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アラン・ケイが構想したパソコンは実現していない。論文集「アラン・ケイ」を読む

今から30年前の1992年に出版された「アラン・ケイ」という題名の書籍は、評伝も載っていますが、基本的にはアラン・ケイの論文集です。アメリカでも出版されていないアンソロジーを、鶴岡雄二さんの翻訳、浜野保樹さんの監修で日本で出版したものです。

監修者まえがきで、浜野保樹さんは「コンピュータの分野は陳腐化が激しく、一年も経つと書かれたものの大半は読まれなくなる。この本は無謀にも、何年も前に書かれた論文だけを収録している。アラン・ケイの論文は、古典というものがなかったコンピュータの分野での数少ない古典の一つである。なぜ古典たりえたのかというと、彼のコンピュータ観が確固としたものであることと、そしてもう一つ、 理想を高く掲げたことである。「コンピュータはメディアである」という一貫した視点に貫かれている彼の主張は、コンピュータというハードウェアの議論を、メディアという人間の本質的な問題へと変換を推し進める視点を提供したのであった」(p6)と書いています。

今では、パーソナルコンピュータはアラン・ケイが構想したものであると、広く知られています。彼のビジョンが計算機をメディアに変えたのです。

1977年の論文「マイクロエレクトロニクスとパーソナルコンピュータ」は、こう書き始めています。
「将来、マイクロエレクトロニクス・デバイスの容量の増大と、価格の低下によって、コンパクトで 強力なハードウェアの登場がうながされるだけでなく、人間とコンピュータの対話方法も、質的な変化をこうむることになるだろう。一九八〇年代には、大判ノートほどの大きさで、個人として必要な 情報関係の作業が、事実上すべて処理できるコンピュータを、大人でも子どもでも、個人で所有できるようになるだろう。処理能力と記憶容量は、現在のマイクロコンピュータの数倍になり、一秒間に 数千万の基本オペレーションを実行する能力をもち、印刷物に換算して、数千ページぶんの情報をあつかえるようになるだろう」

少し時間はかかりましたが、一人ひとりの能力を拡張し、コミュニケーションを活発にするパーソナルコンピュータは普及したように見えます。しかし、アラン・ケイが構想したパーソナルコンピュータは、実現していません。多くの人々は、そのことを知りません。あるいは忘れてしまっているかのように思います。

浜野保樹さんは「評伝」で、こう指摘しています。
「ケイが、アルトによって実現しようとしていたものは、「出来合いのアプリケーション群を提供する のではなく、ユーザーが、自分の情報処理のために必要なツールやアプリケーションを構築するのに 必要なビルディング・ブロックを提供するポータブル・マシン」であった。ケイが求めるものは、これまでのコンピュータとはまったく異なり、ソフトウエアとハードウェアが揮然一体となったものである。ハードウエアとソフトウェアを別々に設計するということは、ケイのアイディアからすると不可能だった」(P194)

「一九七七年の論文に書かれていたように、使いやすいメディアは、ただ操作性を向上するという工夫からは生まれない。本当のメディアは、自分に合ったように修正できなくてはならないし、自分で表現するための道具を作れるようになっていなければならない。表現の道具をいかに作りやすくして、 道具を作るための道具をどれだけ準備できるかが鍵であると、ケイは説いていた。その意味では、作りやすくすることだけが使いやすくできるのである。誰もが使いやすい標準的なインターフェイスというものなどは存在せず、誰にでも使いやすい標準的なマシンというのは幻想にすぎない」(P210)

アラン・ケイが構想したパーソナルコンピュータとは、一人ひとりが手軽に使える自分のコンピュータを持つということではありません。誰もが、自分らしく修正し改善できるものがパーソナルコンピュータなのです。自分に合ったアプリに仕上げて使うことがパーソナルコンピュータの基本なのです。このアラン・ケイのビジョンこそ、実現しなければならないと思います。

2014年に亡くなった浜野保樹さんは「評伝」を、こう締めくくっています。
「アラン・ケイについて、文字と紙だけでしか紹介できない状況が歯がゆくてならない。アラン・ケイを、彼が夢みたメディアで紹介できる日はいつになるのだろうか。できれば、われわれが夢みるメディアで提示したい」(P213)

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