳でも、所属事務所が強い訳でもありません。というか、所属事務所とか、ありません。

SNSのフォロワーは最初はもちろん「ゼロ」だったけれども、ここ9年でのTwitterのフォロワー推移数はこんな感じ。

9年前からコツコツ積み上げて、現状のTwitterフォロワーは4万3千人ほど。

イベントを開くと1、2分ほどで100枚のチケットが売り切れるようになり、記事で紹介した場所には多くの方が訪れてくれるようになり、書籍を紹介するとアマゾンランキングを乱すほどには売れるようになり、副産物として、紹介したものがあらゆるブログネットメディア、マスメディアでも「ネットで話題の〜」と紹介されやすいようになりました。

私が運営しているメディア「milieu」では、必ずSNS流入による1〜10万PVほどの記事を出しており、記事が「スベった」ことは、過去一度たりともありません。かつ、どの記事も5分ほどの滞在時間を獲得しています。


そんな説明しにくい職業である私の説明として、代理店からの資料には「エンゲージメントの高いライター系インフルエンサー」って書かれていました。(強そうだな……)


「時代があなたに合っていたからよかったね」
「環境のおかげでしょう」

とかとかとか、いろいろ言われるけれども、私としては「来るべき個人メディアの時代」に備えて9年前、ハタチの頃からから準備していました。

だから今現在、こうしてまずは結果が出せていることはマグレでも偶然でもなく、「ちゃんと積み立ててきて良かったな」という所感です。環境は自分で作れるものですし。


じゃあ具体的に、どうやって積み立ててきたのか? それをどう仕事に変えてきたのか?

いつもは講演会でそんな話をしていたりもするのですが、もうすぐ日本を飛び立つこともあり、現状予定されている長野・静岡での講演が実質最後になってしまうと思います。だから「インターネットを使って、ゼロから積み立てて、ネットで影響力を育てていく方法」を全部noteに書いておこうと思います。


「卒業制作」くらいの気持ちで、持てるもの全て注いで書いていきますので、長くなりますが……お付き合いください!


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INDEX

1.情報を「作る」ことが神聖化され、「運ぶ」ことが軽視されていた
2.何億円かけて作った広告が、0円で書いたブログ記事に負ける時代
3.最低限整えておきたい、SNSのエチケット
4.SNSでのシェアのツボは? "面白い・快感・有益・自己紹介・懐かしい・美しい・美味しそう・警鐘・安心・親切"
5.「バズ」を一過性のバブルで終わらせない、ファンに変えていく方法
6.Twitter、Facebook、Instagram、LINE@で異なる戦い方
7.ネット発インフルエンサーの弱点

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※この記事は、1冊の本を書くように、長い時間をかけて加筆していこうと思っています。2018年9月10日現在は「1」「2」「3」「4」のみ700円にて公開しておりますが、全部加筆して完成した頃には全体的にブラッシュアップして、1,000円で据え置きしておこうかなぁと思っております。

※「4.SNSでのシェアのツボは? "面白い・快感・有益・自己紹介・懐かしい・美しい・美味しそう・警鐘・安心・親切"」部分のみのバラ売りはこちらです。

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では、本編はじまりまーーす!



1.情報を「作る」ことが神聖化され、「運ぶ」ことが軽視されていた


メディアの世界では、それはもう、超大型のパラダイムシフトが起きています。インターネットの登場で誰しもが情報発信出来るようになり……ということは言われ尽くしていますが、案外メディア側のプレイヤーたちの座組は、あまり変わっていません。

ただそれは「作る人」に限って言えば、です。

私の大好きな安野モヨコ(@anno_moyoco)さん著『働きマン』の「報われマン」の回を少し紹介させてください。

出版社で働く、営業マンの話です。2012年、今から7年前に発売されたコミックに収録されている1シーンですね。

<以下、画像は『働きマン』2巻より  ©安野モヨコ / コルク>

(いろんな書店まわって 宣材作って広告売って ものすごい頑張って 売れたんです 売ったんです)



「へへっまあね!! ライターさんと二人で頑張ったかいがあったかな」

(頭に来た 期待してた自分に頭に来た 犬みたいにごほうびをもらえるとでも思ってたのか俺は)


自分が頑張ったのに、認めてもらえない。こう言われたことにより、営業マンは仕事に思い入れを持ち込まない人に変わっていくのですが……

色々あって(詳しくは読んでください!2巻です!)小説家の先生に、営業マンの仕事ぶりが伝わるんですね。


「あの人達が売ってくれないと 本 書店さんに並びませんから」

「作者の人にお礼言われるなんて思ってもみなかったから うれしいよ……うれしいよな……」


……と、ここは思わず涙してしまう感動のシーンなのですが!(詳しくは買って読んでください!

ただ、問題はこちらの方の、この発言です。

この方、おそらく高学歴高収入。大手出版社の新卒組ですからね……就活ヒエラルキーの中でも最強です。(想像ですがまぁ間違っていないでしょう)

が、「ライターさんと二人で頑張ったから売れた」と思ってしまっている。営業マンが必死で営業してくれていたことが見えていなかったんですね……。


ライターと編集者で良いものを作れば売れる。(ここにフォトグラファーやイラストレーターやスタイリスト……も含まれることもありますが)

……というのは、職人の国・日本では美徳として信じられているところがあります。良いものは自然と売れる。もちろん真理でもありますが。

が。

どんどんメディアが個人主体になり、マスメディアという「網」が弱まっていく今の時代。この「届け方」までいかに神経を張り巡らせられるか? 「届け方」から逆算して何かを作れるのか? ……というのは、今後めちゃくちゃ重要なスキルになってきます。


ただ「ゼロから情報を届ける」ことって、実はかなり難易度が高いんですよね。出版社はその長い歴史の中で「届ける」ネットワークを築いてきましたが……


規模の小さな話をすると、私は大学時代に美大生仲間で雑誌を作っていました。

この「SHAKE ART!」というもの。やる気とコンセプトしかなかったのですが、それでも超優秀な仲間が集まってくれて、そこそこ人気なフリーマガジン…だった気がします。(私が関わっていたのは創刊〜7号くらいまで)


私は文章がそこそこ書けるし、広告営業もしました。かつ、美大生なので、デザインや写真撮影を担える仲間はいました。

しかし、一番苦労したのは「届ける」部分でした。

1万部印刷しても、読まれるべき場所に設置しないと、読まれないんですよね。

流通すれば立派な情報
流通しなければただの資源ゴミ

です。


最初は「届ける」の難易度を知らずに初めてしまったので、痛い目にあいました。

紙はマジで重いし、配送料は高い。結果、スーツケースに300冊ほどパンパンに詰め込んで、東京まで行って配布や営業をしよう!と向かったものの、何キロもあるスーツケースが重すぎて階段すら登れなくて、最安値の夜行バスから出てきたボロボロ&グシャグシャの女子大生なんて誰も助けてくれなくて、虚しくなって、ひとりオイオイ泣いてた丸の内線……。



しまいに雨に打たれ、安物のスーツケースには雨がどんどん浸水し、ビショビショで飛び込んだ表参道のギャラリーで憐れまれ、ドライヤーを差し出されたのは良い思い出です。自分の濡れた髪ではなく、フリーマガジンを真っ先に乾かしました。hpgrp galleryさん、あの時は本当にありがとうございました。


それでも、なんどもなんどもスーツケースをパンパンにしては、全国の美大、カフェ、ギャラリー、美術館……ありとあらゆる場所に突撃して配りまくっていたなぁ。当時のツイートにその爪痕が……。


我々の拠点は京都だったので、京都はもちろん……

表参道のアートカフェにも……

名古屋にも、Twitterの知人を通じて設置してもらい……

大阪・アメリカ村でも……

(ちなみに、このnoteのカバー画像にしているのは、アメ村のdigmeoutでイベントを開催している大学生時代の自分ですね……)

「手に入らない!」という声が多いので、レジで取り置きしてもらうことになったり……

原宿でも……

かつ、全国の美大に配布するのは(配送料的にも、労力的にも)大変なので、絵の具メーカーの「ターナー色彩株式会社」さんと提携して、広告を掲載するバーターとして全国の美大に配送代行していただいたりもしました。

おかげで、沖縄県立芸術大学とかでもしっかり配布されるように。全国の美大でも反響がありました。


いまだに、アラサーの美大卒業生に会うと「あ、もしかして……SHAKE ART!の人ですか? めっちゃ読んでましたよ!!」と言ってもらうことがあり、その瞬間にテンションがブチ上がります。届いてたのか!そして、今でも記憶に残っているのか!!(涙)と。


まぁ昔話が長くなってしまったのが、ここで実体験として気づいたのが

「紙を流通させること、コスパ悪すぎでは?????」


でした。身も蓋もないですねぇ……。しかし「運ぶ」コストが重すぎて、「これ出版社大変すぎでは??? 」と思ったのです。

もちろん、自分が出版社の編集者になれば「運ぶ」仕事はしなくても良いかとは思うのですが、誰かがやっぱり「紙の束を箱に詰めて運ぶ」ことになる。


しかし、当時は2010年頃。Twitterが流行し、私のフォロワーも増え始め、SHAKE ART!の活動もどんどんインターネットが主軸になっていました。しかし

紙メディア >>>> Webメディア

のヒエラルキーは、あまり揺らがないんですよね。消費者はWebを見て動いている。ただ、広告主はまだまだ「紙」についている。

著名なモデルさんや女優さんも「Webの取材には出たくない」「YouTubeには出さないで」とオーダーする(もしくは事務所がそのようにコントロールする)ことが多かった時代です。


「Web=紙で取り上げられなかった二流コンテンツが掲載される場所」という感じ。

消費者はその時すでにWebを見て購買をしているし、現場は動いています。ただ、権威側が追いついていない……という状況でした。

しかし、どう見ても、今後成長するであろう産業はインターネット。

当時『ブランド「メディア」のつくり方—人が動く ものが売れる編集術』という、博報堂ケトル・嶋さんの著書を穴があくほど読んでいたのですが、その中でもヤフー・トピックスやライブドアニュースの項目には胸が高まりました。


こんなにもインタラクティブでリアルタイムなメディア手の中にあるのに、どうして私はスーツケースに紙の束を詰め込んで全国巡業してるんだ?!?!?!


ここで私の「紙への憧れ」は崩壊しました。

重要なのは「雑誌を作ること」ではなく「気持ちや情報や素晴らしい作品を、誰かの心に届けること」。ぶっちゃけ、届ける手段はなんでもいい。

当時私は20歳。最も効率が良く、時代に合った方法を選ばない…というのはリスキーでした。


私は1年間大学を休学していたのですが、1年先に広告代理店や大手メーカーの宣伝部・意匠部などに入社した友人たちは、入社してしばらくすると、Twitterにお昼ご飯のことしか書かなくなってしまう……。


「なんでTwitterやめちゃったの?」と聞くと、みんなが口を揃えて「コンプラがね」と苦笑いしました。コンプラ(コンプライアンス:法令遵守)という言葉をそのとき知りました。

Twitterこそ最大のメディアになる可能性があるのに、どうしてそれを奪ってしまうんだろう? と、不思議でなりませんでした。だって、情報を、気持ちを、届けられるんですよ。無料で、世界中に、スマホ1つで! コスパも純度も最強すぎる。


「出版社に就職して編集者になったり、広告代理店に就職してアイデアを出すよりも、自分そのもののSNSアカウントを育てた方が可能性あるのでは???」


と思った大学時代。「この雑誌を買おう」という「パッケージ買い」や「ブランド買い」よりも、「このライターをフォローしよう」「このライターが買いている記事を読もう」という「インフルエンサー流入」のほうが伸びしろがある。じゃあインフルエンサーになればいい。Webを乗りこなせばいい。


「絶対に、個人メディアの時代になる。だからしかるべき武器を手に入れよう」

ビジネスごっこしか知らなかった美大生の私は、そうして就職先を探すことになりました。


・ツイッターを規制しない会社
・アートに関連のある会社
・インターネット系のメディアを運営している会社

ということで、株式会社CINRAに新卒入社させてもらい、3年間かけてWebメディアやインターネットの基礎をめちゃくちゃ学ばせてもらうことになりました。広告案件にもたくさん関わり、いわゆる「インフルエンサーマーケティング」と呼ばれるものの企画側に回ることも多々ありました。もっとも、SNSに関しては「習うより慣れろ」なので自分で開拓していましたが……。


私は「記事を書くこと」ではなく「拡散して、届くべき人たちに情報や気持ちがしっかり届いて、行動に起こしてもらうこと」が自分の仕事のゴールだと思っています。


それは、どうしても配りきれずに、家で資源ゴミになってしまった、大切な大切なフリーマガジンがあったからです。

届くべき誰かの手に届けば「感動した!」「元気をもらった!」と言ってもらえる可能性があったのに。今も100冊ほど、私の実家に眠っているフリーマガジンがあります、実は……。

配りきれなかった雑誌。どうしても捨てられない。なんだか「届けられなくてゴミにしてしまった」という自責の念が、自分の戒めになっている気すらします。

いつかどこかで配りたいな〜…だなんて思っていたら、もう9年も経ってしまいました。ダメですね……。


「いくら良いもの作っても、届けなきゃ届かないんだよ!」


当時からよく言ってたことな気がしますが、今も「届ける」ことに怠慢な「情報発信のプロ」をみると、資源ゴミになった愛する雑誌を思い出して、泣きそうになってしまいます。

あなたの作った情報は、インターネットの中で資源ゴミになってませんか?

いや、紙はまだ資源ゴミになったり、大掃除に使えたりもするけれど、誰もアクセスしないWebサイトなんてなんの価値もない。

「ライターさんと頑張った」「良い作品が出来た」だけでは、絶対に届かない。ちゃんと届けるためには、情報網を作らなきゃいけない。SNSさえあれば、自分で情報網を作れる。ゼロから作れる。0円で作れる。大学生でも出来ることです。


それをやらずに「情報の質は高いのに、ネットでは読まれなくて……」と愚痴るのは、ただの怠慢です。


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2.何億円かけて作った広告が、0円で書いたブログ記事に負ける時代




社会人になって、違和感を覚えたことがありました。


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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。