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国家安全維持法施行の香港と重なる無念さだけでは終わらせない『ワンダーウォール 劇場版』

 首都圏での新型コロナウィルスの新規感染者が日に日に増える中、香港の一国二制度が形骸化する国家安全維持法があっという間に成立したというニュースは日本でも駆け巡った。民主派団体が相次ぎ解散を表明する中、毎年香港で大規模なデモが行われている7月1日には、香港独立の旗を持っている人が逮捕されたというニュースも。香港では2014年雨傘革命から始まり、長期間民主化運動を行なってきたが、最終的に才榴弾を投げられるようなことはあっても、まだ自由な発言が許されていた。対話の可能性を根っこっから断ち、命の危険が目前にあるような状況が漏れ聞こえてくる中、京都大学の吉田寮がモデルの『ワンダーウォール 劇場版』を元町映画館で鑑賞した。

 NHKの地域発ドラマとして京都で制作された『ワンダーウォール』は、震災を体験したかつて子どもだった大人を描いた『その街の子ども』の渡辺あや。反響を呼び劇場版として公開された作品を私は初めて観たのだが、どことなく『その街の子ども』の空気感が漂う中、築100年以上、寮生の自治活動により連綿と受け継がれてきた学生寮、「近衛寮」の佇まいに息をのむ。大学紛争時代の残り香や、かつての寮生たちが残してきた歴史の重みが、京都の片隅で静かに息づいているのだ。だが大学側から老朽化による建て替えのため、寮生の退去を命じられる。ずっと大学側と交渉を重ねてきた近衛寮の面々は、一時は建て替えではなく、修繕による保存を大学側に認めさせたものの、体調不良を訴えた担当者の退職後、新しい担当者を迎えてからは、態度を一転、学生たちとの対話すら拒絶する。そんな大学事務所には、ついに壁ができてしまうのだった。

 かつては対話をする余地があった大学側が、どんどん対話を拒み、圧力的な態度に終始するようになってくる。その象徴のような事務所の壁は、コロナ禍の今見れば、私たちの日常生活のいたるところにある壁とも重なってくる。衛生目的とはいえ、よそよそしさのある壁に慣れてしまうことがいいことなのか、どうなのか。なんとしてでもこの場所を守ろうと懸命に調べ、討論会に望んできた近衛寮のメンバーも、崩せない壁の前で立ち尽くすしかない者や、そこで諦めるのかと統率力のなさを嘆き、暴れる者、思いはバラバラだ。それでも、いざ目前に新学期の入寮者募集停止を大学から一方的に突きつけられ、退所宣告をされると、そう簡単に立ち退くわけにはいかない。結果的に、大学が退所宣告を無視して居続ける寮生を訴えるという前代未聞の出来事が実際に起き、まだ裁判は続いているという。大学が一体何をやっているんだと思わずにはいられないこの現実と、近衛寮が100年以上に渡って学生たちと共にそこにあるという歴史がぎゅっと凝縮された、日本ではなかなか描かれない現代の壁とその闘争をしっかりと描き切った作品。現実はとても無念だし、その部分が今の香港の置かれた、議論すらできない状況とどこか重なると思ったのだが、映画ではそこに音楽の力が加わり、まだ闘っている人たちに心からのエールが送られる。権力側は通告を突きつけたが、まだ負けてはいない。まだ消えてはいない、その場所は。それぞれの思いを吐露する近衛寮の寮生を演じた須藤連、岡崎天音、三村和敬、中崎敏、そしてユニークさでは群を抜くドレッドヘアの学生を演じた若葉竜也と、キャスティングも見事だった。この映画を観て、さらなるエールが届けられることを祈って。

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