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置かれた場所で咲くことこそ仕事、だと思っていた私の転換期


人類みな平等!という教育理念を掲げる母のもとで育った。


あの子は学力的に秀でているとか、あの子は運動神経が優れているとか、そういった能力差はあれど、それは個性。生きとし生けるものはみな平等。

そんな母の口癖は他にもあって、「普通がえらい」とか、「真面目がとりえ」とか。なにより、地域の薬剤師さんとしてたくさんの患者さんに頼られながら、日々真面目に専門知識をアップデートさせて働く母は、まさにそうした家訓を体現している。身内目線で見ても立派な母である。

逆に、勝負に勝ちなさいとか、あの子には負けちゃいけないとか、そういう競争社会的な価値観にはほとんど触れてこなかった。ピアノの練習頑張れ、勉強も頑張れ、みたいなことは耳タコになるまで言われたけれども、競争という概念はなかった。


中学時代


それでも思春期は無情なもので、家庭内でどれだけ「人類みな平等!」と吹き込まれていたとしても、13歳になればスクールカーストの一部に組み込まれてしまう。


小学校時代は、男女別け隔てなくみんなでワイワイ、牧歌的な日々を過ごしていた。けれども、当時仲良かった女友達の多くは、私立の中学に進学したり、学区外へ引っ越してしまったりした。

そして2001年4月。「黒い靴下を履いてきた」「(同じ小学校の)男子と仲が良い」などの理由で、中学入学早々同学年のギャルたちにこっぴどくいじめられる日々が始まる。(ちなみに、校則では黒い靴下はOKなのだが、1年生は先輩に気を使ってダサいとされる白靴下を履くと相場が決まっていたらしい。知らんがな!)

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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。