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かつてキラキラ広報、と呼ばれていた立場から
今日はタイムラインで「キラキラ広報」という言葉を沢山見た。
懐かしい響きである。
というのも、私は10年程前まさにその言葉で呼ばれており、そうGoogleで検索すればまっさきに私の写真が表示されていた時期も長く、それを武器に商売していた身でもあったからだ。今はそうした世界から離れてしまって何年も経つけれど、ここ数日の騒動を遠巻きに見ながら少し思うことがあるので、つまらん駄文を書いておく。
それまではあくまで「ふざけた遊びのツール」であったSNSがいよいよ無視できない規模に台頭してきた10年程前、やる気はあるが金のないベンチャー界隈では「マスメディアはオワコン、SNSで話題になることを仕込もう」「広告出稿は大金がかかるがSNSは無料、使わなければ損!」という空気が醸成されまくっていた。ただもちろん、そんなに簡単に海老で鯛を釣るようにバズが連発できる企業なんてない。SNSで一躍脚光を浴びているような時代の寵児が「SNSは持たざるものの武器!バズれば一発逆転を狙える!」と豪語するものの、そのセオリー通りに使いこなせる企業広報はほとんどいなかった。
そうした現実の中であれ、多くの経営者は「うちもSNSでなんとか存在感を広めたい」と躍起になっていた。そこで「バズって一発逆転する程ではないが、しっかりストーリーを伝えられてある程度PVを引っ張ってこれる看板娘」的な人材が界隈で重宝されたのだ。SNSで顔出しして自社のビジネスを伝える、まさに看板娘である。無論、看板娘などという言葉の響きは気持ちの悪いものだけれど、当時はルッキズム云々……と批判されるような社会の空気はまだほとんどなくて、そうした存在が受容される時代だった。そもそも「ふざけた遊びのツール」と「ビジネス」が歩み寄るにあたって、「遊び」側の要素がなければ見向きもされない……というのも当然といえば当然の話である。
私は自ら志願して広報になったので、当時所属していた会社の経営陣側がキラキラ広報を求めていた訳ではないのだけれど、結果として時流に乗りすぎてキラキラ広報(笑)みたいな存在になり、会社には少し申し訳なかった。若かった、そして青かったのだ……。
そして「一発逆転するほどのバズ」であれば消費者まで届くかもしれないけれど、看板娘の発信によって日常的にリーチできるのはせいぜい、直接的な繋がりのある「広報界隈の数千人の人たち」である。そこでキラキラ広報たちは、「製品の開発秘話」や「マーケティング戦略」といった、内輪ウケする裏話を中心に発信するようになった。当時は今のようにTwitterで万バズが起こりまくるような状況でもなかったので、裏話で3000PVくらいいけば御の字、くらいの規模感だった。いや、消費者に届かなければ意味ないでしょ…と思う人もいるかも知れないが、BtoB領域の会社だったり、ベンチャーの動向を追っている記者や投資家にリーチできれば目標達成、ということも多々あったので、必ずしも「規模が小さい=役割を果たしていない」という訳でもない。私も、そうした規模感の中であれこれ頭を捻って自社アピールの記事を書いたり、取材対応に奔走したりしていた。
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