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うどん屋さんで、洗脳系男子(女子)について考える。

今日は洗脳系男子(女子)について、眠りにつくまで考えてみます。職場のあの人、隣町に住むあの子、いつも通勤時間が同じぐらいな彼。

もしかして、洗脳系かもしれません。

私は、洗脳って結構簡単にできるなあと思います。集団心理、集団での無意識も、洗脳の類では?と思う。
たとえば。あなたはとある平日の12時13分に、ボーッとしてはなまるうどんに入ったら、5、6人の列(※ソーシャルディスタンス有)が。ボーッとかけうどんかなあ釜玉かなあ…などと思っていたら、前の人が磯辺揚げをチョイスしてて、自分も無意識的に磯部揚げに、手(トング)が伸びて…。これは、ひょっとして洗脳?まではいかなくても、おやおや、なんかヒントがあるぞ?と。そう考えると、意外と身近、という気がしました。

はなまるうどんに入って「次の人が磯辺揚げを選べ……!!」と祈って(呪って?)、その人が無事(?)磯辺揚げを選ぶと、洗脳なのかなと思います。
ですが、注文したものが偶然一緒だと「セレンディピティ !」「ハッピーアイスクリーム☆」と、声を上げて喜ぶ現象も、あるわけですね。

前者は、人をコントロールすることに喜びや安心を感じるタイプ?洗脳の才能があるとも。最近、「洗脳を受けると気持ちいいんだ!」ということがありました。それはなぜかというと、洗脳する側が「俺(私)は、相手を洗脳すると気持ちいい♡」と思っていて、その気持ちと繋がって「相手が気持ちいいって思ってるから、気持ちいい♡」から、気持ちいいのでは、と。どこまでも洗脳のループなわけです……まあ、自分が楽しい気持ちと繋がると、終わりますけどね(^◇^;)
何事も需要と供給というか、煙のないところに火は立たないというか…。

後者は、人と同調や共感できると嬉しいタイプなのかな?あと、他のものを選ぶ権利、があるにもかかわらず、偶然同じになったことを喜ぶので、自由意志が前提なのかな?

ちなみに私は洗脳の才能が全くない性格をしている?かも。だいたい「次の人が磯辺揚げを頼め…!」と祈っても、いもやかぼちゃの天ぷらを選びます。いまいち、祈りに真摯さが足りないのだろうか?でも、磯辺揚げでも、そうじゃなくても、その人が選びたいものを選べば良いと思います。

たまに私と相性の良い人は、磯辺揚げに手を伸ばしますが、たまたま相性の悪い人と出くわして、偶然その人が、同じ磯辺揚げを頼むことはあります。ですが。嫌な奴の次の順番で、嫌な奴が磯辺揚げを手にしたら、どうしますか?私は、磯辺揚げをつかもうとしたトングを華麗に右横にスライドさせ、かぼちゃの天ぷらをつかむかもしれない。こいつと一緒は嫌だ、という自由意志?不自由意志?が、変化球を生むかもしれない。

「私も相手も、自由意志を尊重できたらいいな♡」(実際は嫉妬使いけどな。執念深いけどな。束縛系女子だけどな)→からの、また別の次元で嫉妬と自由意志のはざまで葛藤するというね(^◇^;) それが正しいかわからないし、選べないから苦しかったり、ペンディングしてみたり。。ほんと食欲も、自己探求も、尽きることがありません。。

どちらでも構わないというか、すべて生きるプロセスの一つ、みたいな感じがします。
洗脳で苦しみが強くなった人は、自由意志への切符を手に入れたようなものかなと。
洗脳タイプには、次から次へと信者が来て列は絶えませんので、羽ばたいていって大丈夫ですし。
※リアルに苦しんでる場合は、私はとにかく信者以外の優しい人に話を聞いてもらい、一人で瞑想する(集団療法もあるかも、オンラインしか経験ナシ)のが、脱する近道だったと思います。

そしていまあなたが、なんの天ぷらが食べたくなったかは、、聞かないでおきますσ^_^;



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