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「母性」
ー愛されていない子どもには、あそびがない。あそび、ゆとり、余裕。
ー愛されるためには、正しいことをしなければならない。喜ばれることをしなければならない。あなたがそこにいるだけでいい、そんな言葉はわたしの人生には登場しなかった。
ーフリルのついたブラウスも新しいシューズもいらない。刺繍もしてくれなくていい。わたしのたった一つの望みは、母に優しく触れてもらうことだった。よくがんばったわね、と頭を撫でてもらいたかった。そういう愛が欲しかった。
ーわたしは家族旅行というものをしたことがない。
ーわたしは一方的に愛を求めていただけなのだ。こちらが愛を与えれば、愛を返してくれると信じていたけれど、そもそも、私の与える愛は母にとって愛とは感じないものだった。
ー近所の人には私をけなしながらその人の子供を褒めた。近所の人はそのまま子どもの自慢をした。
ー私を褒めてくれる人などどこにもいない。
私の存在を認めてくれる人などどこにもいない。
いったい、私はどうしてここにいるのだろう。
ー結局、そうやっていつも、私は母を求めていただけ。だから気付けなかったのだ。母が私を愛してくれない理由に。
湊かなえさんの「母性」より抜粋(自分用)。推し活ついでにNetflixを見ていたら、映画「母性」のジャケット写真が目につき、図書館で原作を借りて読んだ。
「母」と名のつくものが昔から苦手だ。「父」も苦手だけど「母」の方が反射的に身体がこわばる。
けれど、そろそろ潮時なのだろう。現実を直視せずにこれ以上先に進めない。覚悟を決めて、スーザン・フォワードの「毒になる親」を読んだ。
ドロドロした憎しみや怒り、どうしようもない悲しみや孤独感。パンドラの箱が開いて、心の外科手術をしているような痛みにどうにかなってしまいそうだったけど、そこから毒親関連の書籍を立て続けに読んでいる。
「自分の親が毒親に当てはまると認識出来るのは、30〜40代以降にならないと難しいのでは。」と、ある方が対談本の中で仰っていた。
自分の心理的基盤が根底から崩れることに耐えられるのは、ある程度の年齢を重ねて他に心理的な基盤を構築出来てからでないと難しいのでは、と。
2ヶ月前から通っているカウンセリングで、先生から自分の母親の異常性を40年越しに聞かされた私も「こんなことならもっと早く知りたかった。」と思う。同時に、いまの年齢になったから辛うじて受け入れられる事実だとも思う。
小説「母性」は、娘と母のそれぞれの手記の形で物語が進んでいく。二人は同じ過去を語っているのに、ある時期から互いの発言に食い違いが生じてくる。娘の方が冷静に現実を捉えているように読めるが、それすらも疑いたくなるような不穏なラストで終わる。
湊かなえさんの「母性」も、同時期に読んだ姫野カオルコさんの「謎の毒親」も、自分の両親はここまで極端ではなかったと思うものの、ゾッとするほど娘側の心理状態や立ち振る舞いに身に覚えがある自分がいて、ホラー小説の中に迷い込んだような気分が未だ続いている。
まだ、自分の体験を書けるほどには心が追いついていない。だからこそ、厳重に蓋をしていた自分の過去を追体験したり、誰にも見せていない心の闇を言語化してくれる作品に、ある意味で助けられている。
心の深い深い傷は、スピリチュアルのにわか知識だけでは絶対に救えない。ましてや巷に溢れる素人セラピーのようなもので安易に心の傷を開いてしまうことはとても危険。(実体験)
私自身が散々スピリチュアルな知識を発信してきたので説得力はないけど、スピリチュアルでカバー出来るのはもっと大枠の部分であって、実際に受けた心の傷の根本的な治療は、やはり専門家の助けを求めるべきだと実感している。
ここまで公表できただけでも、私の中では大きな変化。気づいてしまったからには前に進むしかない。続きはまたいつか。
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