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「パソコン創世『第3の神話』―カウンターカルチャーが育んだ夢」で、初心に帰る

パソコンの発明には、2つの説があります。2007年10月出版の「パソコン創世『第3の神話』―カウンターカルチャーが育んだ夢」は、こう書き始めています。一つは「スティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズという二人の若者の功績」、もう一つは「70年代初頭に伝説のゼロックスのパロアルト研究所(PARC)で生まれたという説」です。どちらと断定することは難しいです。

パソコンの発明は、コンピュータのイメージを大きく変えました。1950年代のコンピュータは「中央集権的で官僚的な象徴的存在として、批判の対象」でした。「ところが、たった10年の間に世界の見方は変わり、官僚的支配の道具として退けられていたコンピュータは、個人の表現や解放の象徴として受け入れられるようになった。このようにコンピュータの見方が進化したのは、世界全体の他の変化が反映されたからだ」「市民権、サイケデリック、女性の権利、エコロジー、反戦運動などのすべてが、アメリカが好んできた戦後の理想の多くのものを否定する、カウンターカルチャーの興隆に一役買った。今では当たり前のコンピュータ技術は、この抗議行動やドラッグの実験、コミュニティー、無政府的な理想主義に彩られた混乱の時代に形作られた」(p5)。

そして、重要な指摘をしています。「スチュアート・プランドは「すべてヒッピーのおかげ」というエッセイの中で、「カウンターカルチャーが中央の権威に対して持つ軽蔑が、リーダーのいないインターネットばかりか、すべてのパーソナル・コンピュータ革命の哲学的な基盤となった」と書いている」(p5)。

パソコンという発想は、自然に生まれたものではありません。支配に対する抵抗から生まれたのです。
「パソコンの爆発的普及の奥底には、情報の共有というハッカーの精神が息づく。60年代から70年代初期にかけて、ベトナム戦争の反対運動や公民権運動が最高潮に達し精神的ドラッグの実験が広まったさなかに、ひとにぎりの政府や企業出資の研究所や、自分で使い方を決められる個人用コンピュータを是が非でも手に入れたいと考えるホビイストの小さなグループによって、パソコンが生み出されたのは偶然の所産ではない」(p15)

訳者解説で服部桂氏は「一般化したパソコンは、あの時代の未知との遭遇のようなわくわくする何かではなくなったが、逆にメディアとして成熟することにより、そのオリジナルな姿を自然な形で見せつつある。オープンソース運動やいまや世界に認知され、ウィキペディアやブログのような個人の発する情報やアイデアを共有して高めていくことがネットの世界で一般化しつつあり、ウェブ2.0と呼ばれる流れが加速している」と書いています。

そして「半世紀を経てやっと距離を置いて眺められるようになったカウンターカルチャーが起こそうとした革命は、パソコンというメディアを通してわれわれの具体的な環境になったと言える」とまとめています。

確かにパソコン、インターネットは、「カウンターカルチャーが起こそうとした革命」です。しかし、その革命は終わってはいません。いま、パソコン、インターネットの初心に帰る動きが強まってきています。それがweb3です。

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