見出し画像

映画の起源(2):映画の誕生に異議あり!

前回は、リュミエール兄弟の1回目の上映会がパリで行われた1895年の12月28日が映画の誕生日とされているという話をしました。

しかし、この誕生日の定義には怪しいものがあります。どうしてでしょうか?4択から選んで下さい。

 1. これがリュミエール兄弟の実施した初上映会ではなかったから。        2.「シネマトグラフ」は別の誰かによって発明されていたから。          3.初の動く写真の上映でなかったから。                                                 4.すでにアニメーションの商業イベントが存在していたから。

答えは、全てです。

1.実は1895年の3月22日にパリの商工会的な場所で第一回お披露目会があったそうです。さらに9月、10月とシオタという町で特定の観客の前で上映が行われたという記録がのこっています。(シオタは、列車の到着で登場したラ・シオタ駅のある町です。リュミエール一家はここに別荘を持っていました。)そもそも2月に特許申請されているので、12月まで何もなかったほうが不思議ですよね。12月のは初の一般公開で、お金を払えば誰でも見れた上映会だったのです。

2.ブリーというフランスの発明家が1892年に「シネマトグラフィ」という名称で連続写真の投影機の特許を申請しています。どうやら、ブリーが"Cynématographie"の特許維持に必要なお金をケチったために、リュミエール兄弟は"Cinématographie"という名称を使用できたみたいです。この言葉は、ギリシャ語の運動(キネマ)と描く(グラフィ)の造語です。なので、「動画」と同じ様なつくりの名称が故に、欧米の発明家たちはこぞって似たような名前を付けています。

3.同年にニューヨークではエジソン社のウィリアム・フリース=グリーン、ベルリンではスクラダノフスキー兄弟が動く写真の上映に成功しています。ちなみにこの時代は、各々が自ら発明した装置を使っていたので、それそれ別の名前で呼ばれています。

4.アニメの上映はさらに数年前にさかのぼります。1892年からパリのグレヴァン蝋人形ミュージアムで、定期的に上映されており、人気を集めていました。大きな円盤をつかったパラパラ漫画のようなかんじです。

こんな具合に、実はあの記念すべき1895年の上映は必ずしも、映画の最初とはいえないのです。

では、いつなのか?

残念ながら、ぱっと代わりの答えが出てくるほど、単純なものではありません。なぜならば、映画=単に映る画像というわけではないからです。

映画を作るには、カメラも必要ですが、映写機も必要です。また画像を記録するフィルムも欠かせません。じゃあ、それらがそろって映された記録映像を「映画」とカウントしていいのか、といったら何か違うような気がします。映画はこのような理由から、ほかの発明品とはちがって、なかなか誕生の瞬間がはっきりしないのです。

次回は、1895年年末の上映に感動して、独自に映画を切り開いていったマジシャンの話をしようと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?