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好きな美術作品のこと



今日は、好きな美術作品のことを書きたいと思う。


いや、「好き」というよりも、「ありがたい」と言ったほうが適当だろうか。コンセプトが興味深いとか、手法として斬新であるとか、そうした軸とは違うところで、作品を前にしたとき「あぁ、助かった……」と感じるようなものが時々ある。息が出来るようなもの、とも呼べるかもしれないし、「こんな世の中で、小さな声を出してくれてありがとう」みたいな感謝を抱いてしまうようなものでもある。それはとても有難い、ありがたいものなのだ。



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そうした作品の話に入る前に、「自分の感覚はおかしいのか?」と疑わしくなってしまった出来事について少しだけ書いておきたい。4年前の冬の終わり、渋谷でのことである。

気鋭のWeb系映像会社から、試写会をするので是非、という誘いがあったので渋谷の映画館まで向かった。何が上映されるのかは一切明かされていなかったけれど、私が到着した時には既に会場は著名人やインフルエンサー、メディア人たちで賑わいを見せていて、このプロジェクトが時代から期待を向けられているような空気があった。楽しみだな、と空いている座席についた。

が、劇場が暗くなり、その数分後に私はそこに座っている自分を悔やんだ。

目の前のスクリーンに映し出されるのは残虐な恐怖映像。スピーカーからは不安な旋律が流れ、次の瞬間には叫び声。日頃であれば「R15」の表記を理由に避けている類の作品で、そうしたものが大の苦手である私は、頼りない春物のストールで目と耳を覆い、出来得る限り光と音を遮るようにした。買ったばかりの春物を嬉しそうに巻いてくるんじゃなかった、しっかりとした厚手のマフラーで来るべきだったと激しく後悔した。

ただ、その日はショートムービーの3本立てということだったから、2本目は大丈夫かもしれない……と思いながら目を開けてみるも、次も、その次も、ひたすらに怖い。グロい。音が大きい。とはいえ非常口からそそくさと撤収するほどの勇気も出ず、引き続き目と耳を覆いながら上映時間終了を待った。

エンドロールが終わり、会場が明るくなるや否や近くにいた友人から「いや、びびりすぎでしょw」と笑われた。仰る通りである。30を越えたいい大人が、フィクション相手に何をびびり倒しているのか。が、苦手なものは苦手なのだ。脈は上がり、映像が脳裏に焼付き、これは今夜眠れなくなってしまうやつだな……と憂鬱になっていたのだけれど、会場のムードはなごやかで、自分がいかに「ずれている」のか客観視させられたのだった。

(その後、R指定の類であれば事前に伝えて欲しかったとボソボソつぶやいていたところ、代表者の方からとても真摯なお返事があった。お騒がせしました……)

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試写会での出来事は少しの非日常だったけれども、日常でもそうした類の「ずれ」はそこかしこに転がっている。調理器具の振動が、店内の芳香剤が、電車の通過する音が、アンプから響き渡る重低音が耐えられない。

ただ、自分が光や音や匂いなんかにびびっているとき、そこにいる多数の人は別になんとも思っていないか、むしろ楽しんでいることすらあるので、いちいち水を差しても角が立つ。だからまぁ、目や耳や鼻を塞いでやり過ごすしかないのだけれど。でもおそらく、同じように「やり過ごしている」側の人も沢山いるんだろう。喧騒の中で生きていると、そうした仲間がいることにもなかなか気がつけないのだけれども。



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そんな現実を生きてるあいだに、ときどき「あぁ、ひとりじゃなかった」と緊張を溶かしてくれるような作品がある。ありがたい作品。随分と前置きが長くなってしまったけれど、ここからは特別な作品の話をしたい。

Wolfgang Tillmans


Freischwimmer, 2012 via artwise.live



18歳の頃。大阪のサントリーミュージアム(現・大阪文化館 天保山)での企画展の序盤だったように記憶している。ウォルフガンク・ティルマンスの作品が3作ほど飾られていて、しばらく立ち止まってしまった。漂う曲線を目で追ううちに、喧騒が消えていくような感覚があった。(厳密にはこの作品ではなかったけれど、同シリーズのものだった)

美大に入ったばかりの春だった。まだ同時代のアートのことなんて何もわかっていないあの時期に、この作品を観られたことは実に幸運だった。おかげで、アート嫌いにならずに済んだのだから。

一度美術館に行って、そこに苦手な作品があって、アートが嫌いになってしまう人……をたまに見かけて、それはとても惜しいことだなぁと思ってしまう。それは、マツケンサンバが流れている紅白歌合戦だけを見て、「なるほど、日本の音楽は好みじゃないな」と早合点するようなものである。無論、日本には他にも色んな歌手がいて、音楽がある。アートなんてものは、人の感性や思考の数だけ多種多様なものであるように思っている。逆にいうと、全部が自分に合う訳がない。(マツケンサンバは悪くない)


Camille Corot



19歳。美大の友人と「これも勉強」という大義名分のもと、えいや! とパリに行った。奨学金をはたき、シンガポールで飛行機を乗り継ぎ、ロングフライトを経て到着した人生はじめての西洋。見たこともなかった左右対称の装飾的な建築群にはただただ圧倒されるばかりだった。

まずは市中で装飾をたらふく摂取した後に、広大すぎるルーヴル美術館の中を「あれもこれも勉強せねば……」みたいな観察眼を携えて歩くとさすがに疲れ果ててしまった。もう限界……となっている時、カミーユ・コローをはじめとしたヴァルビゾン派の展示室に辿り着き、「助かった…」と力が抜けた。

Danses virgiliennes | Corot, Jean-Baptiste Camille © 1995 RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Daniel Arnaudet


富の象徴のようなルネッサンス絵画や、ヴァルビゾン派の後から生まれたより個性豊かな印象派の名画よりも、ずっと心に入ってくるのは彼らの表現がより自然に近いところにあるからだろうか。 コローの作品群がすっかり気に入ってしまって長居した結果、広大なルーヴル美術館の他の部屋を諦めるというまっとうな判断が出来た。旅行の楽しみ方はカミーユ・コローに教わった……というと、話を盛りすぎだろうか。

Paysage de rivière | Corot, Jean-Baptiste Camille © 2015 RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Benoît Touchard




Roni Horn


28歳。冬のソウルは寒いよと聞いていたけれど、どうしてもオラファー・エリアソンの作品群を体験したくて、サムスン美術館Leeumへ向かった。オラファーの大規模個展はどれもこれも"Wow!!!" を伴うもので、感嘆しながらしこたま写真を撮り、交感神経がこれでもか!というほど優位になっていた。

が、ほかの展示室に置かれていた美しい水のような物体を前に、沸いていた心がじわりと鎮められた。


それは、霞がかった湖や、霜の降りた水たまりと似た類の美しさである。もっとも、美しさだけを競わせるのであれば自然に勝るものはないだろう。

けれども、それが人の手や、心や、執着心によって作り上げている……ということに、妙に心が震わされてしまうのだ。「あぁ、この景色を美しいと信じる人がいるのだ、それを作り上げたいというほどの執着心を持って」という事実が、温度をもって孤独を溶かしてくれるような。

ポーラ美術館にて 撮影、私

それはロニ・ホーンの作品で、今は箱根のポーラ美術館でも個展が開催されている。『水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる?』



Vilhelm Hammershøi


30歳。懲りずにまたパリに行き、お約束どおり装飾の過剰摂取でまたまた泡を吹いていた頃、現地に住む友人に誘われジャックマールアンドレ美術館を訪れた。そこがまた豪華絢爛な装飾を誇る邸宅美術館なのだけれども、開催されていたのはハマスホイの展覧会。ありがたい……と思いながらも、「作品よりも建築物のほうがよほど派手」という珍しい環境で鑑賞した。

室内 1899年 撮影、私
Interiør med ung læsende mand 1898 撮影、私

ハマスホイの作品は、作品を観るというよりも、そこに確かにあったであろう空気をみつめているような感覚になる。

「私はかねてより、古い部屋には、たとえそこに誰もいなかったとしても、独特の美しさがあると思っています。あるいは、まさに誰もいないときこそ、それは美しいのかもしれません」

──『ヴィルヘルム・ハマスホイ』静寂の詩人 萬屋健司 著より


こんなハマスホイの言葉を読んで、子どもの頃の記憶が蘇った。

冬の日曜日の朝、いつまでも寝ていると窓から光が入ってきて、住み慣れたいつもの部屋がキラキラとうつくしく見えた。いつもは学校に行っている時間だ。であれば平日、誰も見ていない時間にもこうして光が注いでいるのかと、見ることの出来ない景色はどれほど静寂で美しいのだろう、どうにかしてそれを見ることは出来ないか……と頭を悩ませていた。

自分とは生まれた時代の異なる、遠く離れた北欧の画家との、偶然の感覚の一致に嬉しくなってしまう。


釘町彰


30歳の時のパリ旅行は豊作だった。ひとり旅、ということもあったけれど、とにかく思いつくがままにあちこち行動していて、たまたまグラン・パレで開催されていたART PARISというアートフェアにも寄ってみた。

昨今のアートシーンは時代の流れから、アフリカンアートを取り扱ったギャラリーが増えていて、会場には原色で有機的、生命力の溢れた作品がひしめいていた。が、その中でほぼまったく色のない場所があり、これはよく見なければと近づいてみたところ、息を呑むほど透き通った美しい雪山が、実に緻密な技術で描かれていた。

作品の部分 撮影、私



きらきらひかる顔料は岩絵の具に違いない……と作家名をみたところ、AKIRA KUGIMACHI、と書いてある。やっぱり日本人だ。でもなんだろう、日本に暮らす日本人の作品よりもずっと、孤独さを強く感じる。これは、私の好きな孤独だ。

すると背後からご本人が現れて、あちらがなぜか「あの、もしかして?」という表情をされている。お話をしてみたら、まさかの私の文章を読んでくださっていると! 私は作品から、あちらは文章から。なにかを世に出し続けていると、お喋り以外の方法で誰かと出会うことが出来るのだ。なんて嬉しいことだろう。

釘町彰さんの作品 撮影、私


李禹煥


31歳。「ニューヨークにいるならDia:Beaconに行くべき」という彼の地の風習に従って、グランドセントラル駅からメトロノースに乗って北上し、辿り着いた元倉庫の広大な美術館。さすがに都会の美術館ではお目にかかれない規模の作品ばかりで、ここに来たミニマル・アートファンが感極まって涙するというのもよくわかる。

そんなDia:Beaconには工業製品をベースとした強い作品が並ぶのだが、李禹煥の作品の周りだけは漂う空気が違っていた。

Dia:Beaconにて 撮影、私

彼の作品は、作品そのもの以上に、その周りの空気をやわらかく変えてしまうところがたまらない。

From Line 1974 MoMAにて 撮影、私

李禹煥の作品は、個展のような形よりも、さまざまな現代アート作品群に囲まれているほうがその魅力がより発揮されている……気がする。

むかし、演劇の先生がこんなことを言っていた。「喧騒の中で人に注目してもらうにはどうしたら良いと思う? 大きな声を出すのではなく、小さな声で喋ること。そうすると、周りが大きな声で話すのを辞めてくれるから」

主張の激しい現代アート作品群の中で、李禹煥の作品の前だけは静寂が広がる。喧騒の中でも争わず、乱されず、ただそこにいる。小さな声の逞しさに、感服するのだ。


Gerhard Richter



32歳。疫病がニューヨークを襲う中、「明日から休館になりますがよろしいですか?」というアナウンスを受けながら3日間有効のMoMaのチケットを購入し、The Met Breuer(メトロポリタン美術館別館)にて開催されていたゲルハルトリヒターの展覧会へと訪れた。

Seestück, 1975 撮影、私

これはリヒターの、40代前半頃の作品。彼は現在89歳の現役アーティストだが、老年になるに連れて色鮮やかな表現が増していく。もしかしたら自分も、いつかは鮮やかな色の魅力に魅せられるときがくるのかもしれない……だなんてことを思う。

I.G. 1993 撮影、私

でも今はまだ、薄暗い世界の中に広がる美しさに魅了されていたいとも思うのだ。

Aesther Chang


NUIT BLANCHE (C)Aesther Chang


彼女と出会ったのは私が29歳の頃だったが、彼女の作品のファンになったのはそれからしばらく経ってからのことだ。日に日に奥深くなっていく作品に魅了されてしまった。

彼女の変化を近くで見ながら、その奥にあるものは一体何なのか、共にお喋りをして過ごす時間は、ニューヨーク生活での一番の宝物だった。エスがこれからどんな作品を生み出していくのか、友人としても、ファンとしても楽しみでならない。

彼女の作品は販売しているんですよ……とSNSで呼びかけてみたところ、嬉しいことに、彼女の作品を日本でも見ることが出来るようになってきた。この疫病が終わったら、日本に点在する彼女の作品を一緒に巡る旅をしたい。




さて、ここまで。共感した人もいるかもしれないし、ちっともかすりもしなかった人もいるかもしれない。きっとそんなもんだろう。そして、21歳から27歳がすっぽり抜けているのは、美術に触れていなかったからではない。

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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。