『小さな声の向こうに』 はじめに 全文公開
今夜は嵐のように強い風が吹いている。
窓の外では蕾を携えた桜の枝が大きく軋み、空からは轟音が鳴り響く。不穏なばかりの夜からできるだけ距離を取るように全ての窓をぴたりと閉めて、部屋の中で耳に馴染んだ静かな音楽を流し、飲み慣れた茶を淹れる。呆れるほどに何度でも反復してきたそんな行為の中に身を置くことで、心はいくらか穏やかさを取り戻していく。文章を書くには、そうした準備運動が必要だ。
いまから3年前の冬の終わり、抜き差しならない事情によって私の心は枯れ果てていた。なにを目にしても感情は動かず、身体は鉛のように重く、食べるものの味もよくわからない。ちょうど初の著書を出し、これからエッセイストとしての人生を歩んでいこう──という時期ではあったものの、その資本となる心がまったく使い物にならなくなっていた。
配達員をするには車やバイクが必要だし、食堂を営むには食材の仕入れは欠かせないし、アスリートには身体が資本となるように、エッセイを書くためには心の機微を欠かすことはできない。
もちろん心の動きを外に向けて伝えていくというのは、危うくて脆い仕事だ。でもそんな当たり前のことに気がついたのは、その道を舗装してもらい、しばらく歩き始めた後だった。自らのリアルな生活を、心を商品にしていくだなんて、とんでもない道を選んでしまったのかもしれない。今から引き返しても良いものなのだろうか……と迷いながら無味乾燥な景色の中を歩いていたら、道端に白い梅の花が咲いていた。
まだ凍れる寒さが残る中で、静かに咲いていた梅の花。桜のように開花の時期が騒がれることもなく、その側で賑やかに花見をする人たちもいない。けれどもその静けさが、凛としていて美しい。
あぁ、美しいな……と心が動いた。すっかり水分を失っていた心に、コップ一杯の水が注がれたような感覚だった。
それから心に水を撒いていくように、私は美しいものを求め始めた。それまでほとんどの時間を人とも会わず、生産的なこともせずに家で過ごしていたのだけれど、心が動くものをこの目で確かめたいという欲は外に出る理由になり、人と会うことの心理的な障壁をも溶かしてくれた。また、美しい景色を部屋の中にこしらえようと手を動かすことで、明日その続きをやることが楽しみになり、気持ちが少しずつ前を向き始めた。そうすることで次第に、心は喜怒哀楽を取り戻していった。
私はどうして悲しいのか? なにに怒っていて、なにがこんなにも情けないのか?
心の様子を窺いながら文章を綴る。その結果出来た文章は「商品」としては到底世に出せないものばかりではあったけれど、書くことは仕事である前に、生き甲斐でもあったことを思い出した。
まるで自分に対してセラピーをしてやるように、文章を書き続けた。そうして時間が過ぎていき、私はまたこうして世に届けるための本を出せるまでに元気になった。だからこの本は、3年前から今日に至るまでに私の心を動かしてくれた、美しいものたちへの感謝と礼讃の書でもある。
本書には、私がnoteで密やかに更新している『視点』というマガジンから17篇、雑誌などに寄稿したものから3篇、それぞれ大幅に加筆・修正した上で収録し、さらに4篇を書き下ろしている。章のテーマに沿って各篇を配しており、時系列順に並んでいる訳ではないので、冬の話を読んだかと思えば次の頁では突然夏……といった具合に寒暖差が激しくなってしまうことをお断りしておきたい。
表題にある〝小さな声〟というのは、物言わぬものたちの声であり、自らの身体の声でもあり、他者と共に生きる上でのさまざまな摩擦であり、そして経済合理性が追い求められる社会の中では掻き消されてしまいがちな「美しいものを守りたい」という叫びでもある。
全編のほとんどを、美しさへの探求に捧げている本書は、現実逃避的だと見られる向きもあるかもしれない。事実、私は自らをとりまく現実の中で起こった諸問題の多くをここには収録せず、日記として人目のつかないところに記録しているのだから、この本が浮かび上がらせるであろう風景に現実味のなさを抱く人もいるだろう。ただ、読者の方がいまどういった状況の中で本書を手にしてくださっているかはわからないけれど──私たちが生きるこの現実社会は、もはや無防備なまま歩いていけるような穏やなものではない。
差別、戦争、虐殺──人の心を失った者たちの愚行は止むこともなく、平和への願いは今日も虚しく踏みつけられている。この国の中でも権力者たちによる理不尽は大きな顔で横行し、SNSでは極論と極論が泥を撒き散らしながらぶつかり合っている。私たちがいま生きている現実は、そういう薄汚い場所だ。
そんな時代であっても、美しいものは確かに存在している。
いやむしろ、絶望や無力感に苛まれてしまうような今の時代だからこそ、美しいものは慰めとして、切に求められているのかもしれない。美しさに触れる湯治のような時間を持つことで、ふたたび現実を生きていくだけの力を得られることだってあるだろう。少なくとも、私はそうやって心を守りながらいまを生きている。
やがて、外の風はいくらか穏やかになったらしい。窓を開ければ、ほのかに春の香りがする。冬の終わり、ちょうど今年も梅の花が咲く季節だ。
寒さの中で、小さな喜びをもたらしてくれる梅の花のように。この本があなたにとって、そうした存在になることができればと願う。
この「はじめに」執筆の裏側を書いています。
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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。