ふつうの暮らしと、確かにそこにある私の違和感
冒頭からわかるように、以下の文章は秋に書いたものだ。秋に書いて、冬のあいだにあたためて、この春出た雑誌『広告』の文化特集号に収録された。で、季節は巡って夏……ということで、写真を補いつつここにも載せさせてもらう。文末には少しだけ、今思うところを加筆した。
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ふつうの暮らしと、確かにそこにある私の違和感
秋の夜長。裏の庭でリリ、リリリと鳴いている虫たちの声は心地よく、裁縫をする手が進む。裁縫と言ってもくたびれたパジャマのウエストを繕う程度のことではあるのだけれど、そうした細々とした家事は、考え事をしながらやるのにちょうどいい。
取るに足りないふつうの暮らしと、SNS
今夜の頭のなかはもっぱら「文化的な生活」というこの雑誌からのお題について。その依頼主は、私がこうしたこと……というのはつまり、服を修繕したり、食器を継いだり、美しい道具を愛でたりしていることをSNSなんかに公開している断片を見ていたらしく、そうした「ふつうの暮らし」について書いて欲しいのだと言う。
べつに、それはあまりにも取るに足りないことだから、わざわざ誌面に載せる必要もないでしょう、としばらく躊躇した。特筆すべきことはあるだろうか……と悩んでみても、長年愛用できるであろう美しい道具を使いたいとか、できる限りこの土地のものを選びたいだとか、そういうありふれた類の話であって、それはもうあちこちのライフスタイル誌や暮らし系エッセイなんかで言われ尽くしている内容ばかり。新しく提言するようなことはとくにない。下手な裁縫、そこそこの料理、自己満足するばかりの居住空間……どれを切り取っても、特別に秀でた点はない。
いや、でも「そうやって、自分のやっていることは大したことがない、と遠慮するのは、よくないんじゃない?」という声が、頭の別の部分から飛び出てくる。先日、ジャポニズムに関連する本を読み漁っていたときに、西洋に置けるジャポニズムは、ある側面では「女性の間で流行った」そして「軽佻な流行」である、というような記述が度々登場してきて、私はいち女として小さく憤慨していたではないか。
そこにある営みに、あっちは高尚、こちらは軽佻、と線を引くのはあまり好ましいもんじゃない。もっとも過去を見れば、そこには確かにあったのに、立場が低い者のことだから、もしくは語り手の多くが男性であるから……という理由で語られてこなかった「軽佻な」文化が無数にあるようで、それは女である自分にとって、なんだか悲しいことでもあるのだよな。
それを思えば、いまは随分とよい時代なのかもしれない。私たちの手の内にはインターネットがあり、SNSがある。自分らのことは、なんぼでも自分で語ることができる。それに加えて今回は、こうやって紙に印刷までしてもらえるんだから、サービス終了とともに消えてしまうかも、だなんて憂慮する必要もない。この文章は残る。その内容の価値が如何ほどか……という判断は先の人たちに委ねるとして、ひとまずはここにあるふつうの暮らしについて、そしてそのなかに密かに、けれども確かにある私の違和感について、しばらく考えてみたい。
言うまでもなくここ数年、これまでそれぞれの家のなかに秘められていた暮らしの断片はSNS、とくにインスタグラムに溢れ出して、ネット空間には「暮らし系」という巨大な惑星ができ上がっている(で、私もその一味である)。もちろん、そうやって表に出ている暮らしの断片は、正しい記録という訳でもない。大なり小なり見栄や虚構が挟まっていて、そうした惑星の在り方が冷笑されることも多々ある。けれども、そうした否定的な空気が一部であったとしても、四季折々の暮らしの断片は今日も各々の家庭から公開され続けていく。
しかしなんでまた、暮らしの内側……というもっとも私的な空間を、これほどまでに多くの人が公に晒すことになったのか。承認欲求、と言ってしまえばそれまでではあるけれど、それほど単純に片づけたくもないのだよな。もっとも、私のごく個人的な感覚を言えば、暮らしにまつわることは、ほかの趣味──たとえばK-POPのミュージックビデオを呆れるほどに繰り返し再生したりすること──などにくらべて、いくらか公言しやすいところがあるのだ。
だって、スマホの向こうでこちらを見ている相手に対して、「遊んでるんじゃなくて、家事。家事なんです!」という大義がギリギリ成立しないだろうか。生活というのは好きであろうとなかろうと、それをやらなきゃ毎日が進まないのだし、どうしてもやらなきゃならないことを、どうせなら機嫌よくやっていることは、なんにも後ろめたいことではない。そういう点では「ただ、好きだから」というシンプルな理由で没頭する数多の趣味とは少々性格が異なるし、さらには家族のために、といった大義もついてくる。
もちろん、経済合理性の高さで各々の営みを競わせるのであれば、“ていねいな暮らし”なんてものはひどく脆い。食事はコンビニやUber eatsで事足りるし、古いパジャマはさっさと処分してユニクロの新品を買うほうがずっとはやい。そうして生まれた空き時間を生産に費やせば、家計だって潤うし。私も原稿に切羽詰まってきたらそうやって家事をショートカットすることはままある。
しかし合理性云々を取っ払ったとしても、さらにはSNSに公開しなかったとしても、暮らしをおざなりにすることは、なぜか妙に後ろめたいのだ。令和を生きる私のなかにはどうにも、「ちゃんとした」家事すらできない私は人間失格……いや、「女失格」である、というような価値観が色濃く存在しているようで、目の前の家事をショートカットしてしまったときには、「そんなんアカン!」という否定の声が自分の深いところから湧いてくるのである。
家庭で学ぶ暮らし、職場で学ぶ仕事
「あんた、女学校では、そないしてたらアカンで!」
幼稚園から帰ってきてすぐソファで怠けようとする私に、祖母は度々、そう咎めてきた。大阪北摂にあった私の実家では当時、祖母、その息子である父と叔父、嫁に来た母、私の姉ふたり、そして私……の総勢7人が暮らしていたけれど、平日の午後はよく祖母と私のふたりで過ごした(猫もいたけど)。姉たちは部活や習い事に忙しく、母は末娘の私が幼稚園にあがったのをきっかけに薬局勤務を開始したこともあり、私はしばしば教育熱心な祖母のもとで日本語の読み書きを教わったり、家事についての躾を受けたりしていたのだ。
「こんなホコリをためたらアカン、女学校では……」「米粒は無駄にしたらアカン、戦時中は……」という説教を前に、五歳の私は心のなかで「私が行くんは女学校ちゃう、小学校や」と思いつつも、とりあえず祖母の話を聞いていた。
ちなみに和歌山の港町で育った祖母が女学校に通っていたのは、日中戦争から太平洋戦争真っ最中の昭和初期。大政翼賛会宣伝部によって醸成された時代の空気が国全体に覆いかぶさっていた頃でもある。
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