効率化された慣れから離れるということ

新しいこと、未経験のことに取り組むというのは楽しい。何が効果的で何が効果的ではないか、もっと手っ取り早い方法は?、成果が見えないけどこのままでいいのか、そういう思考や行動を重ねて適切な解を探すのは面白い作業だ。

でもこの作業を続けている状態とは最適化されていないとも言えるので、いつか「こういう手順でやればOK」というメソッドのようなものを見つけていくことになる。

今担当している業務もそうで、ゲーム業界の人材育成というのは特化された方法論があるわけでもなく、また会社ごとの手法や作法があったりするので、まさに模索を続けている状態。

とはいえ、長い時間やっていると「だいたい、こんな感じかな」「よし、これなら来年は安定した運営・運用ができそうだ」とかだんだん見えてくる。現状における最適化だ。

見えてきたので楽になるかなと一度は思ったのだが、そこでふと気づいたのは「方法論が自分の中で確立すると、それを実践することが一定の成果を保証すると安心して本来の目的を見失いそうになる」自分がいるということ。新しい案件に着手したときに「以前やったアレと同じ方法でやれば、コレくらいのレベルは担保できるな」とかそういう奴。

自分はゲームを作るプランナーでありそのプランナーを育てる人でもある。どちらの業務も2つと同じ対象が存在しないものであり、これさえ覚えておけば大丈夫なんていう正解は無いのである。

半分くらいは過去を継承して半分くらいは新たに探す、くらいがいいのかも知れない。

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