トレンドとして扱われる#BLM
私のIGのフィード上では、人種差別はもう消えて無くなってしまったみたい。
でも現実はもちろん違います。
アメリカにおける人種差別問題は、ものすごく根深く重く社会の構造に組み込まれていて
と片付けてしまうのはあまりに無知であり、
と蓋をするにはあまりにも重大すぎる問題だと思っています。
平穏な日常=特権
スマホさえ閉じれば(メディアさえ見なければ)、私たちはいつでも平穏な日常に戻ることができる。
それは私たちは特権を持っているということ。
ピンとこないかもしれないけれど、世界的に見ればそうなる。
ピンとこないのもまた特権を持っているせいだからかもしれない。
だけど、
黒人の人々は毎朝、何度目覚めても黒人であることだけは変わらないまま。
取り巻く社会も変わらない。
今日、自分の身には何も起こらないかな?と
不安に思いながら朝起きたこと、私にはないなぁ。
自分の家族の帰りが遅い時に、「どこかで警察に撃たれたりしていないか?」と
心配しなければならない人なんて、いるべきではないよね。
警察に殺される心配もなく暮らせる私は、自分の感情や生活を傍に置いて考えることくらいしても良いはず。そのくらいの精神的・環境的な余裕はあるはず。
黒人ダンサーが日本に作ったダンススタジオに通って
そのダンススタジオでは、私はダンスだけでなく、
黒人文化そのものまで教えてもらって人生が豊かになったうちの1人。
自分が楽しんでいる今の人生と、黒人の人々が受け続けている401年間の抑圧を、切り離して考えることは出来ません。
あくまでも当事者以外の都合
「何をして欲しいか、何を伝えたいのかあまり良く分からないから行動できない」というのは、あくまでも当事者以外の都合。
苦しんでいる当事者たちにこれ以上の説明や行動を求めるのではなくて
日常生活に少し余裕のある自分たちが、ちょっとだけ歩み寄って知ろうとしたり
誰かと話をしてみたり
それぞれのプラットフォームを使って発信したり
そのくらいしても罰は当たらないと思っています。
「なにもしない」ことはニュートラルなことじゃなくて、「なにもしないことを自ら選んでいる」ことなのかなとも思う。
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SNSの使い方や社会問題への関わり方は人それぞれ。
個人のスタンスは尊重されるべき。
ただ私は、SNS上での体面を保つことや、勉強や反省に時間を割くことくらい、目の前の人間が悲しむことに比べたら全く以ってなんてことない。なさすぎる。
自分の大事な人の命が軽んじられることや、その人が
「自分の命は軽んじられているんじゃないか」と思ってしまうことが、
私は絶対に嫌。
同じように思っている存在が、全ての黒人の人々、一人ひとりにいるはず。
だから声をあげます。
心の中で思うことも大切。
言葉にして伝えることも大切。
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