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protocol-4.初心者の謙遜は別の初心者を無自覚に傷つける。

「映画の鑑賞本数や映画についての知識がたくさんあること」って、エライのかどうか?

僕はエライと思います。

「映画を観る力」というか、ひとつの映画を観てたくさんの事に気がつける力とか、作り手の深い意図まで読み取る力は、確かに鑑賞本数と知識量に比例すると思います。尊敬しちゃう。

では、映画を趣味としてネット上の映画クラスタとかリアルの映画サークルなどで映画の話をするにあたり、鑑賞本数や知識量の少ない人や初心者の人たちはおとなしくしていないといけないでしょうか?

それは違うと僕は思います。違うと思いますよ…ね?

改めて文章にすると当たり前のように感じるかもしれないですけど、でも、映画の話をしてる多くの場で、話しづらそうにしてる初心者の人を目にすることはけっこうあります。そういう時によく耳にするのは、「私はそんなにたくさん観てないので…」とか、「詳しくない自分が語る資格はないかもしれませんが…」という感じの言葉です。

言いたくなるのわかるー。

でも僕は、初心者の人はそう言いたくなるのを、あえてグッとこらえた方がいいと思います。なぜならその場にあなたより初心者の人が居たとしたら、あなたのその発言によって、その人はよりいっそう話しづらくなってしまうからです。

「あ…たくさん観てなきゃ、あんまり喋っちゃいけないんだ…」とか、「詳しくなくちゃ語る資格ないんだ…」とか、思わせてしまうかもしれないですよね。映画の話するの資格制じゃないし!

映画見の人たちは年末に集まると、「その年何本映画観たか?」なんてことが話題になることはしばしばあります。数百本観てる人もいれば、数十本の人、数本の人もいます。数百本の人が自慢しててもいいし、数本の人がもっと観ようと心を燃やすのもいいでしょう。でも例えば「へぇ!○○さんは100本超えなんですか。私なんか50本しか観てないですよ。」みたいな話をする人は、その場にいる30本や10本や5本の人を無自覚に傷つけています。

もちろん「そんなつもりじゃない」ですよね。悪気なんてないでしょう。だからこそよく見かけて耳にする場面になってるんだと思います。悪気で初心者をイジったり初心者にエバったりするような人なら、遅かれ早かれそういう場からは排除されていくでしょうし、それ以前に自分はそういう人を避けていればいいだけのことですしね。

「えー、でもなんか、いちいち他の初心者の人とかを気遣って話するのメンドいわー。」

と思う人もいるかもしれません。でも対策は単純です。「上下の概念をナシにすること。」これだけだと思います。

鑑賞本数の多い人が上で、少ない人が下とか、映画やそのジャンルに詳しい人が上で、それほどでもない人が下とか。そういう「上下の概念」をナシと意識すれば、「多い少ない」や「詳しい詳しくない」は、ただの「個性」ですよね。

これまた改めて文章にするととても当たり前のことのように感じますし、「言うは易し」なキレイゴトという感もあります。こういうことを書いてる僕自身が、なんだかエラそうな上から目線のようにも思えてきますね。でも、それもひっくるめて「上下の概念」をナシにしてもらえたらと思います(笑)。

とはいえ、それでも、やっぱり、映画の話をする場において、鑑賞本数や知識の少ない人が、どうしても話しづらいということもありますよね。

そんなときは「熱量」でもって語る。だと僕は思います。

映画やその作品が好きなんだ!というパッションや、映画の話をすることが楽しいんだ!というテンション。

それらの熱量の高さは、映画の話をする場において、鑑賞本数や知識の多さを凌駕して聴く人を惹きつけます。

映画を好きになって、映画の話をしたい人たちが、等しく思う存分に話せるようになるといいなと思っています。

でもこれ、「映画の話」の話だけではなくて、いろんな場面に当てはまる話なのかもしれないな、とも思いますね。




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