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【N/S高政治部】朝日新聞編集委員から教わったメディアの視点

はじめまして。
N/S高政治部のsayuと申します。
私自身もともと政治とはあまり仲良くできていなかったのですが、政治部員として少しずつ政治と親しくなれるよう日々過ごしています。
今回、未熟ながら10/18に行われた
「新聞社の現役編集委員と考えるテーマ別講義『選挙とメディア』」
の様子についてまとめてみました。少しでも政治や選挙に興味を持っていただければ幸いです。
下記のリンクから講義を視聴することができます。

YouTube視聴リンク
【N/S高 政治部】新聞社の現役編集委員と考える テーマ別講義『選挙とメディア』
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N/S高政治部 新聞社の現役編集委員と考える テーマ別講義『選挙とメディア

今回のゲスト講師は、朝日新聞編集委員の曽我豪さん。
10/4に岸田内閣が発足してからまだ日が浅かったこともあり、曽我さんは10/31の衆議院選を「有権者がよく見ている選挙」だと述べていました。
お話を聴いていて曽我さんは自身の考えに明確な根拠を持っていて、なおかつとても多角的に物事を捉えているのだと感じました。

そして、政治部員からの「選挙とメディア」に関する質問に答えていただきました。

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各グループごとの5つの質問とその関連質問に答えていただきましたが、今回の記事ではその一部について、それぞれの回答をまとめたいと思います。(※意訳を含みます)

ミスリード、過激な報道について

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Q 私は有権者として候補者がどのような「人」かを知りたい。メディアには、政治家について取材でしか分からない直感的で客観的な情報を発信してほしい。しかし、最近では事実と異なる報道や、過激な情報も存在する。こういった報道が起こる原因と現状のメディアの課題は何か。また報道関係者として意識していることは何か。

A これまで、「政策を語れ」と言われることが多く、政治家の人柄について書くことはあまり好まれないと考えていた。ここ30年間で政治が目指してきたものは「政治主導」と「二大政党制」であり、制度を変えれば政治は良くなるという取り組みだった。その状況の中では「人が政治を変える」ということが見逃されてきたと思う。さらにコロナ禍で人への信頼感が問われていることもあり、メディアが今考えなければいけない一番の問題は「人」の問題であると考える。

政治家に言い分を聞き、その言い分を書く代わりに批判するところは批判する。批判することに関しても本人に伝える。また、政治家の悩みの幅にきちんと付き合うことを自分に課している。何を決めたのかではなく、どのように決めたのかを取材の過程で知る。記者は登場人物になってはいけないが、政治家との意思疎通の不足や、選ぶ言葉によって常にミスリードの責任を負う。記事はあくまでファクトに対する記者の仮説であり、個人の責任で書く時代になっている。

新聞社の役割は大きく二つに分かれる。人々がアクセスできるように情報を客観的にストックすることと、その情報を読者に解説すること。このため新聞社によって同じファクトに対しどのような見解なのかを見比べると面白い。

新聞やテレビが残るために

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Q 正確な情報を得るためには、インターネットだけでなく新聞やテレビを駆使することが必要だと思うが、今後も新聞やテレビが生き残るためにはどのようなことが必要か。

A 生き残るための方策があればもう少し上手くいっている。しかし本質は新聞が残るかということより情報を取るプロの新聞記者が残るかということ。きちんとファクト、裏を取る技術が重要。この技術を持つ組織として新聞社が残れるかどうかが重要。

ここで三浦さんから新聞の公益性についてコメントがありました。

週刊誌と新聞では求められるものは違い、新聞には公益性が求められる。ネット時代となり、どこから叩かれるか、どこから裏切ったと言われるかということを考えてしまい、記者のマインド自体も大きく変わっている。しかしながら記者は事実に対し中立かつ、公益性を保ちつつ独善性を守る必要がある。

批判の比重の大きさ

Q 一部の日本のメディアでは東アジア諸国に対し批判ばかり報道されている。友好関係を築くためには、事実として批判すると同時に良い点も同じ割合で報道する必要があるのではないか。

A 政治家にしても新聞社にしても東アジア諸国に対し、敵か味方かに分類し色付けをしている。無罪証明、すなわち、味方であると示すために敵を叩くということが続いてきた。本来は「0か100か」では政治を判断できない。敵か味方かを示して分断していく社会に対し、メディアも分断した側になってしまったという事実がある。敵か味方かに分断される社会をどうやって押し留めていくかというメディアの機能が急速に失われてしまっている。コロナの感染拡大を受けて与党、野党で政策協議を行なえる共通の政策機関を作る体制を、メディアが求めることもできたのではないかと考えている。

ネット上でのバッシングに関してはメディアの域を超えていて、とても危ない言論空間になっている。インターネットの普及により記事を出すまでの時間が短くなり、熟考できないまま記事を出すことが増えている。新聞が残っているうちは新聞特有の反応の遅さ、中立性に誇りを持ち、あまり民意に影響を受けないことが重要であり残していけたらよい。

街ダネを拾う気持ち

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Q メディアはよく権力を監視する役割だと言われるが、メディア自体が既得権益になっているという指摘についてどのように考えるか。

A 記者は初め地方で修行をし、その際に実際に街に出て、自分の目で直接見たもの(街ダネ)を拾う。この時のように記者は最後は自分の目で確かめ、その面白さや新しさを決めつけではなく、説教でもなく、ただ思ったことを書くべきだ。記者の原点は街ダネにある。独善性を自覚し「現場に戻る」という原点に戻ることしかない。

講義を受けての感想

今回の曽我さんの講義を私は次のように捉えました。
記者は本来自分で確かめた事実に基づいて考えたことを書くべきである。そして記者は、ミスリードをした際は責任を負うべきで、その後きちんと対応することが重要である。
また、メディアは中立性を保ちながら、安易に社会が敵か味方かで分断されないように推し進めることが必要である。 

曽我さんの講義を受けて、世の中で起きているものごとを「0か100か」では判断できないという当たり前の前提条件を再認識しました。曽我さんの講義で何度も「ファクト」とあったように、事実をまず正確に把握すること、その評価、そして人々がこれから注目すべき点を各メディアごとに多角的に伝えてほしいと感じました。また、メディアが発信する情報を変えることが難しくても、私たち読者がメディアからどのように情報を受け取るかを変えることはできると思います。どんなに頑張っても全ての視点から物事を判断することはできないし、自分が持っている情報が全てではないという自覚を持つことが重要なのではないかと思いました。

終わりに

「0か100か」では判断できない

これは政治に関わらず全てのことにおいて当てはまることです。
だからこそ、何が重要かを多方向から考えることが必要なんだと思います。
今回の講義で挙がった通り、今のメディアには改善しなければならない問題がまだまだ多いと思います。
しかしながら、欲しい情報を自分で選択して得られる社会の中で、私たちもメディアとどのように向き合うのか、もう一度考える必要があるのではないでしょうか。
私自身、ほとんどの情報をインターネットで得ていますが、たまには新聞も時間をかけて読みたいと思います。

最後になりましたが、
ご登壇いただいた曽我さん、そして三浦さん
本当にありがとうございました。

ここまで読んでくださった読者の皆さん、ありがとうございました。

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