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『パスト ライブス/再会』|ノラはなぜヘソンに『エターナル・サンシャイン』を観せるのか

『パスト ライブス/再会』に『エターナル・サンシャイン』が引用される理由を考えた。
 
それは、この映画が繰り返し・円環構造というモチーフによってイニョン〈輪廻転生の中で繰り返される縁〉の概念を観る人に直感的に感じさせようとしているからだと思う。
 
*ここから『パスト ライブス/再会』のネタバレを含みます



 
まず映像表現。
 
例えば、12歳の時の初デートの帰路、寂しそうに車窓から外を眺めるヘソン。このカットがラストで繰り返される。ところで、ヘソンのこの最後のすっきりした表情は何を意味しているのか。
 
ノラとヘソンの2人が、24歳、36歳と12年のサイクルで再会するお話の構造は、生まれ変わってまた巡り会うというイニョンの概念を、スケールを小さくして描いたもののように思える。
 
12年ぶりの交流はスカイプ越し。24年ぶりの再会では実際に会うことができて、しかも、若い頃には伝えられなかった思いをちゃんと伝え合う。出会っては別れてを繰り返す度に2人の距離は近くなっていく。来世で2人はもっと親密な関係になるのかもしれない。そんな予感を感じさせるプロットだ。ラストのヘソンのすっきりした表情はこの不思議な楽観からくるものだと思う。
 
別れ際、ヘソンはノラに尋ねる「もしこれも前世だったら?」
 
縁の積み重ねが足りず今世ではだめだったが、来世ではやっと結ばれるのかも。だから諦めがつく。イニョンを信じているからこその人生との向き合い方だ。
 
ノラの両親が引っ越しの準備をするシーン。部屋に貼ってある映画のポスターはジャック・リヴェット監督の『セリーヌとジュリーは舟でゆく』(1974)。内容はゆる百合タイムループものとでも言おうか。アメリカ人とフランス人(2つの国の違いに言及する点も本作とリンク)の女性が、少女の殺害を止めるためにタイムループに繰り返し飛び込む物語。タイムループは輪廻転生のようなものだ。回数を重ねる度、2人は真相へ近づいていく。
 
『セリーヌとジュリーは舟でゆく』のポスターは『パスト ライブス/再会』がセリーヌ監督にとって半自伝的な映画であることを示すものでもある。監督の父親曰く、セリーヌというイングリッシュネームはこのフランス映画からとったのだそう。

セリーヌ監督は、ノラと同じく12歳の時に韓国からカナダのオンタリオに家族で移住。現在はニューヨークで劇作家となり、アメリカ人の夫と結婚している。(夫のジャスティン・クリツケスも劇作家で、6月7日に公開を控えるルカ・グァダニーノ監督の『チャレンジャーズ』の脚本を担当している。グァダニーノのファンとしてこの作品も非常に楽しみだ。)
 
ノラがヘソンに薦める映画、『エターナル・サンシャイン』(2004)。恋人の記憶を消されても運命の2人はまた巡り会うことができるのか?というお話だが、これも生まれ変わってまた同じ相手と巡り会うイニョンの概念と似ている。
 
ちなみに、『エターナル・サンシャイン』はそのストーリーテリングも円環構造の形をとっている。映画冒頭の時点から一旦物語は過去に戻り、そこからはじめのシーンに辿り着くまでを描いていく。 

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次に脚本。
 
例えば、はじめと終わりで反復されるカットの中でも一番印象的な階段のカット。初めてテストの点でヘソンに負けて2番になり、泣いてしまうノラをヘソンが慰める。「僕はやっと初めて1番になれたところなのに泣かれても困るよ」と言いながら。大人になっても同じだ。ヘソンを1番に選ばなかったのはノラの方なのに、ノラに泣かれても困る。
 
ヘソンと別れ、家までの道を歩きながら泣き出してしまうノラの横には、子どもの頃と違って彼はもういない。代わりに今、彼女に寄り添ってくれる人はアーサーなのだ。反復されるカットの中に、変わらないことと変わってしまったことを刻み付ける見事な脚本だ。
 
『エターナル・サンシャイン』で主人公のジョエルとクレメンタインが運命的な出会いをする場所が、ニューヨークはロングアイランドの最東端に位置するモントーク。『パスト ライブス/再会』で、ノラとアーサーがアーティスト招聘プログラムで出会ったのもこのモントークだった。ノラとアーサーの縁も確かに運命的なものとしてこの映画は描いている。
 
セリーヌ・ソン監督は、本作の挿入歌にレナード・コーエンの「さよならは言わないで」を選んだ。引っ越し準備の最中にノラの父親がかけている曲。運命の相手にお別れする男の歌で、映画を最後まで観た後ではこの曲の歌詞がとても沁みる。

僕は君を一生愛すし それはきっと君も同じだ
でも今 僕たちの前には別れの道しかない
運命は海岸線みたいなもので
どんな風に変わっていくのか 僕たちにはどうすることもできない
解くことができない愛や鎖について語るのはやめよう
さよならは言わないで

レナード・コーエン「さよならは言わないで」(筆者拙訳)

個人的には、この映画のラストシーンに小説『グレート・ギャツビー』(フィッツジェラルド・著)の最後の文章があまりにぴったりとはまるように思った。

ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。……そうすればある晴れた朝に――

だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。

『グレート・ギャツビー』(フィッツジェラルド・著 村上春樹・訳)

同じニューヨークのロングアイランドで、ギャッツビーも彼の屋敷の対岸に輝く緑の灯火、生涯の想い人デイジーが住む場所を夜ごと見つめていた。


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