複雑な気持ちの話

なんでこういつも、簡単に気分が上がったり下がったりするんだろう。

ホント困る。

その日、その時間、その場にいられること。

ただそれだけでも、この人生でトップに入るほど幸せなことなのに。


ライブに関することです。


こんなことを思っているなか、「幸せ」に関するコラムを読んで心にぶっ刺さりました。


幸せは、「当たり前」の部分に目を向けることで手に入れられるもの。

「当たり前なこと」以外は、人生のやり込み要素。

他者へのマウントの材料にしかならない。

「みんなの思う幸せ」ではなく「私の幸せ」が重要。


「確かにその通りだ!」と持ち直し、少し考えを改めることに成功しました。

私には私の幸せ、あなたにはあなたの幸せ、あいつにはあいつの幸せがある。

ほかの物事にもラッキーが分散されていると考えよう。

幸せの均衡を保つためだと考えよう。

私には他にも予定があって、そこでも「楽しい」を体験するのだから、ここで一気に運や楽しい気持ちを100%使ってしまうのではなく、3つくらいある予定に30%ずつ割り振られているんだ。

でかい不幸が降りかかるのではなく、この程度で済ませてくれているんだ。

良いことと悪いことのバランスを考えると当然の報い。

多くは望まないようにしよう。

逆に考えて「この状況面白くね?」に変換しよう。

だって、数多ある座席の中、私にこの席が宛てがわれたなんて、

音響悪い・視界も悪い状況でお祝いのライブに参加できるなんて、

私のライブ人生においてそう経験できないことだし、確実に映像作品は出るから映像上での良い音・正面からの状況や表情は後から確認できるんだもん。

それが世に出たときに、私の姿が映像として記録に残って目立たないように、カメラに映りにくい席にしてくれたんだと思うことにしよう。

「シュレディンガーの猫」を強く胸に刻み生きているのだから、私がこの目(耳)で見なかったこと(聞かなかったこと)は「そもそもなかった」こととしよう。


でもさすがに、申し込みのときに音に関してのおことわりもほしかったなあ。

事前に会場のことを調べず、知らなかった私も悪いけど。

この状況に感謝し、やり込み要素を求めすぎず、多くを望まず、雑念を取っ払って全力で楽しんできます。

無事に終えられて、無事に帰れればそれでいいのだから。

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