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protocol-5.映画は映画館で観るべきか論2020

【映画は映画館で観るべきか?】という議論はよく耳にしますよね。

以前の僕の考えはこんな感じでした。↓

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(2016年1月26日  無人島キネマ・ブログ版 初掲)

2014年は行政書士として開業した年なので、経済的な不安から「劇場で映画を観るのは1ヶ月に1本まで」というルールでやっていました。

2015年という年は、マッドマックスとターミネーターとアベンジャーズとジュラシック・ワールドとミッション・インポッシブルと007とスターウォーズの新作が公開されるという、大作ゴールデンイヤーだったので、「今年はできるだけ劇場で映画を観てもOK」という1年でした。

じゃあゴールデンイヤーを終えた2016年はどうか。
当初のルールでいくと「月1本」になりますが、映画を劇場で鑑賞するのを習慣にしてしまうと、頻度を減らすのはもう無理です。

たまに「同じ内容なんだからDVDになってから観ればいいじゃん?」と言われることがあります。劇場で観るのとDVDで観るのと、セリフやストーリーが変わるわけじゃないから、お手軽に観られるDVDや、最近では動画配信サービスで観ればいいじゃないかという話ですよ。僕もかつてはそう思っていました。「劇場で1本の映画を観るのと、レンタル屋さんで5本のDVDを借りるのと、同じ金額なら後者の方が“映画体験”としては豊かなのではないか」なんてことを言っていた時もありました。

でも最近、こんなふうに思うんですよ。

例えば、一流のシェフがいて、一流のフランス料理を作ったとしましょうよ。

それを素敵なレストランで食べるからこそ、“一流のフランス料理を体験した”ことになるわけです。

じゃあ、そのフランス料理を、タッパーに入れて持ち帰り、家で食べたとしたら、それは“一流のフランス料理を体験した”ということになるのか?

という話です。

一流レストランで食べるのと、家で食べるのと、味もメニューも同じだとしても、やっぱりそれは“一流のフランス料理を体験した”とは言えないんじゃないかなぁと思うんです。

じゃあ、家で観たり食べたりするのが“体験”じゃなかったら、何なのか?

それは“確認”です。

この映画はこういうストーリーで、こういう演出で、こういうオチなのかということを確認することで足りる映画もたくさんあります。
また劇場で鑑賞して感動し、その感動を確認するために、DVDやBlu-rayを買ったり借りたりすることもあります。

じゃあ、初見の映画を家でDVDで観て感動することはないのか?もちろん感動することはあるでしょう。でもそういう作品なら尚更、劇場で観た場合の感動は大きく、貴重であったはずなんだろうなと思うのです。

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・・・ということでした。

それから数年経ち、特に今年はコロナ禍によって映画館に行きたくても行けないという状況があり、新作映画の公開が配信によって行われる事例も増えてきましたし、Netflixオリジナルでも有名監督の新作や話題作も盛り沢山。緊急事態宣言が明けて「さぁ!映画館に行くぞ!!」と思っても、楽しみにしてた作品の多くが公開延期。ふと気がつくと、映画館に行こうという腰が重たくなってるという今日この頃。そんな2020年に改めて、

【映画は映画館で観るべきか?】

どうですか?

正解は「人それぞれ好きに楽しんだらええがな。」だと思うんですが、即答正解では“論”になりませんし、つまんないですよね。

まぁ、「べき」の二文字が出てきた時点で議論しづらい感じになりますけども。年を取ると、“べき論”なんかはカロリー高くてしんどいです。

とはいえ、じゃあ僕の「映画は映画館で観るべきか論」は、今どうなったか。

やっぱり「映画は映画館」という考えが99%ですね。2016年当時とあんまり変わってないです。でもその根拠は少し変わってきたような気もします。

僕が「映画は映画館」だと考える根拠として、

かつては、「大画面の迫力や臨場感」だとか「映画館だからこそ観客が体感できる音響設計や映像品質」という、技術的(?)な要素に注目しがちだったんですが、最近ではホームシアターシステムの普及とか、VRヘッドセットとかで補完できちゃう要素になりつつありますよね。では、それによって映画館に行って映画観る意味が、僕の中で減るのか?って言ったら全然減らないなと思うんです。

「映画を映画館で観ることの魅力」って何だろうって考えると、僕にとってはその99%が「時代の共有」だと思っています。例えば僕にとって、『スターウォーズ フォースの覚醒』を観るのが2015年の12月8日でなければ99%の楽しみが減ってた。それはイベントだったし、歴史の瞬間でした。僕は映画を通して時代と繋がったような気分になったし、同時に世界中の観客とそれを共有できたような高揚感がありました。これはMAX極端な例としても、どんな映画にも映画館で上映される大なり小なりの「時代的な理由や意味」があるのだと思います。それに立ち合い、見届けることは、大袈裟な言い方をすると、「その時代に自分が生きていた印」になるのだと思うんです。

映画館で上映される映画のスタートボタンは、映画館の側が押します。だから僕らは「観せてもらう側」であり「客体」、つまり「観客」になれます。

それ以外の、DVDであれホームシアターであれスマホであれ動画配信であれ、スタートボタンを押すのがあなたなら、「主体として再生する側」を担うことにもなり、どうしても100%の観客にはなり得ません。

「映画を映画館で観るということ」には、「わざわざ自分の家から外出して、わざわざ映画館まで足を運び、決められた時刻までに席に着き、ひとつの座席に拘束され、見知らぬ他人と同じ空間の中で、外界から遮断された時間を過ごす。というアトラクション」が含まれていて、さらに「今、その映画の話をしたい人が世にたくさんいるという特典」がついてきます。2015年12月頃と現在2020年8月頃を比べて「フォースの覚醒についての話を誰かと楽しむことができる可能性」は、前者は後者の99倍以上に高いでしょう。

そういうイベント性みたいなものを、僕は映画の魅力として楽しんでるんでしょうね。

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