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自分史 自業自得と時々外されちゃう梯子⑥

この記事は続編です。ここに至る経緯はこちら
前記事  自分史 自業自得と時々外されちゃう梯子⑤

ここからは大学生編です。
正直、生涯でこれ以上の知己に恵まれることはないでしょう。
それだけで僕は幸せ者です。
ただその補正があったとしても楽しさ8割、辛さ2割です。

楽しかったところは特に書く予定がないので、ダイジェストが不要なほどシンプルになります。(その癖に分割になりました笑)
それではどうぞ。

大学生編ダイジェスト(2000字)

・ 東日本大震災を経験  ⑥~⑦ +後日談
・ 順調過ぎると思っていた就職活動

東日本大震災を経験編

アルバイトへ向かうため、車に乗り込みエンジンを掛けようとしたその時、車が大きく弾んで違和感に気付いた。まだエンジンも掛けていないし、周りには誰もいない。心霊現象か?と思った時、遅れて携帯が鳴り出した。

その時、初めて僕は地震だと気付いた。


大学に入学し、とにかく多くの同期と会い、誰がどのグループに属しているかがはっきりと見えてきて、僕自身も立ち位置が固まってきた1年生の冬。

の少し前、僕はアルバイトに落ちまくっていた。
7連敗。
原因は分かっていた。明るく染めすぎた頭髪。
今にして思えば、過度な染髪NGぽいところばかりだった。
なによりあんまり似合っていなかったのかもしれない笑

だが、こればかりは譲る気はなかった。なんてったって、思春期を迎えて初めて縛られることなく頭髪を自由にできるのだ。坊主頭からの脱却だ。
そう意気込んでいたが、現実は甘くなかった。

面接のたびに、もう少し髪色落ち着かせる気はない?と聞かれたので薄っすら気付いていた。流石に7連敗は身に染みて、茶髪で妥協して臨んだ8社目で採用してもらえた。今では店舗数がかなり減ってしまった某サンドウィッチ屋さんだ。選んだ理由は家から通いやすい大型商業施設の中に入っていたからだ。そして、アルバイト先の男女比 男2:女8という女性社会でのしくじりもあったけれど、ここで語るのはやめておこう。アルバイトにも慣れ、2年生に進級するまでのつかの間の春休みのことだった。


突然僕らは被災者となった。


これから語ることは、あまり人に話したことのない想いだ。
僕自身の辛い思い出を文章にし、人にさらけ出す。これが出来て初めて一歩進んだと言えるかもしれない。心の内に秘めて、蓋をして、目を背けるのもここまでのようだ。
今でもたまに思い出すことがある。心を抉られるような気持ちは変わらない。※同じような経験をした方は、この先は自己責任でご覧ください。

初めに言っておくと、大げさな表現ではなく被災した。

携帯が鳴り出してから事の重大さに気付いた。壁が崩れてきたのを見て、すぐに車から降りた。車は家の敷地内にある古い納屋に頭から突っ込んだ形で駐車していたので、このまま潰されると思ったからだ。

車から降りてみると、健康な若者が歩くのすらままならないほどの大きな揺れ。永遠のように長く感じた数分間、上から瓦やガラスが降ってくる。背の高い建物でなくてもアニメや漫画のように横揺れして軋んでいた。

自宅にいたのが幸いだった。弟は卒業式で学校にいるので連絡は取れない。他の家族は無事のようだ。家の中で物は散乱し、電気は止まっていた。
水は幸い井戸水を組み上げることが出来た。しかし、濁りがひどくて使うことはできなかった。ガスはおそらく使える状態だがどこからかガス漏れしていたら大変だ。

それから程なくして、すぐに携帯が使えなくなった。電波が急激に悪くなり、メールも電話もほぼ通じない。

片付けでもするかと家族と片付けを始めたその時、緊急車両が何台も家の前を通り過ぎて行った。しかし、様子がおかしい。普段から聞き覚えのあるサイレンではなく呼びかけだった。


「今すぐ避難してください!まもなく大きな津波が来ます!動ける人はすぐ逃げてください!救助が必要な人は声をかけてください!」

そんなことを言っていたような気がするが、理解が追い付かなかった。
「海から直線距離で10㎞以上離れているこのあたりに津波が来る。」
何かの間違いのように感じた。

家族がラジオを引っ張り出してくると、どうやら本当のようだ。
母親はひどく取り乱した。
弟が通う小学校(僕の母校でもあるが)は、海から5kmほどの地点に建てられている。大丈夫だろうか。
母親を宥めてから念のため、非常持ち出し袋と貴重品をまとめ、車に放り込む。家族も荷物をまとめて逃げる準備をしていた。そんなにすぐには津波も来ないだろう。いや、そもそもここまで来ることも考えにくい。いざという時の避難場所を家族と確認し、車に乗り込んだ。

自宅を出るとすぐに全く車が進まない。海沿いの道は停電で交通がマヒしているのだろう。信号もない自宅近辺ですら大渋滞になっていた。自宅から700mほど走ったところで通行止め。Uターンさせられた。その時、僕は地平線がキラキラ光っていることに気が付いた。しかし、そのキラキラがこちらに近づいてくることはなかったが、津波はすでに到達しきっていたようだ。


つづく

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