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2022年7月8日。
虚しさが身体の芯を覆います。
あまりにも時代が逆行している違和感に心の均衡が取れなくなっているのです。

言葉を綴ることの虚飾めいた行為にすら思える、‘私は考える’的な文章にも拒絶反応があります。もしかすると本稿も類するかもしれません。

隣り合ってお話しを聴かせてもらった経験がある方なら、一様に思う畏怖感や尊大な感じは一欠片もない、等身大の人柄に驚きもあり、人を受け入れていく空気感に気づくはずです。

特に前職の郵便局時代、事務所と私の職場が同じ町内という事もあり、折につけて事務所のスタッフの方ともご懇意にさせていただきました。
そうした前提もあって、後援会青年部に所属させていただき、御本人と直接会話する機会にも恵まれた次第なのです。

郵政民営化を問う衆議院選挙の折、私が所属する郵便局組織は民営化反対ですので、反対の意思表示のある側を支持することを組織としては関係者に指示するのですが、私は元々民営化は避けられない、民営化賛成の考え方がありました。私は以前と変わらず後援会事務所に出入りして、代議士を応援いたしました。
後で関係者の方から、代議士がいろんな場所で「私の後援者に郵便局長がいる」と言っておられたと聞き、嬉しい事として捉えていたのだと思いました。

その後、総理となり多忙の日々を送られ、ご活躍は周知の事実です。

心の整理がつかないまま、この寄稿が正しいのか否かではありますが、記憶を書き留める事でその時を顧みて、自分自身の在り方を問うものにはなるのではと感じたのです。

小説やテレビドラマにしかない、チープな方法論が現実化するギャップの不可思議さに、SNSの仮想現実が絶えず隣り合わせで真実も空想妄想も混在し、思い込みの恐怖が日々増殖される現在です。

一歩踏み止まる思考とは、
「自分とは直接関係ない」
ではないでしょうか。
行き過ぎる批判は罵詈雑言と化します。

月並みな悼む言葉も適当ではないような気もいたします。
思い出を反芻しながらただ感謝の念につとめるばかりです。







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