シェア
お願いがあります。ここ最近で、とても嬉しかった、楽しかった、美しかった、面白かった、そんなお話を聞かせてください。こんな時に、あえてSNSに書くこともないか…と心の内に閉まっていたとびきりの(ささやかでも)出来事を、ぜひ聞かせていただきたいです。私が読んで、喜びます…… ……とつぶやいたところ、200を超える、嬉しかった、楽しかった、美しかった、面白かった話がどんどん集まってきていて、心がすっかり温まってしまった。 近所の池に泳ぐオタマジャクシに脚が生えていたとか、推しの
為す術もなく、ひとり日本に帰ってきた。 いや、帰ってきたというよりも、ずっと前に帰ってきていたのだけれども。義務付けられている14日間の隔離を都内で終え、大阪の自宅に戻り、「平均的な潜伏時間」を過ぎても家族が元気なことを確認して、今やっとこれを書いている………という、公に向けた長い長い文章は先日、TwitterやInstagram、Facebookに掲載した。 (この記事にはSNSの埋め込みがあるので、メールではなくWebブラウザでご覧ください)
僕が書いているそばで座っていたいと、きみは言ったことがある。けれど聴いてくれ、そうすると僕はなにも書けなくなってしまうんだ。なぜなら、書くというのは、自分をなにもかもさらけだすことだから。そうした極限の状態に身を任せているその場に他人が入ってきたら、正常な人間ならば誰だって身がすくんでしまうはずだ…… だからこそ、書くときにはいくら孤独でも孤独すぎることはないし、いくら静かでも静かすぎることもないし、夜の闇がいくら深くても深すぎることはない 。 ──フランツ・カフカの言葉