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「今の状況は自然のサイコマジック」ホドロフスキーのサイコマジック説法を振り返る

 梅雨入りで傘を手に外出した今日は、神戸・元町でジャズライブも行われていた「カフェ萬屋宗兵衛」がコロナの影響でひっそりと閉店していたのを目にし、心が沈んだ。前日には、新世界のふぐのデコレーションで有名な「ずぼらや」の閉店ニュースが駆け巡ったばかり。補償のない休業が、どんどん名店を潰している…。

 6月4日にDOMMUNEで行われた「『ホドロフスキーのサイコマジック』公開記念、アレハンドロ・ホドロフスキーのサイコマジック説法」。『ホドロフスキーのサイコマジック』を劇場で観てから、改めてその内容を振り返ろうと思っていた。6月11日にオープンしたばかりのアップリンク京都は、まさに関西のホドロフスキーの聖地のような場所。映画館では珍しいインスタレーションスペースでは、2014年来日時に行われたホドロフスキーの説法&100人の座禅会の10分強に渡る映像も流され、映画を観る前から、ホドロフスキーの師の一人である日本人、高田氏との出会いや、その考えに触れることができる。いやー、すごい!

 言葉を超越した方法として、行動による方法で人の無意識に働きかけるのがホドロフスキー考案のサイコマジック。映画では様々な悩みを抱えた人々がホドロフスキーのもとを訪れ、自らの悩みを明かし、ホドロフスキーがそれを克服するサイコマジックを相談者と共に行なっていく。それぞれのテーマには、ホドロフスキーの過去作品から、そのサイコマジックに呼応するシーンが引用され、ホドロフスキーの作品自体が、サイコマジックの実践を貫いていることもわかる。一人として同じ方法はなく、一見荒治療と思えるようなものや奇異に映るものもあるが、一貫して言えるのは、過去へのトラウマを抱えていたり、相手を許せないと思う自分を脱ぎ捨て、違う自分になるということ。そのためには、演じる、パフォーマンスするという要素もそこに加わる。そしてもう一つスキンシップによる癒しが大きな力になるということ。これは『タッチ・ミー・ノット~ローラと秘密のカウンセリング~』でも実際に行われ、自分の中の扉を開けるきっかけを作ることになるのだ。サイコマジックも個人的なものから、スタジアムでの説法会で、がん患者に対し、皆でその人に対しパワーを送るというソーシャルサイコマジック、そしてメキシコの死者の行進では、「泣く女」を歌いながら、サイコマジックで社会と闘う社会運動としてのサイコマジックを映し出してみせた。相手の心の中の叫びを吐き出させ、共に行動し、相手を抱きしめ、さすり、癒すホドロフスキーのライフワークの中の一つに映画もある。お金のためではなく、自然と調和し、本来あるべき人間の美しさを見つめようとするホドロフスキーの眼差しの優しさが、なんとも心に残った。

 コロナ禍でのサイコマジックがテーマだった6月4日のオンライン説法では、自身が住むパリが今回の外出制限で美しい自然を取り戻したことに触れ、今回のコロナウィルスにより、「人の行動が変わり、自然のサイコマジックだと思っている」とし、太陽系の大切さに気付いてほしいと呼びかけた。ホドロフスキー曰く、人間自体が地球のウィルスだという。この言葉を聞いて、4月に亡くなられた大林宣彦監督が生前に「自分がガンになり、はじめて、今まで好き勝手して生きてきた自分は地球のガンだったのだと気づいた」とおっしゃったのを思い出した。地球の、しいては宇宙の中の小さな存在と自覚し、謙虚に、かつ歴史から学んでこの状況から前に進んでいく。さらに「必要なのはワクチンを作ることより、自然の中に帰ること、健康でいること」とピシャリ。私たちが使っている使い捨てマスクすら、ゴミとなり、生態系に悪影響を与えることも考慮しなければと釘を刺した。

 また精神分析とサイコマジックの違いについて、「サイコマジックは一人一人個人的なもので、コロナのワクチンとは違う。家庭内の精神構造をわかり、無意識に働きかけるようにしている。私の中で病は池のように滞った状態で、健康なのは川のように常に流れている状態。精神分析はずっと話し続けながら、同じところに滞っているが、サイコマジックは常に動いている」と流れる状況を作ることが必要であることを問いていた。91歳ながら、時間オーバーしても精力的に質問に答え、「私たちの使命は宇宙を健康にすること」と断言するホドロフスキーは、もう神がかっていた。日頃目の前のことばかり考え、不安になってしまうが、もっと大きく、先まで見据えて、コロナ禍にいる自分たちが日々の生活の中で大事にすることを指南してもらった気がする。『タゴール・ソングス』のタゴールと共に、混迷の今を生きる指針になった。人生の師匠、ここにあり!

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