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映画評|「メイ・ディセンバー ゆれる真実」の曖昧な輪郭

トッド・ヘインズ監督の新作「メイ・ディセンバー ゆれる真実」は、当時、北米で連日タブロイド紙を賑わせた通称メイ・ディセンバー事件を題材としている。

未成年と関係をもった罪に問われ服役した当時36歳の女性グレイシーと23歳年下の少年ジョー。出所後、晴れて結婚した2人は、3人の子どもと共に20年以上の月日を幸せに過ごしてきた。そんな2人を題材にした映画が製作されることになり、グレイシー役を演じる女優のエリザベスが役作りのリサーチのために彼らのもとへやってくる。

本作は "作為/パフォーマンス" についての映画である。グレイシーがエリザベスに鏡の前でメイクアップを教える印象的なシーンがある。エリザベスにケーキ作りを教えるときグレイシーは言う、「見た目が大事よ」

ジョーは子どもの頃から弟たちの世話をしてきた。早熟な少年で、誘ってきたのはジョーの方だった。最初に関係を持ったのは12歳ではなく13歳のとき――夫婦はすかさずエリザベスの発言を訂正する。夫婦は自分たちが他者の目にどう映るかに敏感だ。

※以下、本作のネタバレを含みます。

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エリザベスはグレイシーになりきり、事件当時、彼女がジョーに書いた手紙を朗読する。

一線を越えたのは分かってた。また越えてしまうだろうとも思ってた。でも今は...その線がどこにあるのかすら分からない。そもそも一体だれがそんな線を引いたのでしょう?唯一つ分かることは、私があなたを愛し、あなたが私を愛しているということだけ。(筆者拙訳)

ここでこの「線」という言葉は多層的な響きを持つ。モラルの境界線?グレイシーとジョーの境界線?あるいはエリザベス?はたまた、あるがままの自分<自然>とあるべき自分<作為>の境界線?感じている演技をしているのか、あるいは感じている演技の演技をしているのか?

観客を正視するエリザベスと鏡映しの位置に置かれた私は自省する。誰だって生きていく上で多かれ少なかれ演技をしている。

自然と作為の境界線は曖昧だ。行動が人格を作るという言葉がある。パフォーマンスは時に素体を侵食し本物になる。「2人は魂のつがいで、運命のいたずらはジョーが若過ぎたこと」というのが夫婦にとっての真実/物語だが、そこに作為が介在したことはなかっただろうか。

ディフュージョン(光を拡散させる効果)とグレイン(フィルム特有の粒子感)が効いた映像は、グレイシー、ジョー、エリザベスの輪郭を曖昧にする。

映画を通して、見た目や言動が鏡像のように似てくるエリザベスとグレイシーだが、これは2人の境界が消えていっているのではない。エリザベスとエリザベスが演じるグレイシーの境界がなくなっていくのである。

2人の女性は同一化するどころか、映画終盤でグレイシーは突然、圧倒的他者として立ち現れエリザベスを戦慄させる。エリザベスが作り上げた不安定なグレイシー像からかけ離れた、「I'm secure./私は正気よ。」とはっきり言い切るグレイシー。

ジョーやエリザベスと違い、グレイシーには自然と作為の間に1ミリの隙間もない。それが彼女の強さだ。自分の物語を完全に内面化したグレイシーに敵う者はいない。彼女の言う通り「ナイーブさは天性の才能」である。

しかし、エリザベスを戦慄させたグレイシー像も彼女という人間の一側面でしかないのかもしれない。エリザベスは「道徳的にグレーな領域が興味深い」とワークショップで語るが、映画のラストでエリザベスが演じるグレイシーは、彼女の “捕食者” という一面を誇張したものになっている。

このラストは、現実を物語る行為に常に作り手の作為が介在するという事実を露わにする。これにより、観客はスクリーンに映らないグレー領域を逆説的に意識することになる。

このように、「あの夫婦にとっての真実/物語に作為は介在しないのか?」と観客が抱く問いをトッド・ヘインズはこの映画自体にも向けさせる。ニュースや実録犯罪番組などで数えきれないほど語られてきたメイ・ディセンバー事件の物語と本作を分けるものがあるとすれば、本作がこのストーリーテリングの限界を観客の眼前に差し出していることである。

映画の終盤、監督がサナギから羽ばたく蝶にジョーを重ね、狩りをするグレイシーに捕食者のイメージを重ねるとき、観客はグレイシーのようにナイーブではいられないのだ。

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